見出し画像

想いに気づいて。ちゃんと届けて。

柔らかい風が吹き、どこからともなく飛んできた桜の花びらがひらひらと水面に落ちていく。
眺めている間にゆらりと揺れつつ、花びらはどんどん遠くに流されていく。

「私、思うんだけどさ」
「うん」
「このサークル、こんな地方のど田舎じゃなかったら合コンサークルだったよね」
瑞葉が、私の頭についていた桜の花びらを摘まみながらそんなことを言い出したので、確かにそうだな、と思って後ろを振り返った。

私と彼女の後方、少し離れた所では、新入生とそれを歓迎する先輩学生達がバーベキューをしている最中だ。
焼かれた肉やソースの匂いが、私達が座る川べりまで香ってくる。

広い河原で、休日に30人前後の男女が集まって肉を焼く。
うん、なんだか合コンっぽい。
実際には、本当にただの友達づくりのための平和なイベントサークルなんだけど。
春はバーベキューや新歓、夏もバーベキューと花火大会、秋から冬にかけてはサークル室で鍋パーティ。
年柄年中そんな感じでこじんまりとしたイベントを開催しているのが、私と瑞葉が所属しているサークルだ。


そして毎年春休み明けに行うバーベキューは、4月に入学してきた新入生の歓迎会として開催している。
新入生の学科オリエンテーションや授業の履修登録期間が始まるタイミングで行うそれは、新生活が始まったばかりの1年生に、友達づくりや先輩との繋がりを持たせるための意味を持つ。
何もかもが初めて尽くしの新入生にとって、こうしたイベントって、実は結構重要だったりする。

2年生になったばかりの私は、早くも後輩のお世話と大人数の集まりに気疲れして、ふらっとみんなの輪を離れ川べりに座り込んでいた。
暫くそうして水の流れを眺めてぼーっとしていると、同じように疲れたのか私を気遣ったのか、「隣いい?」と座り込んできたのが友達の瑞葉だった。

この子とは、このサークルで出会って1年の付き合いになる。
長いのか短いのか分からないけれど、感覚的にはもうずっと一緒にいる気がしていた。

傍らにある小石を川に投げ込む。
座り込んでいるいまの体勢だと水切りは出来ないから、ただただ小石を投げるだけ。
本当にただの、暇つぶし。

「さっき新入生と話してるの見て思ったけどさ。瑞葉って、意外と面倒見いいよね」
はたと、今日ずっと疑問に思っていたことを思い出して、そのまま瑞葉に聞いてみた。

私は元々人見知りはしない性格なので、比較的すんなり初対面の人とも喋れる。
でも瑞葉はそうじゃない。
初めて話す人が相手だと、いつも少し、恥ずかしそうにする。
そんなところが、可愛いなぁ、と思っているのだけれど、今日は少し違った。

これ食べる?お皿ある?学科の子とはもう話せた?
かつて瑞葉が、こんなに他人に自分から話しかけているところを見たことがあっただろうかと驚くぐらいには、自分から新入生に話しかけていた。

私にたったいま面倒見がいいと言われた当の本人は手を伸ばし、風に煽られ頬にかかっていた私の髪の毛を耳にかけてくれている。
耳に触れる彼女の手がくすぐったくて身をよじる。
この子は結構、こうしたスキンシップが多いのだ。

「んーもう、髪は自分でやるから。それよりどうしたの。人見知り克服したの?」
「ん?ああ、ごめんごめん。だってさ、新入生の時って周りが知らない人だらけで心細いじゃん。去年の私も、ここに来た時ひとりで参加してて凄く心細かったからさ、分かるんだよね」

雫に声を掛けられていなかったらどうなってただろうな、って、今でも思うよ、そう言って微笑む姿をみて、良い子だな、と思う。

でも確かに、去年ここで出会った頃の瑞葉は心細そうだった。



去年の春、新入生だった私達もこの河原でバーベキューに参加していた。
確かその時も4、50人くらいが参加していて、新入生はみんな少し緊張していた。

隣の人に何となく声を掛けてみてはひと言ふた言話して、あとは先輩により分けてもらった肉や野菜を黙々と食べる人、早くも意気投合して話し相手が見つかる人、乗り遅れまいと無理にテンションを上げて空回りしている人。

