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必要とされたいという呪縛

2020/4/25(土)
コロナウイルスで自粛要請が出ているので、ここ最近人と直接会う機会がめっきり減った。
4月から新しい職場で働いているから、「普段」の動きをそもそも知らないんだけど、当初4月1日に会社のメンバーで集まったときにイメージしたのは、ほぼ毎日ワークオフィスに通って仕事をする日々だっと思う。

人と接触しちゃダメ、外にでちゃダメなのに
自宅に缶詰になり、人と接触することを避けるようにしていると
青空の下で思いっきり空気を吸えないことや人と距離をとること、
触れたら除菌しなきゃと神経質になるストレスを発散しなければやっていけない。
病みそうだ。てかほとんど病んでいると思う。

気分転換にドライブへ行こうと朝9時から家を出たけど、
いく先々でまた神経質になる。
飲み物を買いたいだけ、パンを買いたいだけなのに
コンビニや道の駅のトイレに寄るのも
何かの間違いでウイルスに触れてしまったら...と不安で泣きたくなる。
気持ちの動揺が体の動きにも出てきてしまっていて
車をぶつけたり、危うく子どもをひきそうになったりした。
この不安は何に対する不安か。
自死に対する不安ではないと思う。
ウイルスを持って帰ってしまったら、周りの人に迷惑をかけるという不安かもしれない。
その不安は誰かを思いやることによる感情ではなく、仕事仲間や彼氏に対して想定外の自分になりたくないという自己防衛からくるもの。

少しでも相手の思う通りに動けなかったら、見捨てられてしまうのではないかという不安。

やっぱり私は自分の存在をどうでもいいものだと思っているのかもしれない。
死んでもいいとまでは思っていないけど、代わりはいくらでもいる、というの考えが根底にある。
だから誰かに取って代わられるのが怖い。
必要とされなくなるのが怖い。


どうして、代わりはたくさんいるという考えに私は至っているのだろう。
何かそう思うようなきっかけがあったっけな?
私は私を認められていない。
このままじゃダメだという思いが強い。
いつでも自分に満点をつけられない。
このままの自分で十分素敵じゃないかと、簡単には思えない。

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