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A.B.C-Zが大好きだ

A.B.C-Zが好きだ。
A.B.C-Zが大好きだ。

#ハマった沼を語らせて
の募集を見つけた時、私はすぐ自分の「推し」について書こうと決めた。

募集概要より、

有名人だけではなく、恋人、家族、友人、先生などの身近なひとに救われているなら、そのひとはあなたにとっての「推し」。ひとに限らず、動物やコンテンツ、さらに電車や食べ物などでもかまいません。あなたがハマっているひとやものの魅力、好きになったきっかけについての投稿を「#ハマった沼を語らせて」で募集します。

ということなので、仕事や、夫、子どものように可愛がっている犬のことなど、アラサーの私には書きたいことや書けることがたくさんあるはずなのに、私はこの公に好きなものを語れる機会を得て、大好きなジャニーズグループのA.B.C-Zについて書きたいと思う。

なぜなら、心の底から『だいすき!』と思えるものに出会えることはとても幸運で、とても貴重なことだと、私は知っているから。

そしてその幸運は永遠ではないことも、知っているからだ。


中学生〜高校生にかけて、私はとあるバンドの大ファンだった。

きっかけは歌番組だったと思うが、とにかくそのバンドがリリースする楽曲が大好きで、バンドメンバーのことも大好きで、もらったお年玉やたまに親からもらえるお小遣いをなんとかやりくりして、ライブに行ったりCDを購入したり、音楽雑誌の記事を切り抜いて集めたりしていた。


別の機会に、高校生の頃に首の骨を折って死にかけた話を書いたことがある。

その走馬灯の中で、バンドの半年後のツアーで大阪城ホールのアリーナ一列目のチケットに当選・入金していたことを思い出し、気力が蘇って死ななかったくらい、間違いなく、青春時代はそのバンド一色で、そのバンドが私にとっての人生初めての「推し」だった。


けれどある時、すでに公表されていたシングルのリリース日が、突如として延期になった。
そしてそのすぐ後、バンドの無期限活動休止が知らされたのだ。残念なことに、現在に至るまで活動再開の話は一度としてない。

それは私が高校を卒業する春のことで、これから大学生になって、自分でアルバイトして稼いだお金で初めてCDを買えると楽しみにしていた矢先のことだった。


当時は突然のことで理解できなかったが、あの頃のバンドメンバーと同年代のアラサーになった今、当時の楽曲を聴くとその苦しみがよく分かる。自分たちで始めた物語に、自分たち自身でケリつけることには、どれだけの勇気がいったことだろう。

私は、夢中になれるものを失くして初めて、全てのものには終わりが来るということ、だからこそ尊くて、愛おしくて、その煌めくような短い時間を精一杯抱きしめなければいけないんだということを学んだのだ。


けれど、思い出の曲がもう増えないんだ、という悲しさも、大人になる過程で、次第に薄れていってしまった。

20代のほとんどを仕事に捧げて、その途中で結婚して物理的に生活も変わって、自分個人の余暇の楽しみや、『だいすき!』と心が躍るような経験も遠い過去のものとなっていた頃に、今度はコロナウイルスが世の中全体を変えてしまった。


コロナが日本に入ってきた当時、小売業で全国転勤をしていた私の勤務地は東京、渋谷。顧客と従業員を守るために、自分にできることは全部やって、朝から晩まで死ぬ気で働いた。

一方で、週のほとんどが在宅勤務になっていた夫に万が一のことがあってはならないと、神経質なくらい手を洗い、シャワーを浴び、外に持って出たものは部屋にいれず、家でも職場でも気を張り巡らせていた。

それでも、夫が罹患してしまった。

原因不明の市中感染で、私は陰性。
私のせいじゃないかもしれないけれど、私のせいかもしれない。結局仕事にも、夫にも、迷惑をかけてしまった。あんなに気張って働いていたのに、私がいなくても職場は回っている。どちらも大切にしていたはずなのに、どちらも蔑ろにしてしまった。

夫は幸いにも軽症で自宅療養だけで済んだが、私はぐちゃぐちゃな気持ちのまま、潜伏期間も含めると罹患した夫よりも長く、結局1ヶ月もの間出社停止になった。

抜け殻状態で久しぶりに自宅の鏡をまじまじ見ると、こちらを見つめ返す私の顔は、とても見られたものじゃなく、げっそりとしていて、その時になって初めて、私は自分が破裂寸前まで「頑張っていた」ことに気付いたのだ。


出社停止期間中、これからどうやって生きていこうか、自分にとって本当に大切なことは何なのか、何を大切にしていきたいのかを考えた。

やりたいことも、行きたい場所も、何にも思いつかなかったけど、もっと自分のことを、そして夫との生活を大切にしたいということだけは確かだった。


手始めに、会社のeラーニングばかり見るのをやめて、YouTubeのアプリをダウンロードした。
ニュース番組をやめて、録画したままほったらかしになっていたドラマやアニメやバラエティー番組を見た。
読みかけのまま途中になっていた文庫本を整理して、散らかっていた鞄の中を片付けた。
そうやって、少しずつ自分の心を整えた。

