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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.66 第七章


 カケルさんが、結婚してたことがあるなんて、初めて聞いた。お母さんも、そんなこと言ってなかった。

「三年前に、別れたんだ」

 それについて、どう返したらいいのか分からなくて、圭はただ口をつぐんだ。黙ってしまった圭を見て、カケルさんは続けた。

「おれは家族っていうのに向かないんだ。たぶん」

 そう言って、軽く、はは、と笑った。声だけで笑った、という感じで、それはもちろん、圭の気持ちをほぐすためだけの笑いだった。

 大人は、時々、本当のことを隠す。
 家族に向く、向かない、ってあるんだろうか。前の奥さんと別れちゃった理由が、カケルさんが家族に向かないこと、っていうのは、一瞬理解できそうで、でも、よく分からなかった。何か、向かないという言葉で、理由をすり替えているようにも聞こえるし、その別れた人のことをかばっているようにも思えた。
 どちらにしても、本当のことを言っていない、と思った。

 お父さんについても――。

 圭は、暗さを増していく夕闇の中で思った。
 一緒に暮らせない人だった、って、お母さんは言っていた。今は、その理由は言えないけれど。お母さんと圭とは、一緒に暮らせない人だったんだ、と。どうして? と、地面に絵を描いていた手を止めて、お母さんの顔を見ると、お母さんは少しだけ笑って、いつか話せる時が来たら、話すね、と言った。

 どうして、大人は本当のことを隠すんだろう。
 炭の周りが、ちりちりと赤く燃えて、半透明になっている。黒かった炭が、静かに赤く燃えている。火をつけたことで、どんどん変わって、姿を変えていく。
 そっけない黒いかたまりに見えても、中身は赤く燃えている。
 天から、何かのひらめきが降ってきたかのように、圭ははっとした。

 もしかして、大人もそうなんじゃないだろうか。カケルさんも、お母さんも、自分の中の本当のことは、心の中に持っていて、火をつけてくれた相手にだけ本当の心を見せる。

 炭のかたまりの一つが、ことん、と崩れて、小さな火の粉がふわぁ、と舞った。
 圭は、突然立ち上がった。それから、暗くなって、もう空と海の境界線が見えなくなってしまった闇に向かってぽつりと言った。

「ぼく、このままカケルさんと、ずっとキャンプをしながら、旅したい」
 突然の発言に、カケルさんは、しゃがんだまま口を半開きにして圭の顔を見上げた。

「誘拐から、旅か」

 それから、ふっと笑って言った。
「それも悪くないかもな」

 カケルさんは、残りの食材をのせてから、炭を中心にかき集めた。
「でも、だめだ」

 圭が、意外な顔を向けると、カケルさんは少し真剣なまなざしで圭を見上げた。
「お前は、まだまだ知らないことがたくさんある。もうちょっと、学校で勉強して、知恵をつけなきゃ」

 急に、つまらない大人のようなことを言うので、圭は少しがっかりした。
「学校じゃ何も教えてくれないよ。勉強以外は」
 圭は、ムキになって言い返した。本当は、さっき考えていた、大人の本当の心の中のこと、それから、自分がもっと深みに入っていきたい、とほのかに思っている自然と虫のことなど、色々な思いが渦巻いていたのだけど、それらは全くうまい言葉にならなくて、圭ののどを詰まらせた。

「そんなに、学校がイヤか」
 カケルさんは、軽くため息をついて、網の上のソーセージを転がした。
「そういうわけじゃないけど」

 さっきまで、赤々と燃える炭と一緒にふくらんでいた自分の心が、急に水をかけられたようにしぼんでしまって、圭は途方にくれた。


 ここにいるのは、ちっぽけな自分で、今日、学校に行きたくない、と逃げてきた自分だ。
 ちょっとしたことでも勇気が出なくて、すぐにおなかが痛くなる自分だ。  全く強くもなく、堂々としていられず、好きなことが何なのかはっきりしない、情けない自分。
 圭は、急に悲しくなった。


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