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昨日と、180度違うことを言うかも知れない

今日は、創作生け花の師匠の、生け花カウンセリングの日だった。

師匠は、水が入った透明のグラスに入れた花を見て、その人の心の状態が分かるという、特殊なカウンセリング能力を持っている。

一時期はすごい人気だったようだが、今は表立ってやっているわけではないので、久しぶりに、私のカウンセリングをしてくれているのだ。

今日は3回1クールの3回目。一応の最終回である。

1回目は、私は人一倍強い意志を持っていて、曲がらない性格なので、一般社会では衝突することが多い。ただ、芸術においては、能力が活かせるかもしれない、と言われた。

2回目は、地に足がついて良い状態になってきている、と言われた。ほんとかな~、ほんとということにしておこう(笑)

今日3回目は、私は、物事を見るときの視点が他の人と違っていて、それがゆえに人とすれ違うことがあるのでは?と言われた。

この指摘は目からウロコだった。そして、師匠は私が花を生ける姿をみていて、それを指摘したのだ。

生け花の稽古では、テーブルと椅子が用意されているので、ほとんどの人は椅子に座って生けるが、私は初め、立ったりしゃがんだり花の周りをうろうろしながら生けていた。何度目かに、椅子に座って生けるように言われて初めて、みんな椅子に座って生けていることに気づいたくらいだ。

今日も、グラスに花を挿すときに、自然としゃがんでグラスを中心に見ながら花を入れていたのだが、ふつうの人は椅子に座る角度(つまりはもっと上)から花を見ているのだと教えてくれた。

多くの人は私が見ているような角度で物事を見るのは難しいだろうとも言われた。どうりで、、、私は、ほとんどの人に、なぜもっと深く物事を見ないのかといつもいらだっていた。

そして、今日のもう一つの発見は、おそらく多くの人が見ているだろう角度から自分が入れた花を見た時に、

「あら、これはこれで、普通にいいやん!」

と思ったことだ。

何でもかんでも、深く見て理屈をこねくりまわさなくても、普通に見て、普通にいいということもあるんだなと。

昨日は、「本当に本当のことを理解している人に評価されたい!」

と言ったのだが、よく考えたらそういう人はめったにいないし、普通の角度でみても、いいものはいいのだなと。

だから、普通に褒めてもらったら、それはその評価を有難く受け取ったらいいんじゃないのか、と。

「あなたはわかっていない!」とか、、、

お前は何様やねんっていう(笑)←私のことです。

そして、それぞれの見方のどっちがいいという話ではなく、どちらも正しいのだから、もし良いコミュニケーションを取りたいと思うのならば、私が視点を変えてみればいいことなのだと教えてくれた。

そうか~、なるほど。

子どもの頃から、何となく周りと違うと感じていて、それがはっきりとなんなのかわからないままに生きてきたが、このように具体的な例で説明してもらったことで、長年のクエスチョンが解消された。

やっぱり、私は人と少し違っていたんだな、そう思うことで安心する、というのは、本当にちょっと変わっているという証拠なのだと思う。

まぁ、どんな風に日常に活かしていくかはこれからの話だけど。

ただ、表現の世界においては、人と違っていても何ら問題がない、というのが嬉しいことだ。

だからこそ、芸術は世界を救うということにもなるだろう。

そして、何かの裏は何かの表。

ひとつの発見で、昨日と今日の考えがひっくり返ることも、いと面白いことだと思う。



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