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私の頭にバリカンを入れてくれた看護師さんへ伝えたいこと

毎年、冬になると高校生の頃を思い出します。

寒さにやられて、顔の表層や頭皮の表層を通る神経(なんて言うかは分からない)、左腕を通るぶっとい神経(なんて言うかは分からない)、左肩を通るぶっとい神経(なんて言うかは分からない)なんかが、ギシギシしくしく痛むからです。

そもそも、本当にそこが痛いのかも分かりません。さすっても揉んでもひかない痛みの原因は、16歳の頃に損傷した頸髄にあるからです、たぶん。

「たぶん」というのは、最後に撮った私のMRI画像から、その損傷箇所が消えてしまったから。ある角度に身体を動かすと『ババババッ』と電流が走るように首から下の体が痺れたのに、最近はそんなことないかもーなんて呑気に思っていたら、首もとにピッと入っていた白いスジが跡形も無く消えていたのです。

雨が降ったり、寒くなったりすると「古傷」が痛む、なんてよく聞きますが、私の場合は痛む箇所がいっぱい、かつランダムなので、身体がギシギシしくしく痛む日は、なんだか少し面白い気持ちになってきます。もう怪我してから約15年。とっくの昔に治ってるはずなのに、人間の身体ってほんとに不思議だなーって。

頸髄損傷した時に頚椎も2本折れたので、首を固定するためにハローベストという器具にお世話になりました。
『hello!ベストちゃん!』
みたいな陽気な感じではなく、『halo vest』。輪っかが付いたベストのことです。(そしてベストといっても超カチカチで、中にもけもけが付いています。)

https://allabout.co.jp/gm/gc/452597/
(ネットで見つけた画像です、問題あれば削除します)

頭蓋骨に4箇所ネジを打ち込んで、超カチカチのベストと金属の棒を繋げて、首を持ち上げるという仕組みです。

これを装着する時が、まあ痛かった。

たぶん麻酔はしてもらったはずなんですが、そもそも頸髄がやられてるので、それどころじゃなく全身が痛くって。

棒アイスをかじった時に、奥歯がギーーーンと痛む知覚過敏の全身バージョンみたいな感じ。全身の皮膚が剥き出しの神経みたいになって、近くで人が動く風圧で顔の産毛が揺れただけで悶絶、毛穴から汗が滲み出てきて悶絶、掛け布団の衣擦れで悶絶……泣くと、涙腺から涙が出てくる瞬間が痛すぎるので、涙を耐えに耐えて……

そんな状況なのに、頭蓋骨にネジを打ち込まなきゃならないのです。
それも勿論激痛だったのですが(手術室で歯医者さんみたいな音を聞いたのは後にも先にもあの時だけです)、何よりも坊主にする時がいっっっっちばん痛かった。

日本人の毛髪は、一人当たり約10万本生えていると言われています。
全身の皮膚が知覚過敏の奥歯みたいになっているところに、バリカンを当てたらどうなると思いますか……?

叫びたいけど大きな声を出せず、身を捩りたいけど身体は動かず。気絶の一歩手前のところでなぶられているような痛みに、バリカンを入れられながら私の身体は、思わず生理的な涙を流してしまいました。

その瞬間、頭の上から看護師さんの揺れた声が聞こえたのです。「ごめんね…ごめんね…」と。

実は交通事故の前日、私は美容院に行ったばかりでした。しかも、髪を伸ばそうと思って、ショートカットから伸びた毛先を軽く整えただけ。「伸ばしてかわいくしようかなーと思って」なんて、母に話した矢先の事故でした。

私のそんな姿が頭をよぎったのでしょう。
ハローベストの装着方法について、医師から両親へ説明があった際に、取り乱した母はその話を病院でしたそうです。

「お母さん、髪はまた生えます。娘さん坊主にするのと死ぬの、どっちがいいですか?」
という医師の問いかけで、我に返ったとか。

看護師さんの発した「ごめんね」は、今思い返しても、とてつもなくエモーショナルな「ごめんね」でした。

もしかしたら、医師の説明の際に同席していたのかもしれません。そうでなくとも、その辺にいくらでもいそうな普通の女の子を、自分の手で丸坊主にしないといけないのです。しかも、バリカンを入れたらボロボロ泣き出すのです。とてつもない心理的負担だったと思います。

処置を受けている時、もう目も開けていられないくらいの痛みだったので、どの看護師さんが私にバリカンを入れてくれたのか知ることはできず、処置後も転院するまで生きることに必死すぎて、遂に、誰がそうだったのか、確認することができませんでした。

でも、冬になって「古傷」が、特に頭の皮膚が引き攣るように、ギシギシしくしく痛む日は、あの時の看護師さんの「ごめんね」を思い出してしまうのです。

あの後もいろんな患者さんと出会っているでしょうから、看護師さんはきっと私のことは忘れていると思います。
だけど、もしどこかで会えたら私は伝えたいのです。あの時、悲しくって泣いたんじゃないよ、ありがとう、と。

12月15日。交通事故に遭った日が、今年ももうすぐやってきます。

事故に遭った日は、私にとってのもう一つの「誕生日」です。
誰かにもうあんな「ごめんね」を言わせなくてもいいように、誰かを幸せにできるように救ってもらった命を生きていきたいなと、今年も心新たに思うのでした。

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