才能って何だろうと考えてみた

今回、今まで勤めていた職場を辞めて、次の職場を探そうとしたときに思ったことがある。

私はこれまで、医療や福祉の相談職をしてきた。自分の興味のあることだったし、その分野で能力を伸ばしたいと思っていた。ただ、色んな意味で、上には上がいて、すごく活躍できたり、人を指導するような立場にはなれなかった。そして、もう結構いい歳になってしまった。

ただ、後10年くらいは現役で働けると思った時に、もっともっと頑張れるような仕事に就くのか、もうしんどいから簡単な仕事にするのかを考えていた。

正直、事務くらいでいいやと思ったのだが、、、仕事を探してみて、一言で事務といっても、いろいろあるし、事務は事務で色んな資格があるから、事務でいいなんて言ったって、すぐに事務職になれるわけでもないことを実感した。

自分の履歴書を見れば、どう見たって、相談職の人だよな、、、と。
私ってば、いつの間にかそういう身体になってしまったのねと。

それで今回、相談職だけれど、めっちゃ頑張らなくてもいい仕事(と言ってはあれなんだけど、パートでできる仕事)に応募しようと思った。

こうなると、履歴書を書くにも、職務経歴書を書くにも安心感がある。

他の人には難しいかもしれないけれど、私にはやりやすい仕事があったじゃないかと改めて思った。高いレベルを考えなければ、きっと重宝してもらえるだろうという気持ちもある。

ふと、才能ってこういうのを言うのでは?と思った。

そして、ネットで『才能』という言葉を調べてみた。

才能の定義(広辞苑より)
才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。

さらに『素質』とは、、、

素質の定義(同)
本来具有する性質。個人が生まれつき持っていて、性格や能力などのもととなる心的傾向。特殊な能力などについていう。

総合すると、

「個人的に興味のあることについて、一定期間取り組んで得られた力量」

といえるのではないかと思う。そして今回私は、ここにもうひとつ定義を加えてみたい。それは、

『周りとの比較によって、(他の人にとっては難しいけれど)その人にとっては簡単だったり、楽しんでできること』

という定義だ。例えば、英語がちょっとできる人。ペラペラな人のなかでは、目立たないけれど、全然しゃべれない人たちのなかだと、スゲー!ということになる。それはもう、才能じゃん!ってことだ。

下を見ろというわけではない。ただもし、自分より上ばかりを見て、自分なんてと思っている人がいたら、あなたの才能も場所によってはとても重宝されるんだよということを言いたい。

この、「自分の持っているものが人の役に立つ」という感覚はとても重要だと私は思うのだ。自分にもできるという感覚は、更なる向上に繋がるのだから。要は自分の能力が活かされて、それが嬉しいと思えることが大事なのだと。

大なり小なり才能は誰にでもある。どこで活かすかだ!

そう考えれば、もっと気楽に、自分の才能を活かせるのではないかな。

それは結果、みんながハッピーになれることだと思うのだ。





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