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てれび

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2022年2月の記事一覧

『あまちゃん』を批判する。その六。

先日、立教大学新座キャンパスで、黒沢清監督と篠崎誠監督と共に登壇させていただいた際、篠崎監督から質問があり、『あまちゃん』の問題点について少し述べたのだが、あらためてこのドラマについて考えている。
『あまちゃん』は時制で言えば、震災直後から急速に失速した。それまでキープしていた批評的視座をいとも簡単に放棄し、古色蒼然とした、かつていくらでも存在した共同体のドラマへと回帰した。
「だれも死なない地震

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『あまちゃん』を批判する。その五。

9月の「あまちゃん」がことごとく駄目だったのは、別に宮藤官九郎を擁護するわけではないが、演出の放棄にその理由があったと思う。とりわけ、トンネルを出たときの橋本愛の顔の反復は醜悪だった。あれは、ドラマが現実(というか世間)に媚びた(つまり、ひれ伏した)瞬間に他ならず、まさに「みなさまのNHK」そのものであったと思う。
9月がああした内容にしかならなかったのは、もちろんNHKとの話し合いによるものだろ

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『あまちゃん』を批判する。その四。

「あまちゃん」は、能で言うところの、序、破、急の三部構成で展開している。序は、6月まで。破は、8月まで。
序は、地方人による地方蔑視を、悪意ではなくスポンティニアスな「くすぶり」の発露として、実はそれらが大きな意味での郷愁の裏返しであることを、テレビドラマにだけ許されたサンプリング手法によって、あからさまにした。厚木という「郊外」生まれの小泉今日子を中核に置いた作劇は、その意味できわめて批評的であ

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『あまちゃん』を批判する。その参。

震災一週前の「あまちゃん」はかつてないほど退屈だった。荒巻も春子も鈴鹿ひろ美も、みんな陳腐だった。狙いはわかる。わかるだけに普通のドラマに堕してしまった巻は否めない。
そして困ったことに水曜日までしか観ていないが震災週がつまらない。どうして震災を扱うとこうなってしまうのだろう。かなりがっかりである。
クドカンの限界なのか、NHKの限界なのか、日本の限界なのかわからないが、あと三週でどこまで這い上が

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『あまちゃん』を批判する。その弍。

本日発売の「週刊金曜日」p47に『あまちゃん』批判を執筆しました。
p46には別なライターの方の絶賛記事が掲載されているので対比の明瞭な見開き構成です。
おそらく宮藤官九郎の作品でなければここまで危機感をおぼえることもなかったでしょう。

震災をめぐるフィクションでまともなものはほとんどあらわれておりません。
映画で言えば松江哲明監督の『トーキョードリフター』、岩井俊二監督の『friends af

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『あまちゃん』を批判する。その壱。

あまちゃん最大の問題はメタフィクション構造をまっとうせず放り出してしまった点にある。エヴァやまどマギでは重要な争点になるこの部分を無視して震災ですべて帰着させたことがぬるすぎる。
あの小泉今日子がアイドルになれなかった女の子を演じ、演劇人たる古田新太が下北沢をディスる。これはお遊びではなくメタ、つまり批評性に他ならなかった。もしあれらがお遊びだとしたら、九月の震災以後の世界もお遊びにすぎない。

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