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蕗味噌の思い出

昨日、実家で父親と一緒に、蕗味噌(ふきみそ)を作った。

父は、もともと、春を迎えるこの時期に毎年蕗味噌を作っていたのだが、両親ともに元気な頃は、お盆や正月など年に数えるくらいしか実家に帰ることがなかったため、私たちは時々おすそ分けをもらうくらいだった。

実家は車で40分程の距離なのだから、もっと帰っていても良かったなと今となれば思う。

それが、ちょうど昨年の今頃、母親の病気が悪化し、私が介護休暇をとることになり、私は実家に泊まり込んで過ごしていた。

なので、私が父の蕗味噌のことを、ちゃんと認識したのは昨年のことだ。

実家の裏山に蕗が自生しており、そこに芽吹いてくるフキノトウを摘んで、作っているということも昨年初めて知った。実家に帰るのすら年に数度なのだから、裏山の散策など、実家を出てからほぼすることなどなかったから。

昨年も例年通りに、父は蕗味噌を作ってくれた。
それをじっくり実家で味わって、私は美味しさをかみしめた。

しっかり甘味をつけた味噌に、春の山菜特有の苦みが効いて、くせになる味。そして、それが家のすぐ近くでタダで収穫できる代物だなんて。

子どもの頃は、あんなに田舎が嫌で都会に憧れていたのに、この歳になって、自然が豊かな環境に育ったことを、初めてとてもありがたいことなのだと実感した。

昨年の蕗味噌は、親戚や友人におすそ分けして、とても好評だった。
そして、自家製ということも私は鼻高々だったので、先週父が、「今年もそろそろフキノトウが出てくる時期だ」というので、「それならば、今年は私も一緒に作る!」ということで、実家に赴き一緒に作ったのだ。

フキノトウを軽くゆでて、絞り、刻む。さらにすり鉢ですりつぶし、味噌、砂糖、みりん、酒を混ぜて味をつける。簡単に見えて、分量が難しい。私が味見をしながら混ぜていたのだが、どうもフキノトウが多かったようで、苦みが勝ってしまい、調整しても味が決まらず、最後は父に混ぜてもらうことにした。

途中から父が混ぜないと味が決まらないような気がしていたが、やっぱり父が混ぜた蕗味噌は、味がまろやかになり、いつもの蕗味噌になった。

どうにも私には、まだまだ修行が必要そうだ。

以前、おふくろの味ってあまり記憶にないということを書いたが、この蕗味噌はまさに、おふくろの味ならぬ『おやじの味』に違いなかった。

父とは、「そういえば、去年はお母さんの介護をしていたよね」「お母さんのために、毎日いちごとケーキ買いに行ったね」「そういえば、お母さんは蕗味噌作らんかった。畑仕事も一回もしたことない」「お母さんは田舎のこと嫌いやもんな」「でもよく働いて、お金稼いでくれて助かったわ…」等々、母の話をしながら作った。

蕗味噌といえば、春の初め。

そこに、私たち親子には、母の介護をした日々という思い出が重なっている。やがて、私が一人で蕗味噌を作るようになる時には、父と一緒に作った、という思い出がプラスされるのだろうな。そしてその時に私はきっと、「どうやったらお父さんの味になるだろう」と思うのだろうと思う。

なるほど、こういうのが思い出の味、おふくろの味というものか。

あと何年一緒に作れるだろうか。

父と一緒に作れる間に、私ももっとまろやかで、みなに喜んでもらえるような優しい味の蕗味噌を作れるようになりたいなと思った。



追記
ちなみに、、、母の挽回のために一応書いておくと、母の得意料理は、揚げ物で、みのむし揚げというジャガイモを細切りにして鶏肉を包んで揚げるというのがあり、おふくろの味って感じではないけど、みんな大好きなメニューだ。ちゃんとそういうのがあり、私は継承しております!

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