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ペニー・レイン Vol.10

    4

 彼女がやってきたのは、十一月の寒風が吹きすさぶ日だった。
 それは、突然の嵐のような訪問だった。


 そのとき、ママはその日のメニューの材料を買い足しに行っていた。
 ドンドン、と店のドアを叩く人がいる。
「ごめんくださーい」
 女の人の大きな声がした。ぼくは、アパートの窓から顔を出して、下をのぞきこんだ。女の人は上を向き、ぼくと彼女は目が合った。
「こんにちは」
 彼女は、大きな黒い目でまばたきした。ママと同じぐらいの年だろうか。紫の帽子にそでのないパープルグレイのコートをはおって、なんだかおしゃれな人だ。
「ねえ、ぼく。お店はまだ開かないの」
 強い風が吹きぬけていく。彼女は、あわてて帽子を抑えた。コートのすそが波打ってひるがえる。彼女は、小さくくしゃみした。
「ちょっと待ってて」
 ぼくは窓を閉めると、お店まで降りていって、中から鍵を開けた。女の人は、ぼくが何も言わないうちに、するりとドアをくぐって入ってきた。
「ああ、寒かった! ねえ、ここで待たせてもらっていい」
 ぼくは、彼女の押しの強さに圧倒されて、おずおずとうなずいた。彼女は、腰に手を当てて、店の中をぐるりと見まわした。
「へえ、なかなかすてきな店ね。小さいけどステージもあるじゃない」


 一体、この人なんなんだろう。いきなり現れてこのなれなれしさ。ぼくが、どう反応していいか困っていると、裏口が開き、買い物袋をさげてママが帰ってきた。
「マーガレット!」 
 女の人は、ぱっと顔を輝かせて、両手を広げてママに抱きついた。
「わたしよ、わたし。グレース」
 驚いているママの顔をのぞきこんで、女の人がいたずらっぽく笑った。
「……ああ……グレース!」
 ママは、目を大きく見開いて、歓声を上げた。そして、二人は声ともならない声を上げて、しっかりと抱き合った。
「会いたかったわー。元気だった?」
 グレースは、ママと抱き合ったまま、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
「まさか、まさか、また会えるなんて! よくここが分かったわね」
 ママは、何度も何度もグレースを抱きしめながら、興奮している。
「探したわ。いろんな人に行方を聞いて」
「遠いところ、ありがとう。寒かったでしょう。さ、かけて。ゆっくりしていって。何飲む? コーヒーでいい?」
 ママは、ばたばたとキッチンに向った。
「ありがとう。ミルクはなしでいいわ」
 グレースは、コートを脱いでカウンターに座ると、改めてぼくを見た。それから、紹介を求めるようにママに視線を戻した。
「ああ……息子のディッキーよ」
「はじめまして。ディッキー」
 彼女は、すっと立つと、ぼくに手を差し出した。
「わたしはグレース。ママの古い友達よ。ニューヨークから来たの。よろしくね」
「よろしく」
 ぼくは、グレースと握手した。細くて、長くて、やわらかい手だった。
「今は、どうしてるの? どうしてまた、突然ロンドンに?」
 ママの注ぐコーヒーから湯気が立ち上る。グレースはふふ、と笑った。
「あの頃アルバイトをしていたラジオ局は辞めて、今は小さなレコード会社にいるわ。一応、肩書きはプロデューサーっていうのかな。レコードの制作に携わってるの。あんまり売れてないんだけどね」
「すごいじゃない! 夢だったものね。いつも言ってたじゃない。『わたしはゼッタイ、音楽プロデューサーになるんだ』って」
 ママは、グレースの口調を真似して、それから二人は声を立てて笑った。
「でもそんなカッコいいもんじゃないわよォ。もう、小さな会社で、経営は火の車。ほんとに雑用から何から何までやってんだからぁ。やっととれた長期休暇でロンドンに飛んできたのよ」
 グレースは、一気に言ってコーヒーをすすった。
「ああ、おいしい」
「でも……本当によく、来てくれたわ」
「そうね、十年ぶりね」
 ママとグレースは、見つめ合った。グレースはふと、指で目元をぬぐった。
「やだ、どうしたの」
 ママはやさしくグレースの肩に手を置いた。
「だって、だって、とても心配したのよ。連絡先もわからなくって、あれからどうしたのか、ずっと気になってたのよ」
「……心配かけてごめんなさい。わたしも落ち着いたら連絡しようと思ったんだけど」
 うつむいたママのまつ毛が、うっすらとぬれた。
「いいのよ。今、こうしてまた会えたんだから。……がんばったのね」
 グレースは、ママのほおに手を当てた。ママは、首を横に振ったり縦に振ったりして、声をつまらせた。二人は、しばらく黙ってぐすぐすと泣いていた。ぼくは、なんかその場に居てはいけないような気持ちになって、そろりそろりとドアに向った。
「ぼく、宿題があるからやってくる」
 そう言うと、静かに店の戸を閉めた。


 ママの古い友達。ぼくの知らないアメリカでのママを知っている。きっと、ぼくの〝パパ〟のことも。
 ぼくは、窓を開けて、寒空の街を眺めた。ほっと息を吐くと、真綿のように真っ白くなって空へ消えた。

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