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女マネ部!『#創作大賞2023|漫画原作』第三話

第三話

 人気のない旧校舎の廊下は薄暗く、日差しのあたたかなハンドボールコートとは打って変わって、心なしか肌寒い。

 セナは千紘に止血の必要がないと見ると、説明するから着いてきて、と保健室とは真逆の方向、旧校舎へ向かって歩き出した。
 約百年前、帝政高校の開校当時に建設されたこの校舎は今やほとんどが空き教室で、用務員のための掃除道具置き場や、吹奏楽部がスペアの楽器を格納するためなど、今では三階建てのうちのほんの一部のスペースしか使われていない。
 しかも、新校舎建設までに何度も増築を繰り返したためか至る所にその跡があり、小さな段差や階段でいくつかの建物同士が歪に繋がり合って、やっと一つの建造物の形を成していた。
 セナは先ほど千紘に、三階に行く、と行ったはずなのに、二人は途中、なぜか階段を下った。どうやらこれから向かうところは、旧校舎の中でも最も歪に繋がったところらしい。その階段を下りきると、すぐに数段だけの登りの階段があり、その上に、まるでここがおとぎ話の入り口なのだと言わんばかりに、縁が錆びた鉄の扉が鎮座していた。
 「不思議だよね。今歩いてきたところも三階なんだけど、この扉の向こうも三階なんだよ。高さが違う建物同士が、増築でくっついちゃったんだと思う」
 「こんなところ、入ってもいいんですか?」
 明らかに経年劣化が進んでいるであろう扉を前にして不安になる千紘を余所に、セナはズボンのポケットから鍵の束を取り出し、その中でも一番重厚な鍵を鍵穴に差し込みながら言った。
 「いいんだよ。ここが『部室』なんだから」
 ガチャン、と鍵が回り、鈍い音をたてながら鉄の扉が開いた。
 「さ、どうぞ入って」

ーーー

 鉄の扉の向こうには短い廊下と、その廊下に面して二つ並びに教室があった。向かって右側には「美術室」、左側には「美術準備室」と書かれた薄汚れたプレートが付いている。廊下に面した窓には室内からカーテンが引いてあり、教室の両端にある引き戸のはめ殺しも磨りガラスのため、廊下側から中の様子を伺い知ることはできない。「美術準備室」の左手には下りの階段が続いており、階下にはここから降りられるようだった。
 千紘はセナに「美術室」に入るよう促されて引き戸を引いた。恐る恐る教室の中を覗いて、思わず「わっ」と声を上げた。壁一面に、作成途中の運動部の横断幕がかかっていたのだ。
 教室の隅に寄せられた机の上には、布を染めるのに使ったのであろう色の付いたバケツ、床の上には絵の具のようなものや、鉛筆などがばらばらと転がっている。
 「セナ先輩、これって…!」
 「見てもらった方が早いかと思って」
 「秘密の部活って…工作部、とかですか?」
 千紘のその問いかけに、セナはハハハハっとと楽しそうに笑いながら、全然違うよ!と否定した。
 「帝政の秘密の部活の正体はね、女子マネージャー部のことなんだ!」
 そう聞いてもキョトンとする千紘ために、セナは教室の中をゆっくりと歩きながら説明を始めた。

 「部、といっても公の部活ではないんだけど…いわゆる、サークル、みたいな感じかなぁ。帝政の女子運動部のマネージャーが、掛け持ちで所属してるんだ。あ、一応顧問はいるけどね。運動部のマネージャーの仕事って、細々したものも含めると実はすごくたくさんあって、そのノウハウを部を跨いで共有することが、女マネ部の目的なの」
 「横断幕作りも、マネージャーの仕事なんですか?」
 一番近くの壁にかかってあった女子バスケットボール部の横断幕にそっと触れながら、千紘は尋ねた。濃紺の生地に達筆で「闘魂」と書かれたそれは、高校生の手作りだとは到底思えない。
 「そうだよ。部の予算が潤沢な私立の高校みたいにはいかないからね。選手のために、自分達で出来ることは何でもやる。それが女マネ部のルール」
 セナは、机の上のバケツを床に下ろし、そこによっ、と腰掛けて説明を続けた。
 「ここ…旧校舎の西棟全部が女マネ部の部室なの。この教室は元美術室だから基本的な画材は揃ってるし、ちょっとくらいなら汚しても大丈夫。二階の元被服室にはミシンとか、裁縫道具があるし、一階の元音楽室には何にもないけど…一応防音だから、応援歌作りにはもってこい!ってワケ。さすがに火は使えないけど、西棟を出たすぐのところにウォーターサーバーがあるから、水を汲んでくれば、新しいスポドリの試作くらいなら作れるし」
 「そんなにいっぱい、やることがあるんですね。私、運動部のマネージャーって、選手のタイムを測ったり、練習の準備をするんだと思ってました」
 マネージャー、という言葉から、千紘は青春ドラマのような、高校野球の野球部員を隅で応援している女子学生の姿をイメージしていたが、実際にはもっと多くの仕事があるようだ。
 「もちろん!そういうこともするよ!それがマネージャーの本分だし、他にも、試合があればその手続きとかもね。だからそれ以外のことは部の垣根を越えて、情報共有しようってこと」