あの頃、多くの人が苦しんで、今もなお生活が変わってしまった人が沢山いることを承知の上で誤解を恐れずに言うと、もしもあの時、強制的に仕事がストップにならなければ、きっと私はダメになっていたと思う。
今考えても、あの頃の私は全てにいっぱいいっぱいで、「自分がやらなきゃ」という考えに固執して、壊れてしまう寸前のところだった。


出社停止期間が終わってからも、自分自身を大切にすることを軸にして暮らすと、「楽しいな」とか「こういうのは好みじゃないな」とか、少しずつ心が動くのが分かるようになってきて、そんな時に気になり始めたのが、バラエティー番組で見かけたA.B.C-Zの塚田僚一さん(=塚ちゃん)だった。

共演者にあれやこれやとイジられてもニコニコしていて、大汗をかきながらも一生懸命に仕事を全うしている姿をテレビで見て、「プロフェッショナルだなぁ、すごいなぁ」と感じたのだ。


「塚田僚一」とスマホで検索すると、その当時、公演を控えていた塚ちゃんの主演舞台のHPが一番上に出てきた。

どうやら当日券もあるらしい。
公演期間には私のシフトの休みの日も含まれている。
会場はそんなに遠くない。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。



えいっ


気がついたら、勢いに任せて当日券購入のボタンを押していた。
舞台観劇なんてしたことがない、塚ちゃんのことも、塚ちゃんのグループのこともよく知らないし、ジャニーズのことだって何にも知らない。

けれど、疲れて、頑張りすぎて、カラカラになっていた心が、久しぶりに「観たい」「行きたい」と言った気がして、私はその声に従ってみることにしたのだ。


そして、それがきっかけだった。


舞台上で目一杯体を動かし、声を上げ、歌を歌い、踊り、縦横無尽に駆け回る塚ちゃんは、「お客さんを楽しませたい」「笑わせたい」と、身体中からパワーを放つ、まるで人間の形をした花火のような人だった。

そんな花火みたいな塚ちゃんの本業の姿はどんなだろう?と思い、YouTubeで調べたA.B.C-Zは、歌もダンスも、体を張ったアクロバットもキレキレで、まるで太陽のようにキラキラと輝いていた。そんなA.B.C-Zのキラキラパワーを浴びることで、私の心は少しずつ元気を取り戻していったのだ。


心が元気になってくると、限りある時間をもっと自分自身や、家族のためにも使えるようになりたい、自分が本当にやりたいことに一歩踏み出してみたい、と思えるようになった。

だから、一世一代の気持ちでジョブチェンジし、働くやりがいはそのままに、私は今、心身共に健やかに暮らせている。


A.B.C-Z、と聞くと、アクロバットやバラエティー番組での姿を思い浮かべる人が多いと思うが、私はここで、A.B.C-Zのメンバーの言葉選びの素晴らしさについて述べたい。

A.B.C-Zは言葉が優しい。
誰かが傷つくようなことでは笑いを取ろうとしない。
バラエティー番組のフリートークや彼らのラジオ番組、ライブMCはいつも、その向こうにいる視聴者やファンが嫌な気持ちにならないように考えられていて、なのにちょっとおとぼけで、ほっこりしていて面白い。


例えば塚ちゃんは、『ぶらり途中下車の旅』で、お店の店員さんに「ごめんください」と声を掛ける。ラジオ番組では元気いっぱいに進行しながらも、ゲストの方の話には決して否定的な言葉を使わずに相槌を打ち、耳を傾ける。

準レギュラーで出演していた『アウト×デラックス』というテレビ番組で、進行上、司会のマツコデラックスさんが「(塚ちゃんと同期のKAT-TUNの)亀(梨くん)と比べて、お前に足りないものはなんだ?」とちょっといじわるな質問を塚ちゃんにしたことがあった。
その時の塚ちゃんの返答はこうだ。


「野球」


塚ちゃんは、決して誰も傷付けない。

夫は優しいので、妻が「アイドルの沼」にハマっていくのを何も言わずに見守ってくれていたが、A.B.C-Zの仕事に対する姿勢や、ファンへの言葉は夫にも響くところがあったようで、ある時、私にすごく優しい言葉をかけてくれた。


A.B.C-Zという沼にハマる前は、私と夫は休日も合わないし、たまに合ったとしても、疲れ切っている私を一日家で寝かせておいてくれるなんてことも多くて、2人でどこかに遊びに出掛けたりすることはあまりなかった。

でも今は、コンサートや、メンバーが出演する舞台が決まると、2人でカレンダーを照らし合わせて、この日程は行けるね、ここは有給取ろうか、ここは難しいから行っておいで、などと話して、2人で計画を立てる。
そんな時間を夫と持てていることが、私はたまらなく嬉しいのだ。


全てのものには始まりがあり、そして終わりがあるので、いつかは、A.B.C-Zの応援を今と同じように出来なくなる日が、やって来るのかもしれない。

切ない。
そんなこと考えたくないし、想像するだけで涙が出そう。

でも、だからこそ私は、『だいすき!』と心から言えるものがある今この瞬間と、そんな素敵なものを見つけられた自分のことを大切にしたいし、『だいすき!』というこの気持ちを形にして残したい。

そうすることが、私の日常に彩りを添えてくれる、私の大好きな「推し」のために、私が唯一できることだと思うのだ。


だから、何回でも言いたい。

私はA.B.C-Zが好きだ。
私は、A.B.C-Zが大好きだ。

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