運動の継続を阻害する、根強い苦手意識。その正体。
5:20 執筆スタート
おはようございます。今日もここまで来ました。
昨日は運動をしました。友人とバスケット。30分ほどゴールに向かってボールを投げていただけです。向上心もありません。懐かしさと軽く汗を流すだけの運動です。怪我なんかしようがない、疲労感もない。その程度の運動ですが、やってよかった。
一人で散歩もいいのですが、やはり複数でやる運動は楽しい。会話も弾むし、いろいろな予期できない動きもあって、飽きません。ボールがリングのどこに当たって外れるかなんて、今の自分にはわかりませんから。ボールを追っかけているのが楽しいんですよね。
運動とメンタルの関係性は研究結果が出ていて。その効果を実感しています。そして、それと同時になぜ運動が苦手なのもわかってきました。
運動=体育の授業あるいは部活。というイメージが根強くついているから苦手だったんです。30代後半にさしかかり、大会に出る機会なんてありません。大会で勝つ。地区大会を突破し、全国へ!みたいなスラムダンクのようなストーリーが目標になければ、あんなにきつい練習に耐えれません。
運動=きつい。というセットは外すのが大変です。一度でも体育会系の部活に入ったらわかると思います。文化部でも、陸トレとかしている人みてましたかね。フラフラになりながらやっているじゃないですか?そりゃあ、苦手意識もつくわけです。
我々には、大会がない。勝つことも負けることもない。その場合にやるモチベーションって、なんでしょう?
私はようやく答えがわかりました。気持ちいい汗をかくことです。ただそれだけです。私の好きな、岩盤浴に入ったときと同様の汗をかいたら、その時点でやめる。これを目的にしたらいいんです。技術の向上なんかじゃありません。健康的な体づくりでもありません。
ただ、気持ちいいシャワーをよりよく浴びるために。あるいは、お腹を空かせて昼食を美味しくいただくために。運動、その行為自体を向上させるのではなく、その後にやる楽しみを増やすためにやるんです。
楽しみの反対の言葉はなんでしょう?苦しみ。でしょうか。苦痛ということばがありますね。運動でいうと、痛みの方がイメージがしやすいです。
バスケットに慣れていない人が、思いっきり地面を踏んで、ジャンプしたら、その時点で体に反動がくるし、着地の衝撃をヒザで受けることもできません。クッションもなく、ドーンとくらっちゃうわけです。痛いんですよ、これが。
私は痛みに強くないので、痛いと足が止まります。痛みを感じたら、やりすぎです。なにごともそうです。痛みを感じると、気持ちいい汗が、一気に冷や汗に変わります。冷や汗はシャワーで流しても気持ちよくないんです。不安が募る一方。
痛みがあってこその成長。というのは、今の私には合わない考え方です。例えば筋肉痛は、運動して後から修復しようとして発生する痛みですから。それはOK。運動中に感じる痛みは、これ以上やってはいけないサインです。
体は正直です。30分バスケットをして、少し休憩をしたら、もう動かなくなりました。ストレッチと散歩を望んでいたようです。いい天気だったので、汗もしっかりかけましたし。タオルで拭いて、着替えられれば痒みもでません。快適快適。
運動=苦しみ。この公式が体に染み付いているから。運動を楽しめないんです。学生時代にも、昼休みの運動を楽しくやっている奴らがいましたが、そんな人たちを見て、
嫉妬は好きの裏返しですから、本当はちゃらちゃらしたかったんでしょうね。私は、ルックスもメンタルもチャラチャラするのが似合わなくて。憧れていたんでしょう。
歳を重ねるのはいいことです。今私がバスケットをしていても、だれもチャラチャラしているとは思いません。「おっさんが体を重そうに運動してるよ。。怪我だけはしないでくれよな。」という温かい?目線をくれるはず。年齢が世間に追いついてきた瞬間です。ちゃんと期待に応えるよう、無理はせず、談笑しながらシュートを放っています。
年相応の運動の形があるんですよね。それに気づくことができるのがよい。
もちろん、昔の記憶がふっとよぎることもありますよ。あのシュートを決めていれば。もっとチームのことを考えていれば。伸ばすべきはこっちの能力だったとか。
でも、もう取り返しはつきません。同じことを目指したら、体を壊します。同様に、自分の息子にそれを目指させたら、息子を壊します。だから、誰にも求めない。自分だけの、この切ない後悔をするのに、学生時代の運動を今やるのはピッタリだと思います。
後悔のないように生きるために、今できる後悔を痛気持ちいいくらいに加減して行うのが、“大人のたしなみ”というやつなのかもしれません。
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