色んな人がいるなかで、私がテキトーに声を掛けたのが瑞葉だった。
いや、正直、可愛かったから声を掛けた。
どうせなら、可愛い子と友達になりたいと、男じゃなくても思うのだ。
つられて私も可愛くなるわけじゃないけれど。

あと、人混みのなかで自分から誰かに声をかけることもせず、半分以上食べ物が残った紙皿を持ったまま、ただただぽつんと立ち尽くしていたから、気になったのだ。

私が彼女の前に立ち「もうお腹いっぱい?」と初めて話しかけ、ちょっとほっとした顔をした瞬間を、私は忘れないと思う。

「私理学部で、女子がほとんどいなくてさ。ここが地元でもないし。だから今日は、ほんとにひとりで参加したんだよね」

お互いに自己紹介して、私が法文学部で瑞葉は理学部ということがわかった。恥ずかしそうに笑う瑞葉は、たぶんほんとに勇気を振り絞って来ていたのだと思う。
絶対にこの子と友達になりたい、強くそう思った。



「雫ちゃーん!瑞葉ちゃーん!そろそろ片付けに入るからおいで」
ザクザクと小石を踏みしめる音がしたかと思うと、3年生の部長が私達を呼びに来た。

「今日は頑張ってくれてありがとな。あともう少し、片付けまで頼むぞ」
爽やかな笑顔でそう言い残してまた戻っていく部長を見て「爽やかだねぇ」「爽やかだよねぇ」とふたりで呟く。

「瑞葉は、それ以外に感想ないの」
「え?ないよ?」
瑞葉は可愛い。そして部長は、たぶん瑞葉のことが好き。
サークル内で噂になってるんだよねぇ。好きなのがバレバレなのに、部長は隠せていると思ってるし、瑞葉は全く気付いていないし。
そもそもいつも私と居過ぎて、部長からのお誘いも断ってるみたいだし。

なんだか部長に申し訳ない。結構、カッコいい部類だとは思うんだけど。
まあ、いいや。私が考えても仕方がない。

「戻ろっか」
そう言いながら立ち上がると、石に足をとられてぐらついてしまう。
「ととっ」
横からにゅっと手が伸びてきて、瑞葉が「大丈夫?」と支えてくれた。
「大丈夫。ありがと」
私の腕を掴む瑞葉の手は、少し冷えてひんやりしていた。

春とはいえど、まだ風は少し冷たい。
改めて見れば、今日の彼女は私よりも少し薄着だった。
寒いのに、火から離れて私の傍に居てくれたんだな、と気づく。
「…瑞葉、私のこの上着着る?私はもう一着持ってきてるからさ」
もう一着持ってきてるなんて嘘だけど。

「ほんと?えへへ、じゃあ借りちゃおっかな。雫の匂い好きなんだぁ」
「へんたい」
部長が瑞葉を好きになるのも分かるよ。
本当、可愛いなって、そう思うもの。



バーベキューから帰宅すると、玄関にいつもは置かれていない、見覚えのある靴が揃えられていた。リビングからはいつもより多い人の声と、お母さんのはしゃいだ声がする。
「あ、雫おかえりー」
「ああ、雫おかえり。久しぶりね」
「ただいま。やっぱりお姉ちゃんだ!帰ってたんだ!わぁ、私にも凛ちゃん見せて」

リビングに入ると、お姉ちゃんが産んだばかりの赤ちゃんを連れて帰ってきていた。名前は凛ちゃん。
姪っ子にあたるその子に近づくと、ミルクの匂いがした。

当たり前だけれど、目も鼻もお口も凄くちいさい。
「守ってあげたくなる…」
ちいさな顔、ちいさな手足、目がまだ開ききっていない眠そうな顔。それらすべてが私の庇護欲をかきたて、愛おしかった。
「そうでしょうそうでしょう。夜泣きはツラいし目も離せないけどね」
そう言うと、お姉ちゃんは凛ちゃんの頬を軽くつつく。凛ちゃんは目を瞑ったり開いたりを繰り返し、もぞもぞと手足を動かした。

「雫ってまだ彼氏いないの?」
「うん、いない。まだあんまり興味もないんだよね」
「いま大学2年よね?テキトーに付き合っちゃえばいいのに」
テキトーは駄目よ、テキトーは、とすかさずお母さんから指摘が入る。
お姉ちゃんは、はいはい、と面倒くさそうに手を振り苦笑いした。私もつられて笑う。
我が家はお姉ちゃんと私のふたり姉妹だから、両親から大事にされているのだ。

