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【意外な経歴シリーズ#4】(前編)画家の道から、デザイナーへ方向転換

【意外な経歴の社員】シリーズの4回目です。

今回ご紹介する意外な経歴の方は、画家の道から、デザイナーへ方向転換した方の紹介です。
専攻は「日本画」だったとのことで、同じ「絵を描く」ではあっても、ゲームのデザイナーとして描くイラストとは大きな違いがあったのではないでしょうか。
なぜ、ゲーム業界に飛び込んだのか、紹介していきます。


Q1.自己紹介をお願いします

デザイン部のイラスト班で班長をしているイケです。
よろしくお願いします。
職種は、アイディス内での定義や呼称とは少し異なりますが、世間一般でいうと「アートディレクター」と説明した方が仕事をイメージしてもらいやすいと思います。

▶イケさんが出演している動画はこちら


Q2.仕事内容について教えてください。

『ラストクラウディア』のアート類、主にイラスト全般の制作の管理を行っています。
とはいえ、専門のイラストレーターさん達とは違って、自分が一から全部描くことは少なく、チームで制作するイラストの考案や、クオリティチェックや指示、またスケジュール管理や外注会社とのやりとりなど、主に「ディレクション」と呼ばれる仕事がメインとなっています。
イラストチームをまとめ、『ラストクラウディア』の運営で求められる様々なイラストを完成させることが、私の役割です。


Q3.いつ頃から絵を描き始めたんですか。

父が漫画好きで、たまに少年ジャンプを買ってきていたので、その漫画を見て、よく模写や落書きをしていたのが、絵を描き始めたきっかけだったと思います。そのころ好きでよく模写していたのは「聖闘士星矢」や「ゴッドサイダー」あと「バスタード」でしたね。たぶん今の若い方は知らないと思います(笑)

少年ジャンプと言えば…
小学5年生の時に親の転勤でインドネシアで暮らしたのですが、日本から毎週ジャンプを取り寄せている友達がいて、休み時間とかには、それをみんなで夢中になって回し読みというか、取り合いというか…していました(笑)ちなみに約3年ほど暮らしたので、私の経歴は「ジャカルタ日本人学校 小学部」の卒業だったりします。


Q4.ジャカルタ日本人学校卒業!? そこから美大を目指した経緯を教えてください。

中学2年生で日本に帰国して、受験して普通に高校に進みました。そこから高校3年生の秋ごろまで、理系の大学を目指して受験勉強をしていました。
しかし漠然と「何か好きなことで生きていきたいなあ」とはずっと思っていて、昔から、何故か絵を描くことは大好きだったので、思い切って両親に「今から美術系に進みたい」と相談しました。

時期が時期なので、周囲や塾の先生には当然「気の迷いだから考え直せ」とは止められましたが、急な方向転換を許してくれた両親には感謝ですね。今思うとよく許可したなあと思います。
でも「それまでの塾の費用は何だったんだ」と、今でもたまに小言は言われます(笑)


Q5.高校3年秋に、理系から美大へ進路変更ですか!?受験どうだったのでしょうか。

それまで美術部などに入っていたことも無く、そして特に絵を習ったことすら無かったので、現役で合格するわけがありませんでした(笑)美術予備校に通わせてもらいながら、浪人生スタートしました。
美術予備校では「デザイン科」志望で、そのための実技課題や勉強をずっと続けていましたが、少しずつ「もっと絵が描ける専攻がいいなあ」と漠然と思いはじめていました。
とはいえ、その時はもう受験も間近で、今さら志望コ-スの変更など無理なのでそのまま一通りデザイン科で受験に突入しました。しかし、1か所だけ、絵画系の「日本画」で、デザイン系の日程と重なっていない大学があったので、ダメもとで願書を出して受験しました。
そうしたら、その年はたまたま、実技試験で自分の得意な課題が出たこともあり、「日本画専攻」でまさかの合格をしました。
最終的にデザインか日本画どっちの道を選ぶか迷ったのですが、「もっと絵が学べそう」との思いで、日本画を学べる方の大学へ進学しました。
入学後に同期の友達に聞いたら、その年だけ実技課題の傾向がガラッと変わっていたらしく、後で教授にも聞いたら「長年同じだったからその年は変えた」と言っていました。
今思い返しても、偶然が重なり、ほんといろいろ運が良かったのだと思います(笑)


Q6.美大での学生時代はどんなふうだったのでしょうか。

先生たちから見たら困った学生だったと思います。日本画のこと全然知らないし、言うことは聞かないし(笑)でも基本的に学生時代は、課題をこなしながら、展覧会に向けての絵を描いていました。よく美術品の運送や、絵の修復のバイトで画材費を稼いでいましたね。あと他に面白そうな話としては…そういえば、3年の時に、短期ですがスウェーデンへ交換留学に行きました。

普通は油絵や彫刻の「タフそうな」学生からの応募が多かったらしいのですが、日本画からの応募は珍しかったらしく、これもダメもとで応募したら、物珍しがられて運よく採用されました(笑)
応募してみるもんですね。留学は面白く良い経験になりました!

帰国後も、課題や展覧会用の作品を作る生活に戻りましたが、留学中に洋画や現代美術ばかり観てきたせいか、反動で古典的な日本画にのめり込んでいきました。そのまま卒業後は、勢い余ってそのまま大学院にも入り、より専門的な勉強や活動をしていました。なので気が付いたら、日本画の学生として典型的なアカデミックなルートに進んでいましたね(笑)

当時の制作スペース
美大での卒業展。今よりずいぶんスマートです(笑)ちなみに絵のモデルは妻です。


Q7.大学院修了卒業後の活動について教えてください。

ざっくり説明しますと、社会人になった当初は「教員」として、大学の助手や、高校の美術の講師など、絵を教える仕事に就きながら、画家を目指していました。教員免許は取っておいて良かったです(笑)
それらの仕事をしつつ、画家としての自立を目指して、展覧会への出展や、個展やグループ展を開くなど、細々とした作家活動をしていました。
そしてその後、二十代後半に方向転換をして、ゲームのデザイナー職を目指すことにしました。
なので、ゲーム業界に入ったのは、他の人よりもかなり遅いんですよね。


後編へつづく!


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