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いつか見た風景 91

「老人のジレンマ」


 あなたには黙秘権があると言われた。但し、正直に事件当夜に起こった事を証言すれば司法取引に応じてもいいと。まるですっかり犯人扱いだ。私はいい年をして泣き出しそうだった。何しろ記憶が曖昧で、その夜の私の行動などはっきりとは覚えていないのだ。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「迷宮に引きずり込まれて行くような気がする」


 はじめに音楽があった。鳥のさえずりやオオカミの遠吠えのような。或いは猿やラクダやイルカの鳴き声のような音楽だ。人間たちも全く同じだよとチャールズ・ダーウィンが洞窟の出口の向こうで吠えていた。全てのはじまりは音楽的な原形言語で、その後に音楽と言語という2つの別々の形質に分かれたと彼は自説を懸命に伝えたいのだ。人間たち特有の何か必要に迫られたに違いないなと、私は直感した。

 音楽は主には求愛行動に代表されるような感情を伝えて来た。勿論仲間たちに危険を知らせる事だってあっただろう。情報伝達と言う意味では獲物を見つけたり、日が暮れるからそろそろ安全な棲家に戻ろうかといった連絡業務的な音楽ももあったはずだ。ちょうど夕方頃に子供たちを帰路に着かせるために街で流れる音楽のように。

 言葉の独自の発達は、主には大人たちの悪巧みや騙し合いによって加速度的に進化して来たはずだ。何かの利益を得るために、自分が優位に立つために、仲間たちを統率してグループや社会でのパワーを強化するために、それぞれに必要な物語を複雑に構築する言語と言う奴が必要だったに違いない。

 

「君は私の話を真面目に聞いてくれる稀な存在だな」


 先週末にショートステイで私が滞在していた施設での出来事だ。夕食後にたまたま隣り合わせた者同士の他愛もない会話から自然発生的にその大事件は生まれていった。

「どうやって売ったの?」 
「息子のヨメに頼んだのよ。ほらスマホで簡単に出来るからって」
「ナントカって買取店じゃダメなの? コマーシャルでよくやってる」
「全然簡単だから、写真撮るだけ、わざわざお店に持ち込まなくていいの」

「それ知ってるよワタシも、値段もこっちが勝手に付けていいんだろう?」
「でもそこが難しいんでしょ、高すぎたら売れないから」 
「逆も結構あるってよく聞くぞ、もっと高くしても売れてたって」
「正解はどこら辺なの? 適正価格って言うか、どうやったら分かるの?」

 どうやら婆さんの一人が義理の娘に頼んで私物をスマホで売ったらしいんだ。それも結構な高価で売れたって。私物が何だか聞きそびれちゃったけど、とにかく亡くなった旦那さんとの思い出をある事ない事適当にコメント欄に加えたらあっという間に売れたそうなんだ。決め手はエピソードだって彼女は得意げに話していたよ。

 それから30分も経たないうちに私の目の前で5人の爺さん婆さんからなる非合法でアンダーグラウンドな秘密の組織が立ち上がってしまったんだ。スマホの得意な爺さんが、話題を提供してくれた婆さんの息子の嫁さんに一度アプリの講習を受ければ後は簡単に事業展開出来るはずだからって。そもそもその爺さんと婆さんは前からちょっと噂のあった仲なんだけどね。ともかく2人が中心になって、その場に居合せた爺さん婆さんが妙に盛り上がっちゃったんだよ。実のところ私もちょっとは火に油を注いだんだけどね。

 最悪だったのは、その火に油を注ぐ私の能力を皆んなが過大評価した事だよ。こんなに話を盛り上げるのが上手いんだからって、皆んなが集めた私物やら不用品に買い手の気を引くエピソードを付け加えて欲しいって。つまり商品の魅力を最大限に引き出すコピーライティングを頼まれちゃった訳なんだ。まあ、その時は私も正直どれくらい自分の実力が本物かって、知りたい欲求に駆られていたりもしたんだけどね。

 それぞれの爺さん婆さんも同じじゃなかったのかな。自分でもまだまだ何かの能力を発揮できる分野があるんだってね。売れ筋の商品を集める能力、それを売り捌く画期的なシステムを使いこなす能力、さらにそれぞれの商品価値を最大限に高める能力と誰にも気づかれずに在庫管理を遂行する能力。そこで調子に乗った私は、その場で思いついたこのアンダーグラウンドな組織の名称をでっち上げた。プロジェクト・ステイ・ブリリアント(project stay brilliant  素晴らしき輝きのままで」と。


「プロジェクト・ステイ・ブリリアントの発足祝賀会でもやろうか!」


 古いカメオのブローチに年代物のブランドのスカーフ、白磁の香炉にシルバーゴールドのカフスボタン、有田焼の大皿に作者不明の水墨画、スカラベが彫り込まれた銀製のペーパーウェイトに相当古い一眼レフ。こんなものどこからかき集めて来たんだって代物が次々と集まった。

 深夜に密かに撮影会が行われて、私がそれぞれヒアリングした話をドラスティックに加工した。例えばそうだな、カメオのブローチは1914年頃にアメリカの詩人で、有名な美術収集家のガートルード・スタインがパリのサロン時代に画家のアンリ・マティスから貰ったものを祖母が密かに手に入れたとか、カフスはその時のお礼に彼女がマティスに渡しそびれた一品だとかさ。

 確証は持てないけど、それぞれ架空のエピソードが不思議な力に導かれ、その素晴らしき輝きのまま買い手の心に届く事を願った。そこで物語の個人的なセンチメンタルバリューを更に高めて、出品する全てのアイテムの時代背景をパリのサロンで行き交ったエピソードに統一する事にした。一眼レフはヘミングウェイが主にお気に入りの女性を追っかけ回していた時に使用した私物。白磁の香炉はピカソがご法度の白い粉をお香のように吸い込むための器具。それから作者不明の水墨画は実は公式に時間が溶け出す前のダリの習作…と言った具合にね。


「ご法度な技法の中にこそ革新が宿るんじゃよ」


 出品する作品、いや商品の入手経路に問題があったのか、誇大広告的な指摘がサイトの運営会社辺りから出て来たのか、或いは在庫管理に根本的な問題があったのかは定かではないが、とにかく秘密のプロジェクトの存在はあっという間に施設のスタッフの知るところとなり、私を含めた爺さん婆さんの5人は取り押さえられ、それぞれ個別に取り調べを受けるハメに陥った。

 正直に話せば罪には問わないと言う。何でこんな事をしたのか? 誰が首謀者だったのか? 他にも協力者はいるのか? そもそも目的は何か? きっとそう言う事を聞きたいんだなと思った。いつものように軽口を叩いたり適当に話をでっち上げたりしてその場を切り抜ける事は簡単だった。だけど私はなぜかそんな気持ちにはならなかった。黙秘権を行使して、しばらくの間私は黙ったままでいた。皆んなは大丈夫だろうか。今頃どんな話しをしているんだろうか。捕まっても本当の事は言わないって約束を、皆んなはちゃんと覚えているんだろうか。



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