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本当に責めるべきは?

物事に対して本当に責めるべきことって、たぶんある。

もちろん裁かれるべき存在は誰か?というのは裁判官の仕事なので僕はそこを語らない。

法律の話ではなく、どうか一哲学かぶれの世迷言としてこの話を聞いてくれたら嬉しい。

「Bさんが殺害されました。容疑者のA氏はBさんの恋人関係で…………」

取り調べ中の加害者Aくん「誰でもよかった」

うむ、人命が失われた。

悲しいことだ。

この場合原因はなんだろう?

誰を責めるべきなのだろう?

人を殺すまで狂える相手に対して最高の自衛をしなかった被害者側?

それとも自制ができなかった加害者側?

別のケースがあったとして、もし殺された被害者が子供だった場合はどうなる…?

子供が悪だなんてそんなことはないはずだ…

僕の見解はこうだ。

「上記に登場した人は全て誰も悪くない。」

答えは一つではないけれど

僕はこれに対していつも「社会」と「その環境を作ってしまった民衆」(つまりそのニュースを見ている側)だと思う。

そしてもっと言えば加害者側にそう思い込ませてしまった思考構造を創り出した卑屈な人類史自体を責めるべきだ。

つまり"自分の思い通りにならない相手は殺すとなんか良いらしい"と思いついた大昔の大馬鹿者を責めるべきだ。

「プールで子供が事故死しました。」

うむ、子供の未来が潰えた。

悲しいことだ。

この場合誰を責めるべきなのだろう?

子供の危険察知能力の欠如?

親の管理能力の杜撰さ?

プール運営側の施設管理能力の無さ?

違う。

"水に入って遊んだらなんか楽しいと考え、その文化を広めた間抜けな先人"を責めるべきだ。

「議員による横領がありました。」

うむ、国の信用がなくなった。

恥ずべきことだ。

この場合誰を責めるべきなのだろう?

議員の我欲?

バレなければ犯罪ではないという思考?

違う。

大昔に"金銭という価値を生み出した強欲な個人"を責めるべきだ。

「大きな地震がありました。それにより治安が悪化し…」

この場合人間の悪性を責めるべきだろうか?

人間の本質は悪で…

それ以外には…

いいや違う。

地球がそういうふうにできているのことを責めるべきだ。

ありとあらゆるケースの危機的状況が起きなければ、人は醜い面を"あまり"多く出さずにも済む。

しかしどうあったとしても、それこそ自分を殺してでも他者を侵害してはいけない。

僕はこのことをnoteで何度も言っている。

それはあなたがこれから自他に抱く愛情の為に。

さて、ここまで(極小規模ながらも)振り切った還元主義的な思考を持ったとしても

それはなんの救いにもならない。

そんなものなんの意味も持たない。

だが

少し考えてみてほしい。

これを読んでいるあなた方の力を

少しだけ僕に貸してほしい。

僕の住処である暗い洞穴を照らす一つの蝋燭になるであろう

あなたの言葉をどうか

僕に手渡してはくれないだろうか?

よく聞いてくれ。

「今の僕の悲しみは

一体誰を責めたら良いというのだ。」

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