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いつか見た風景 75

「歪曲の調べ」


 空虚な物語が私の口から飛び出してリビングのあちこちに浮遊する。その調べが時に大きく誇張され歪曲されている事を私は密かに熟知しているのだが、敢えて修正を加えるような事はしない。なぜなら私は、自分が思う以上に私自身を愛おしく思っているからだ。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「私たちの関係も色々と変化して来たけど、今後はどんな感じがいいかな?」


 私の家では、私と等身大の怪物の目撃情報がこれまで100件以上報告されている。その上この未知の生物の存在を示す明らかな科学的な根拠も今だに見つかってはいないのだ。目撃者の多くはその怪物がどこか私に似ていると証言しているので、私にとっては実に不愉快な事でもあった。しかし同時に私自身もその目撃者の一人でもあり、彼らの言わんとする事は充分理解出来た。似ているのだ。どこか私に似ているその怪物を、私自身が何度も目撃しているのだ。

 木曜日、私は急遽その怪物の正体を探るべく研究探査合同チームを立ち上げる事にした。チームの本部は日頃お世話になっている介護施設のヘルパーステーション内に設置しようと考えた。何しろウチのリビングは目撃情報の多発地帯でもあるからね。調査対象エリアの只中に本部を設けるなんて愚行を犯すほど私もボケてはいないよ。月曜から金曜まで3人の馴染みのヘルパーさんたちがローテーションで我が家に出入りしている事もあって、直接彼女たちを口説いて何とか許可を頂く事が出来た。それにここは私がショートステイで何度もお邪魔していている場所だから、医療スタッフや配膳スタッフとも気心が知れていて、チームに不可欠な優秀な人材をリクルートするには都合が良かったんだ。そして何より大事な事だが、ここはとにかく居心地がいい。

「聞き取り調査の結果はお手元の報告書にありますが、簡単にご説明致します」

 口火を切ったのは木曜日のヘルパーさんだった。彼女は月曜日も担当しているから週2回は私と顔を合わせている。もう一人、火曜と水曜を担当しているベテランのヘルパーさんも同席した。それから施設に常駐している若い女医さんと愛想の良い配膳係の中年男にもスタッフとして加わって頂いた。後から知った事だけど、私が勝手に配膳係だと思っていたその男は実は施設の調理を一手に引き受けている専門の料理人だった。味や匂いや温度状況、それから様々な成分分析や状況観察等から導き出す彼独特の分析力は周囲から一目置かれ、まるで科捜研の主任クラスの知識と雰囲気があった。そうそう、言い忘れたが、チームの最初のミーティングのその日、残念ながら私の大のお気に入りの金曜日のヘルパーさんはスケジュールの都合で不在だった。


「研究探査チームの初顔合わせだよ!」


「これまでのところ、目撃情報の70%はリビングで、それもその殆どのケースが深夜の時間帯となっています。しかし同時にこれはタカオさんの言うところのタカオさんの息子を名乗る怪しい男の証言でもあることから、現段階ではそのパーセンテージの大きさや証言に見られる象徴的な現象を鵜呑みにするのは早計かと思われます」

 さすがに私が任命した精鋭のスタッフの一人だ。実に的を得た見解だった。彼女は私の顔を一度見て、私が満足げに笑みを湛えている事を確認すると報告を続けた。要点は次のようなものだった。まずは残りの30%の目撃情報の詳細を吟味して、その中に潜む共通点や見逃しがちな小さな痕跡を先に検討すべきだと。

「残り30%で言うと、ここに上がっている宅配業者やケーブルテレビの定期検査員、それにマンションの回覧を届けに来た704号室の奥さんとかですね…」と科捜研の主任の男が言った。そう、704号室の奥さんは回覧のついでに夕飯にどうぞと麻婆豆腐の差し入れをしていた。次の日に皿の回収に行くと、得体の知れない未知の生物のような、まるで怪物に変身してしまったと思われる私の姿を目撃しているのだ。彼女の証言は報告書に下記のように記載されていた。

 お皿の中の麻婆豆腐は昨日より確かに量は減っていました。だけどそのお皿を受け取った時に、私は思わず息を呑んだんです。あれは確かにミステリーサークルです。お皿の上に残った麻婆豆腐で何だか不気味なミステリーサークルが描かれていたんです。それで、私が驚いてタカオさんの顔を見ると、さっきまでのタカオさんとはまるで別人でした。耳が尖って、目は白目が全部黒くって、笑っていましたけど何だか口も耳まで裂けていたように見えたんです。本当なんです。私の知ってるタカオさんなんかじゃありませんでした。

「704号室の奥さんは、例えばスマホとかで、その皿の写真を撮られてたりはしていませんでしたか?」と科捜研の主任が言った。ここの施設でもよくある事でと前置きをして、彼は続けた。出された料理で何か模様を作るのは珍しい事じゃない。密かにメッセージを誰かに伝えたいと言う無意識の行動だったりする事が多いと。更にその料理自体の味を極端に変えてしまっている場合、もっと切実な問題を孕んでいる可能性もあると。しかし残念ながら皿の上のミステリーサークルは既に処分されていて、実際にはその味もカタチも正確な確認は取れてはいなかった。


「ミステリーサークルにしか見えないって?」


 ケーブルテレビの検査員は、昼間にリビングでリモコンの調子やWi-Fi の設定 確認をしている時に、背後に得体の知れない気配を感じたと証言した。そこで彼が振り向くと、作業用に持ち込んだバッグの中から配線用のシールドのコードを取り出して、何本も体に巻きつけた宇宙人のような男が、不気味な笑みを湛えて踊っていたと。

 宅配業者の証言は更に衝撃的だった。荷物を渡そうと玄関前で待っていると、ドアの向こうから不思議な声が聞こえて来た。今から開けるけど目をつぶって絶対に開けるなと一方的に約束させられたと言う。聞いた事もないしゃがれたその震える声は、抑揚もなく無機質な信号音のようだったと証言している。ドアが開きしっかりと目をつぶって荷物を差し出すと「ハンコは消えた」としゃがれた声の怪物が言った。

 怪物に違いないと思ったのは異常な湿気を感じたのと、ピチャピチャと水滴の垂れる音がしたからだった。まるで今の今までシャワーでも浴びていた得体の知れないカッパのような生物が正体を見破られないように威圧しているように感じたと言う。とにかく怖くて目が開けられなかったけど、最後にドアが閉まる瞬間にチラッと痩せたカッパのような宇宙人の姿を確かに見た気がすると証言した。


「率直に言って君と私の共通点は全く見当たらんよ!」


 証言の共通点は明らかだった。一体どこの惑星から何の目的でやって来たかはさて置き、とにかく得体の知れない不審な宇宙人らしき生物が私の家の中に度々訪れている。その事はチーム全員の一致した見解だった。来週早々に2回目の報告会を開く予定を確認した。それまでに収集できる宇宙人の痕跡や周辺の目撃情報は手分けして集めて置くよう互いに確認した。

 帰り際に若い女医さんが私に近づいて、耳元に何か小声で伝えて来た。次回のミーティングの前に一度2人だけでお会いしたいんですけどと。明らかにデートの誘いだった。他のスタッフには聞こえないような音量で、2人だけで内密に話がしたいと。私は小さく頷いて、エレベーターホールへと向かった。心の奥底に金曜日のヘルパーさんへのある種の後ろめたさを感じながら。



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