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モノカキになるということ。


▼シュウショクということ


働きたくない。

当時の正直な気持ちだった。
正確に言えば「自分の好きなことをして生活したい。」だ。

それは誰もが一度は思うありふれた願望に過ぎない。

趣味も広く浅くのあるようでないようなものだし、
特技と呼べるものも絞りだしてもなかった癖に…
趣味の延長のような形で働きたい、という考えがあった。

「できるのならば皆そうしている!!」
そんな声が飛んでくるのは当然だし、人生を舐めていた。

まぁそれはそれで若者らしい考えであったかな。

これから何をする。

このまま就職浪人か…いやいやそれはやってはいかんでしょ。
自分なりの迷いはあった。
大学まで出てフリーターか。

夢を追いながらのフリーターではないんだな、私の場合は…。

大卒でフリーターは当時も負の風潮が勝っていた。
世間体はある程度気にするので気にはなっていた。
周囲も就職先や進路が決まっていく中でのことであった。

「働く気あるの?」という親の一言は突き刺さった。
「そんなもんは微塵もない!」と言い切れていたらある意味格好良かった。

モラトリアムの延長戦はいつまでか。
働くことよりも追いかけられる夢がないことに焦っていた。

夢の糸を切ってしまっていたのか。
それとも夢に嫌われていたのか。
寝ては夢を見て朝を迎える生活の中で追い込まれていった。

▼ハタラクということ


就活しなくても大丈夫だろう。

今でいう「意識高い系」とは逆を行っていた私。
就職活動などは碌にしなかった。
大した活動や企業研究なども当然しなかった。

就職説明会、就職相談、エントリー。
あぁ大学なんてもんは研究か就職の二択なんだな。

現実と距離を置いてしまった。
所謂「普通の人生」「立派な大人」なの道からは逃避した。
それは小さい頃から何となく向いていないとは思っていたが…。

何となく特別な能力があってそれなりに人生を進むだろう。
そんな考えを貫いていた若造でしたよ、はい。
何かしらの才能があると思って人生進んでいいのは
夢をしっかりと持っている人だから!と当時の私に言ってやりたい。
どうせ聞いてくれやしないけど。

就職という現実から離れる。

「夢を追うことはとても素晴らしいことです。」

【但しその夢を見つける猶予は学生期間に限る】

視力の悪い私に注意書きは見えていなかった。
(前半は事実で、後半は言い訳です。)

「人生一度きり!人生楽しんだもん勝ち~!」
そんな銘は実現できている者が言えるんだと不貞腐れる。

とりあえず就職するか。

「志望動機は?」
とりあえず就職するか、という気持ちのみです!!
本当にその一点のみです!!曇りはないです!!

今思うと本当にそういうことだったんだよな。
自分で振り返っておきながら的確過ぎて晴れ晴れする。

実際そんな動機を受け入れてくれる企業はない。
(あるなら私どうですか?ピッタリな人材ですよ。)

とりあえず就職する。

希望通りとりあえず就職をした。
まぁその後は皆さんの察する通りだ。
とんとん拍子に出世をして、今は開発部の部長である。
ってモノカキになるはどこいった!ってなりますよね。
心配ご無用です。
その後は専門学校に行ったり転職を繰り返したりしている。
それなりに色々と経験やスキルは積んではいますが…。

目標である「とりあえず就職」は達成した。
そして目標を達成すれば当然のことながら燃え尽きる。

この先適当に働く場所を変えて何となくの人生を進んでしまうのだろうか。
そんな不安と現実は、もう見て見ぬ振りができぬ距離で踊っていた。

結局夢のない私はモラトリアムの延長戦に、人生を課金し続けていた。

▼ヤリタイということ


自分と向き合う。

もやもやとする。もんもんする。
ふと思う。「文章を書きたい。」

就職、結婚、出産、子育て、定年、老後を考える。
頭を過る。「文章を書きたい。」

いつまで一発逆転狙っているんだ!いい加減に現実を見ろ!
そうだな、うん。「文章を書きたい。」

私の夢、ぼくのゆめ、オレのユメ…。
「文章を書きたい。そして、小説を書きたい。」
それは小さい頃からぼんやりと思っていたことだ。
そんなこと恥ずかしいから周りに言えないと蓋をし続けていた。