「でもさ、本当に色んな人と付き合ってみるといいと思うよ」
「ふーん。お姉ちゃんも色んな人と付き合ってきたの?」
「まあ、それなりに」
「うーん、じゃあ、どうやって結婚相手を決めたの?」

そう聞くとお姉ちゃんは暫く顎に手を当てて考えたあと「……匂い、かな」と呟いた。

「匂いって、体臭ってこと?え、なにそれ」
「雫はまだ誰かと付き合ったことがないからピンと来ないかもしれないけどさ。 好きな人の体臭も好きになれるかどうか、って結構大事だと思うよ。他にもあるけど、恋愛的な好きってずっと持続するもんじゃなくて、やがて落ち着いて情みたいなものに変わるからさ。一緒に生活していくうえでは大事かなって」

そういうものなのか、そういうものなのよ、お姉ちゃんとそう話しているとさっきまで大人しくしていた凛ちゃんがぐずり出す。
「あー、おっぱいの時間だね」と言って凛ちゃんをあやすお姉ちゃんの顔は、まさに母親のそれだった。


夏休みも近くなれば、大学内の雰囲気も落ち着いてくる。
外を歩けば生温かい風と、差すような日差しに目が眩む。
授業の関係で一足早く休みに入った学生もいるため、構内はいつもより静かだった。

じりじりと焼けるような暑さから逃れる様に図書館の片隅に腰を落ち着けた私は、ひとり黙々と課題レポートを書いていた。
これさえ提出できれば、明日から私も夏休みだ。

そう思っていると、ふいに頭上に重いものが乗せられ、上から「おつかれ」と私より少し高い声が降って来た。
同時にふわりと、安心するような甘い香りが漂う。
「重いんだけど」
「ごめん」
そう謝りながら、瑞葉は私の頭の上に顎を乗せたままで、全く動く気配がない。

はぁ、と溜息を吐いて私は話を切り替える。
本当に、この子はスキンシップが多いのだ。
「勉強しに来たの?隣座る?」
「今日はいいや。バイト行くところなんだ」
「あ、そうなんだ」

私は大体、バイトやサークルがない日は図書館で勉強しているので、瑞葉も結構な頻度で私を探してここにくる。
図書館は私語禁止なので、いつも特にお喋りをするでもなく、ふたりで黙々と勉強している。そうして休憩しようと顔を上げれば、いつも瑞葉が気づいて口パクで「食堂いく?」と聞いて来るので、ふたりで一緒に席を立つ。

そんな、1年ほど続くいつものふたりの日常が、結構私は、心地良いと思っていたりする。

「ねぇ、いま何か考えてる?ぼーっとしてさ」
「あぁ、何でもないよ」
「そう、ねぇ、もう雫はもう来年のゼミとか決めた?」
「んーまだかな、そっちは?」
「大体決めたかな、今度ゼミ見学させてもらう予定」

瑞葉とそんなことを話していると、図書館のインフォメーションエリアの方から職員がじっとこちらを見ているのに気づいた。
「あ、喋っていたらそろそろ怒られるかも」
「確かに、そろそろバイトだから行くね。はい、これ」

やっと体を離してくれたと思ったら、次は私の手を取り小さなチョコレートをふたつ、握らされる。
ありがとう、と言う前に「来週のサークルの飲み会行く?」と聞かれ、「瑞葉が行くなら行くかな」と答えると、じゃあ一緒に行こうということになった。
そのまま図書館を出ていく後ろ姿を見て、寂しいと感じる自分がいる。

お互い、さすがに1年も経つと同じ学部の友達もできる。
私は法文学部で彼女は理学部で、それぞれの学部の子達と遊ぶし勉強会もする。それでも一番一緒にいることが多いのは瑞葉で、瑞葉にとっても私だと思う。

すぐに怒るけれど、その分機嫌もすぐに直るところ。
他人に興味がなさそうなくせに、寂しがり屋なところ。
嘘をつく時や気まずい時に耳たぶを触るところ。

一緒にいる時間が長くなるにつれて色んな顔を知り、色んなクセを知り、全部が全部、愛おしいと思うようになった。

そんな事を以前、本人に言ったら、「…ねぇそれって本当に無自覚なの?」って言われたっけ。
「雫ってきっと私のこと好きなんだと思うよ」と言われ、「え?友達なんだから好きに決まってるじゃん」と返したら、瑞葉の顔がくしゃりと泣き出しそうな顔になって慌てたことがある。