 ポニーテールの髪の束を揺らしながら、どうかな?と尋ねるセナに対し、千紘はもう一点、先ほどから疑問に感じていたことを尋ねた。
 「あと、女マネ部が女子運動部のマネージャーの部活だって聞いてから、思ったんですけど…男子の運動部のマネージャーはいないっていうことなんですか?」
 「佐藤さん、結構鋭いね」
 セナはぴょんっと机から飛び降りた。いつかと同じように、ビー玉のような瞳がぎらんと揺れている。
 「帝政ってね、元々は男子高だったらしいの。いまは男女半々くらいだけど、共学になってからも女子生徒が少ない時代が続いたんだって。だから創立百年なのに、女子の部活、特に運動部の歴史はそんなに長くない」
 床に散らばったままだった画材を拾い集めながら、セナは続けた。
 「女子生徒の人数がそもそも少なくて、選手の数を集めるのも大変なのに、わざわざマネージャーを、しかも女子の部活でやりたいって子なんて、ほとんどいなかったんだって。男子の運動部には毎年一定数マネージャーやりたいっていう子がいるから、自分達で代々仕事を引き継いでいくことができたけど、女子の運動部はそうもいかなかったみたい。だから、マネージャーのいない世代では下級生が上級生のお世話をしたり、控えの選手が試合の手続きをしたり、故障した選手が自然とマネージャーになったり…」
 セナは一瞬遠くを見つめた。そして、集め終えた画材をさっきまで腰掛けていた机の上に置きながら、千紘に言った。
 「だけどさ、強くなるためには、選手は練習に集中しなきゃじゃん?だから、数少ない女子運動部のマネージャーの横の繋がりを強くして、選手たちが練習に集中できる環境を守るために、女マネ部は生まれたんだよ。だから、佐藤さんにもその一員になってほしいの」

 セナの、千紘を見つめる瞳は強かった。
 実は千紘はこの時までセナのことを、少し強引で、腹の中が読めない人物だと感じていた。それでもセナの今の言葉は、真っ直ぐに千紘の胸に響いた。嘘偽りなく選手のことを想う、心からの言葉だった。
 千紘の心の中でしぼみかけていた風船が、希望と期待で満たされていく。そんな温かな気持ちを心に宿したまま、首を横に振ることなんて、出来やしない。
 「うまくできるか、分からないですけど…私なんかでよければ…」
 「ホント?!ありがとう!!」
 やったー!と噛み締めるように言った後、セナはすぐさま机の上のものを肘で端に寄せ、どこからともなく取り出した紙を千紘に手渡した。それは今年度の部活の入部届で、すでに部活名の欄に「女子ハンドボール部/女子マネージャー部」と記入してあった。
 ちゃっかりしてるな、と思いながら、セナが床から先ほど拾い集めた中にあったボールペンで、千紘はその入部届に自分の名前を書いた。
 「佐藤千紘…佐藤さん、チヒロっていうんだ!じゃあ…チッチだね!これからよろしくね、チッチ!」
 受け取った入部届に書かれた名前を嬉しそうに読み上げて、セナは満面の笑みで右手を差し出した。
 「よ、よろしくお願いします」
 握り返したその手は、ほのかに、でも確かにあたたかかった。

ーーー続く

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