でも年を重ねて、周りと比べて、色んな社会を覗いて思う。
自分を動かすのは自分なんだと。
才能を見つけるのは「誰か」なのかもしれない。
でも才能を見せるのは「自分」なんだよ。

当たり前のことを受け入れなかったのは無駄な時間?
いや、それはこれからの、今の自分次第だろ。

自分と向き合って、本音を聞き出せ。
恥ずかしい?いや、今は自分しか見てないぞ。
自分の気持ちを自分に見せられないのなら、
それは一生殻に閉じ籠ったままということだ。

自分を作る。

物書きになれたらなぁ~、というぼんやりとした夢。
本当にぼんやりとしていた。夢というには恥ずかしい。
それは言うまでもなく何も形にしていないからだ。

「どこそこのサイトに定期的に投稿しています。」
「noteやブログで毎日発信しています。」
「〇〇賞には毎回応募しています。」

そんな実績を作ることからすらも逃げていた。
ライバルたちはもうライバル様と呼ばなければならない位置にいる。

自分の文章を評価されるのは恐い。
批判的な意見とか気持ち悪がられるのは避けたい。
誰も読んでくれないのは悲しすぎる。

何だよそれ!!だったら文章書くな!!
中途半端な気持ちなら夢なんか捨てちまえ!!

自分に叱られる。自分を咎める。

自分を作ってきた。表現の自由よりも周りのことを気にしていた。
自分の体裁がそんなに大事なのか。非難が恐くて意見ができるか。

自分にも見捨てられた私に虚無感が艶めかしく近付く。

▼ジツゲンということ


夢を固める。

夢は公言しなければ実現できないとよくいう。
時間が経てば経つほど夢の一歩というのは非常に重い。
年齢や体力的なこと、金銭や家庭のこと、時間や精神的なこと。
軽い気持ちで一歩を踏み出しておけばよかった。

これを読んでいる夢に踏み出せない人。
軽い気持ちでいい、その軽い内に踏み出したほうがいい。
動機も軽ければ軽いほうがいい。
お金が欲しいから、モテたいから、有名になりたいから。

ん!?
それキミが就職前に夢を掴むのに失敗した理由じゃないの?

違うよ!ちゃんと読んでほしい。
私は軽い内にすら踏みとどまった側の人間だ。
「とりあえず就職」という夢を冒涜したような人間だ。

何か行動をしてほしい。
下手でいいんだ。
最初は皆、下手なはず。
というと上手な人や天才もいるかと思ってすぐ諦めるだろう。

今更のことで自分への言い聞かせにもなるけれど

最初は下手な方がいいんだ。
周りも教えてくれるだろうし、自分の実力もわかる。
それにひとりでは夢は叶わない。

君の夢を誰かに知ってもらって、皆の夢にするんだ。
「よくそんな恥ずかしいことが言えますね。」
今まで溜め込んだ分、恥ずかしいことを考えるのが得意なんでね。
「へぇ特技あるんですね。随分変わってますけど。」

夢の道筋を固める。
夢を謳う。
「物書きになる」

夢を歩く。

村上龍氏の「13歳のハローワーク」には小説家は
「人生詰んだ時の最後の手段」というような意味合いで
書かれたと記憶している。
※サイトを見ると「作家」の項目でした。
 今はサイトになっているんですね。

中学生向けの本書を大学生の時に見て「なるほど」と思っていた。
そして、今。もう残された生き方は作家しかないと思っている。
正確にはもう残された夢は物書きしかないと思っている。

いいや、全てを剥がして出てきた夢は「モノカキ」でした。

できるとかできないではなく、もうやるのだ。
夢の上を歩くのだ。遠回りは散々して、色んなものも得てきた。

公言した。
もう戻れないけどいいのかい?
恥ずかしくない?
失敗するかもよ。
失敗しかないよ!

