【連載小説】「緑にゆれる」Vol.10 第二章
「そう言えば、先月、カケルさんが来てくれました」
美晴が屈託なくそう言ったとき、計らずもマリは少しどきっとしてしまった。
「全然、変わってなくて。びっくりしました」
美晴の言葉と共に、昔の恋人の影が立ちのぼってきた。何年か前の飲み会では、人の目もあって、少ししか言葉を交わしていない。
「ほんと? まぁ、でも想像はできるよね」
由莉奈が、食後のコーヒーをひと口飲んで言った。
「最後に会ったの、四年くらい前かな。ちょうど私が結婚したあとで。そっちはどうなの、って聞いたら、何か、ややうまくいってないっぽかった」
「……別れたって言ってました」
由莉奈の言葉につられるように、美晴がおずおずと続けた。えっ、と三人で顔を見合わせた。美晴は、しまった、という顔をして、小さく口を押えた。
全然、知らなかった。
自分より、その事実を美晴の方が先に知った、という巡り合わせに、何だか釈然としない思いを抱いた。そして、その直後、その思いを抱いた自分に嫌気がさした。いやだな。もう、自分とカケルとは何の関係もないのに。そう思った矢先、美晴が言った。
千駄ヶ谷に制作事務所があるって言ってましたよ。マリは再び自分の胸が小さく鳴るのを聞いた。自分の家から、同じ沿線上ではないか。マリちゃん、家、近いじゃん! と由莉奈が言ったら、美晴が会社の名前まで教えてくれた。
電車の外を見る。車窓からは、ビルの間に緑がきらめいている。そのまま、新宿まで行くはずだった。伊勢丹で買い物をして、そのあとカフェで食事をして――。計画まで立てたつもりだった。けれど、電車が千駄ヶ谷駅を発車するベルを鳴らしたとき、マリの足は、すっとホームへと降りていた。すぐ後ろで、電車の扉は閉まり、マリは他の降車客に押し流されて、一人ホームに立っていた。
ここから、ほどなくの場所に、カケルがいる。
別に、今もどうこう思っているわけじゃない。言い訳するように、自分に言い聞かせた。ただ、ついでだったから。電車で通ったから。もう、ずっと会ってない元恋人に、偶然でも会えたら。
何となく、足が震えているのが分かった。会社の入っているビルは、少し迷ったが、すぐ見つけられた。まぶしい五月の陽光に照らされたビルを見上げる。ここに、彼がいるのか。けれど、もちろん、わざわざ訪ねていくまでの勇気はなかった。
マリは、ただ下から、そのビルを見上げていた。
彼はどんな顔をして仕事をしているだろう。近寄りがたいほど真剣で、でもはっとするような横顔は、昔のままだろうか。
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