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ペニー・レイン Vol.18

 歌い終わると、ぱちぱちぱち、と小さな拍手が聞こえた。
 ぼくは、びっくりして音のしたほうを見た。マンションの二階から、女の子がこっちを見ていた。どこかで会ったことがある。そうだ、ぼくの店の前に姿をあらわした、あの子。
「あなた、歌がとっても上手なのね」
 女の子は、窓のへりにひじをついて、首を傾げて笑った。
 ぼくは、バランスをとりながら屋根を歩いて、彼女の窓の近くまで行った。
「きみ、いつかぼくの店の前に来てたよね」
 ぼくが言うと、女の子は、目を丸くした。
「あのお店、あなたの家だったの」
「そうだよ。ママがやってる。夜しかやってないけどね」
「そう……」
 女の子はうつむいた。そしてふと、窓から身を乗り出して言った。
「ね、何かほかに歌って」
「んー、そうだなぁ、じゃあ…」
 ぼくは、ぐるぐると頭の中で選曲して、夜に合う歌を思い浮かべた。そして、「バードランドの子守唄」を歌い出した。サラ・ヴォーンが歌った名曲。彼女も知ってたようで、うれしそうに手拍子した。間奏のドラムのところは、屋根の上をタップした。スキャットのところ――シャダバダバ、デュビデュバ ティラララ…のところは、彼女もいっしょに鼻歌を歌ってくれた。
 歌い終わると、ぼくらは、顔を見合わせて笑った。
「ありがとう。今日、ちょっといやなことがあったんだけど、なんか気分が晴れたわ」
 女の子は、にっこり笑った。
「ぼくもだよ」
 そして、ぼくらはもう一度、顔を見合わせて小さく笑った。
 やっぱり、世の中そう悪いことばかりじゃないって思う。
 ぼくは、屋根の上から彼女におやすみ、を言うと、うきうきした足取りで、自分の家に帰っていった。
 ぼくのマンションに、すごい勢いでキムが飛びこんできたのは、それから数日後の曇りの夕方だった。
「タイヘンだぁ!」
「何だよ、ノックもしないで」
 ぼくは、ベッドに寝転がってマンガを読んでいた。キムは、手をひざにかけて中腰で息を切らしている。
「今さ、買い物に出たらさ」
 キムがあえぎあえぎに言うところによると、開店前の店に、見たことのない男の人が二人が入っていった。気になったので、裏口にまわって中をのぞいたら、彼らは店を見まわしながら、店の構造がどうのこうの、と話しをしていたらしい。
「で、一人がもう一人に向ってこう言ったんだ。少し改造すればプールバーも無理じゃない、って」
 キムは、そこまで言って、息をついた。
「なんか、着々と今後の計画を考えてます、って感じだったぜ」
「それで、それでママは何か言ってた?」
「何も。でも、じっとくちびるをかんで、なんか複雑な顔してたぜ」
 ぼくらが、ごちゃごちゃしているうちにも、大人の時間は別の次元でしっかり進んでいってしまう。ぼくは、だんだん店の中が黒く染まって、ビリヤードの台が無遠慮にドンドン上から降ってくる幻想を見た。
「ついに来たか……」
 ぼくは、両手を広げてベッドにばたん、と倒れた。
「なあ、こりゃヤバイよ」 
 ぼくは、キムの言葉に返事をしないで、じっと天井をにらんだ。
「おい、聞いてるのか?」
 キムがわきをつつく。ぼくは、がばっと飛び起きると同時にベッドから立ちあがった。
「ママに聞いてくる」
 ぼくは短く言うと、一気に階段を駆け下りた。キムもあとからついてくる。ぼくは勢いよく店のドアを開けた。
「ママ」
 ぼくは、つばをごくりと飲みこんだ。
「キムに聞いたんだけど。ついにこのお店、売るの」
 ママは、料理を準備していた手を止め、カウンター奥から出てきた。
「ディッキー」
 ママはぼくの頭をなでてから、後ろに立つキムの頭もなでた。
「聞いてたの、キム」
「おばさん、ここすぐなくなるの」
「二人とも、落ち着いて」
 ママは、このお店はすぐにはなくならないわ、と言った。でも、ぼくとキムがよっぽど納得しない顔をしていたんだろう。こう付け加えた。
「とりあえず来年の三月ぐらいまでをめどにって」
「三月!」
「お店の権利は?」
 キムの質問は冴えている。ママは、ここでぐっと黙った。それから、ゆっくり口を開いた。
「年内には新しい経営者に譲り渡すことに……」
「年内 」
 ぼくとキムは、同時に叫び、そのあとしばらく口が閉じられなかった。
「年内っていったら、あと、一週間ぐらいじゃん!」
 キムがママに一歩つめよった。
「でも、お店がなくなるかどうかは、まだ保留なのよ」
「ほかの店の計画の話もしてただろ」
 キムは追求を止めない。ママはぴしっとした口調でたしなめた。
「それも、未定のことよ」
 さらにこう続けた。
「わたしだって、ここが簡単になくなっていい、なんて思ってないわ。新しい経営者の人ともよく話し合うつもりよ。これは、大人同士の問題なの」
 ぼくとキムは、じっとママを見つめた。ママのぴりっとした顔がだんだんやわらぐ。
「あなたたちの気持ちはよくわかったわ」
 ママは、ぼくとキムのおでこに交互にキスをした。
「さ、今日はもう気持ちを落ち着けて。おやすみなさい」
 ぼくは、キムをアパートの下まで送っていった。

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