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笑いについて。
今日家で人と話していて思ったことがある。
それも血の繋がった人間とだ。
「どうしてこの人たちはいつも僕を馬鹿にして笑いを取るのだろう?」
いやはや、僕ほど聡明な人間がこの疑問を抱くまでにまでに30年もかかってしまった。
恥ずべきことだ。
当たり前を疑わなさすぎたのだ。
まさに哲学者失格!
これから歴代全ての哲学者に謝りながら生きていこう。
今日この瞬間から唯一の自称から何もかもを一切剥奪されてしまうのだ!
最近ようやく気が付いたのだけれど
僕はどのコミュニティに置いても例外なく馬鹿にされ、笑いものにされる才能を持っている。
僕が3人以上のコミュニケーションの場にあまり長く居るたがらないのはその為だ。
消えかけの蝋燭のようになってしまった自尊心が更に消えそうになってしまう。
いやはや、そういう風な言われをするような立ち回りをしてきた僕が悪いのだろうけれど。
僕に酷い仕打ちをする人ほど、ここぞというときに情けのない顔をしながらヘコヘコ頭を下げて僕の中の情を引き出そうとしてきたり、頼ってきたり、「もっと自信持ちなよ」とも言ってきたりなんかもする。
「本当に君は優しいよね」とも。
正直、
「?」
だ。
普段馬鹿にして笑いものにしてきた人間を頼ってきて本当に手を差し伸べてくれると思っているのだろうか?
助けを乞うなら普段からそれなりの尊重の仕方というものがあるのではないだろうか?
普段から相手に対して"緊急時には助ける気にさせるような接し方"をしていないのにどうしてそんな情けのない声で縋れるのだろうか?
普段僕を口汚なく罵っているのに「自信を持て」だなんてどの口が言うのだろうか?
一体全体誰のせいでこんな醜くて卑屈な化け物が生まれてしまったのだと思っているのだろうか?
優しいんじゃない。
あなた方の前で失敗したらどんな目に遭わされるかわからないからとても怖いのだ。
普通の人間からするとそれは恐怖には見えない。
僕のカモフラージュは完璧だ。
だから一見それが優しさに見えるのだ。
未だかつて誰1人としてこの仕組みに気がついた人間は居ない。
たとえそれが肉親であったとしても。
と思っていたが、その"不出来な十字架が建てられた場所で、喜び勇み障害者に石を投げる会"から逃げて、近くの公園で無い頭を振るってみた。
するとどうだ、新たな知見を得た。
連中はそもそも僕にはなんの能力がないと思っているのだから
こちらが必死になって心も身体も両手で絞って無理してまで別に助けなくてもいいのだ。
普段からずっと僕なんぞに助けてほしいと思っていないから自分より下の段の引き出しに僕を入れて、卑屈な気持ちになったら取り出して粗探しをして安心するのだろう。
その為の役割だったのだ。
「楽しい話ね」でいいじゃん。
と、ある人は言う。
僕のよく知る人だ。
「楽しい話ね」だって?
そりゃ"お前らは"楽しいだろうな。
俺がどんな気持ちで生きてきたか知ってるか?
俺がどれほど惨めな気持ちで朝起きて、どれほど陰鬱な気持ちで夜眠ると思う?
なぁ、答えてみろよ。
お前らのような無学無自覚無教養無………
いや、よそう、もうこれ以上は。
僕がもっと惨めな気持ちなる。
やはり他者との和解も調和も共存も無理だ。
もういいではないか、僕が惨めな思いをしていても
誰かが一瞬でも笑っていてくれたらそれで。
余程の出来事が起きない限りにはこの考えは変わるまい…
何もかもが、もう遅すぎた。
そうさな、変わるなら
それこそ空が落ちてくるような………
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