誰もがゼロからのスタート。
そしてゼロには既に慣れている。
あとは具現化するのみだ。

「それができてなかったくせに。」

このnoteが一歩になるんだよ。

▼モノカキということ


何から始めるべきなのか。

夢の一歩目は何をすればいいか。そこは大きな課題になる。
モノカキでいえば何か。

あるテーマを誰かに価値あるものとして伝える。

これだと思っている。間違っていないだろうか。
細かく言えば間違っていると思うが大筋はこういうところだろう。

自分の夢ですら気付くのにどれだけ遠回りしたと思ってるんだ!
何書けばいいかなんてわかっているわけないだろ!

ご尤もである。

只、ある程度テーマや設定があるなら割とすぐに文字にはできる。
ゼロからでなければ文章は書ける。
文章の構成とか表現とか内容はもちろん別ですよ。
そんな夢の一歩を踏み出したか出してないかのひよっ子に
何ができるというんですか。下手ですよ。下手。

自分を売り込む。
自分を見てもらう。
これはどの世界でも一歩目だ。

noteに何となく書いていくことにする。
週に1本?2本?毎日?
この辺はご意見いただきたい。

プロフェッショナルになる。

その道のプロとは何か。免許や資格があればわかりやすい。
でもそういうものは少ない。特に芸術や表現の社会では。
好き嫌いの票数で決められてるようなもんだ。

只、その「好き」の相手にどれだけ応えられるか。
「嫌い」の相手にそれだけ響かせられるか。
その技量はプロの否かには重要な指標と言える。

長所と思っているところ
・色んなアイデアを出せる。
・広く浅い知識と経験がある。
・独自の視点で意見できる。

短所と思っているところ
・文章を書くのが遅い。
・気分によってアイデアにムラがある。
・色々なことが独学なので専門的知識に乏しい。

何となく長所と短所を書き出してみる。
恥ずかしいな。何も武器にするものがなくて。
無理やり出した長所と、致命的な短所は昔からのコンプレックスだ。
膨らみ過ぎてもうどこかで膿を出してやるしかない状態に近い。
だから、今出してやる。

あっ、伝える必要性と価値のあるものも全くない!!

▼ツタエルということ


自分の文を誰かに読んでもらう。

文章や意見に誰かが応じてくれることは何より嬉しい。
勿論、批判的なものも多いだろう。
SNSで「いいね」や「コメント」をもらうのが嬉しいのと似ている。
只、どうやって読んでもらうかだ。

ネット上にある無数の一方通行の文章は今も誰かの意見を待っている。
但し、それはどこへ向けてか明確なのだろうか。
個人の日常の思ったことを誰が興味を持ってくれるだろうか。

やはりテーマを絞って発信するほうがベターだ。

テーマに沿って伝える。

私もTwitterを実験的に使用している。
テーマもなく何となく思うことや書き留めている一文を呟いたり。
予想通り、現状は読者はいない。
青い鳥は「今日もいいこと書いてるな~」と囀り続けている。

他にトレンドに特化したアカウントや
一定層の趣味のアカウントを作った。
それなりの読者が付きやすかった。
やはりアプローチ方法は大事だ。

情報社会の作法を無視する私の課題はそこだと感じる。
当然、このnoteでもどんな情報を発信すればいいのかは…。

仕事にする。

この場を借りて言うことなのか。
「仕事になることありませんか?」
この文章を見て、ぜひみたいなのは夢物語なのかもしれないけれど、
それぐらいの営業はして当然ではないか。
「随分と偉そうな態度ですね。」
「とても仕事をもらうような態度ではないですね。」
それは私も思ったので、ご指摘なさらないで下さい。

最後に

本当に最後まで読んで下さりありがとうございます。
薄ぺっらな人生を割とそのまま自己紹介がてらに書きました。
文体とか日本語変じゃない?というご意見もありがたいですが、
たくさんの人に読んでもらうのが今の目標であり課題です。
褒めて伸びるタイプですので、あっ、もう一度。
私は褒めてグングン伸びるタイプなのでどうかよろしくお願いいたします。

埋め込みとかコードとかも覚えていきたいと思いますので、
ご指導、ご鞭撻を。あとまぁ色々と意見もらえるのは嬉しいですね。



哀男とワニ

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