いやいやだって、そんな、女同士だし。私達。
たまに発せられる瑞葉からの甘い気配に、私はずっと目を逸らしている。


レポートの続きをしようと、手元のノートに目を落とす。
チョコレートをころんと転がして、はたと気づいた。
そういえば、私、瑞葉の匂い、好きなんだよな。
そんなことが過ぎって、掻き消すように慌てて大きく頭を振った。



「かんぱーい!」
うちのサークルの飲み会は、基本的にはお行儀がいい。
居酒屋で未成年に飲酒させて問題になっても嫌だし、ということで、外では1、2年生で未成年の者にアルコールは与えない。外では。
多分に漏れず、まだ成人していない私も表立っては飲めない。

……のだけれど。
「しずくさんっ!僕と、付き合ってください!」
いま、私は凄くお酒を飲みたい気分でいっぱいだ。

「いや、私は、ちょっと」
「そこをなんとか!」

そこをなんとか、じゃないのだ。私は安売りされるなにかか。しかも出会って日も浅いのに、下の名前で呼ぶな。
目の前にいる後輩は1年生だけれど、浪人して入っているらしく年齢的には同級生。しかも誕生日がつい先日だったとのことで、見事成人していて、今日はお酒を飲んでいる。

ああ、なんて面倒くさい。
しかもこのやりとり、実はさっきから繰り返していてもうこれで3度目だ。
私だってあと少し誕生日が早かったら。……ややこしくなるからやめておこう。

「新歓バーベキューの時からずっとクールで綺麗な人だなって思っていて」
あーそれ、よく言われるんだけど、私がクールに見えるのってただ表情に出にくいだけなんだよなぁ。
今も顔から火が出そうなくらい、恥ずかしいと思っているのに。

しかもさ、こんなみんなが見ているところで告白しなくてもいいじゃない。こういう人ってさ、きっと付き合っても面倒くさそうだ。
私の心のなかのお姉ちゃんが「とりあえず付き合ってみたら」と囁いてくる。でもお姉ちゃん、この人付き合うと苦労しそうだよ。
しかも同じサークルとか無理。

「無理です」
「どうしてですか。他に好きな人でもいるんですか」
「いない…けど」
「それなら!お試しでもいいんです!1週間でも!」
「ええ…」

マズいな、押されて来た。
先ほどから何度も間に入って止めてくれていた部長は「もうお開きにした方がよさそうだな」とさっき店員さんを探しに行ったし、他の人達も段々私たちのやり取りに飽きてきたのか、各自談笑し始めた。

目の前には、ちょっと面倒くさそうな男。
これはもう、お友達から、ってことで濁しておいた方がいいかな。
ああ、ここにレモンサワーがあったら一気に飲み干しているのに。

「わかったよ。それじゃあ…」
「駄目」

お友達から、と続けようとしたところで、間に人が割り込んで来た。瑞葉だ。
「みずは…?」
「ええと…、あ、そうそう。雫は私のだから、駄目だよ。彼氏なんて作ってる暇ないの」

ぐい、と腕を引っ張られ、そのまま一旦、居酒屋の外に連れ出される。
ドアが閉まる前に振り返ると、手を振りこちらを見送る先輩たちと、目を丸くして呆気にとられている後輩くんの姿があった。

暗い夜道を、街頭だけを頼りに少し歩く。
「一回外で頭冷やそう」
「頭冷やすのはあの人では」
「雫もだよ。さっきなんて答えようとしたの」
「お友達から…って」
「……あ、そ、そうなんだ。てっきり1週間お試しで付き合います、って言いだすのかと思って焦っちゃった」

そんなわけないじゃん、と笑い返したものの、瑞葉はまだ納得がいかない顔をしている。
頭のなかのお姉ちゃんに従わなくて良かったと、心底思った。
「でも、助けてくれてありがとうね。なんか百合営業っぽかったけど。逆にあれくらいがいいのかも」

そうだね、と呟く瑞葉は顔を赤くして耳たぶを弄っている。
その光景に、あれ、と違和感を覚える。

「そろそろ戻っか」
「うーん、もう少しここにいない?私、携帯は持ってきたしさ」
わかった、とは言うものの、次の言葉が出てこない。
夜の暗闇が広がるなかで、私と瑞葉がいるところだけが街頭に照らされている。
少し離れた居酒屋から、沢山の人の笑い声が微かに聞こえてくる。

瑞葉といて緊張するのは、これが初めてだった。



あの時の瑞葉の仕草を思い出す。
赤くなった頬、耳たぶを触るクセ、途切れる会話。

――百合営業、って言わなきゃよかった。

くるくると回していたペンが転がって、今は専門科目の授業中だったことを思い出して慌てて拾う。
今日の範囲はセクシュアリティで、教授が最近のニュースをネタにしながら話しているところだった。

……とはいっても、イマイチぴんと来ないんだよな。

男、女、そうじゃない人、もうその区切りでいいじゃん。
「セクシュアリティってバッサリ区切れるものではないんだよね。男、女、っていう区分け自体、人間が社会の枠組みの中に当てはめるために作ったものなので」

教授は広い講堂を見渡しながら、ゆっくりとそう話す。思っていたことを見透かされたようで、ぎくりとした。

「それにもし、今日の自分が男性が好きでも、明日には女性のことを好きになるかもしれない。今日の自分が女性とのセックスが気持ちよくても、明日の自分は男性とのセックスが気持ちいいと感じるかもしれない。それくらい、セクシュアリティって人によるし流動的なものだったりするんだよ」

――ふーん。そういう、考え方もあるんだ。
昨日の瑞葉が頭に浮かぶ。

これまでもずっと、彼女が私にかけてくれていた言葉、感情、私が彼女に向けていた言葉、感情、なんだかすとんと、腑に落ちた。

なにが、「新歓バーベキューの時からずっとクールで綺麗な人だなって思っていて」だよ。
クールにみえるのは、自分の感情を表に出すのが苦手なだけ。
感情を隠して、理屈でこねくり回して、ややこしくして。

瑞葉に、あんな顔させて。
昨日だけじゃない。
「雫ってきっと私のこと好きなんだと思うよ」と言われて、「え?友達なんだから好きに決まってるじゃん」と返した時も。
瑞葉の顔がくしゃりと泣き出しそうな顔になったとき、心の奥が痛くなった。

泣かせたかったわけじゃない。
でも私のなかでは、付き合ったり愛し合ったりするのはあくまで「男女」であって、女同士じゃなかったんだ。

ああもう。
落ち着かなくて、ノートにボールペンでぐしゃぐしゃと円を書く。
隣の席の友達に、「え、大丈夫?」と聞かれたけれど、曖昧に笑って答えた。
正直、全然大丈夫じゃない。

瑞葉に会いたくてしょうがなかった。



「あ、瑞葉、いまどこ」
「え?あ、サークル棟。部室にいるよ。ひとり」
わかった、そこにいて、と伝えて電話を切る。
授業が終わりすぐに教室を飛び出して瑞葉に連絡し、足早にサークル棟に向かう。

大学の端にある薄暗い建物がサークル棟だ。
近くなるにつれ、どの部室から聞こえてくるのかギターやドラムの音が聴こえだす。

建物に入り、電気が壊れている廊下を部室めがけてずんずん歩く。まるでいまから戦いに行くみたいだ。
サークル室の前に到着する。ドアには剥がれかかった古びたポスターに「部室は綺麗に!」とでかでかと書かれていた。

ひとつ、深呼吸をする。
馴染んだドアを開けると、そこには瑞葉がひとりで携帯を弄っていた。
「おつかれ」
「おつかれ。先輩たちはさっきラーメン食べに行ったよ」
「そっか。瑞葉は行かなかったんだね」
「んー、雫が来るかなと思って、待ってた」

そう、とそれだけの事なのに嬉しくなってにやけてしまう。
いつもは顔に出ないのに、腹を括った途端にこれだ。
「どうしたの!?珍しいじゃん、にやにやするなんて」
「いや、あの、……瑞葉、聞いて欲しいことがあってさ」

うん、と答える瑞葉はきょとんとした顔をしている。
その顔を見て、言うぞ、と改めて自分を奮い立たせる。
さっき認めた、自分の気持ち。

うまくいきますように。成功しますように。届きますように。

今から私、松永雫は、山下瑞葉に告白をする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?