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おそらく私ADHDだった

心理の勉強を始めようと思ったときに、色んな先生の動画を見て

はじめてこの言葉を知った。

内容を見たときに、小学校低学年の時の私じゃん!と思った。


だから、息子を見ててもそんな気はしてて…

だって過去の自分を見せつけられてるようだったから(^^;)

息子が正式に保育園から発達検査を受けることを勧められて

ようやく引導を渡してもらえた感覚。

でも、そのあと襲ってきた感情は

「私も適切な支援を受けられていたら人生違ったのかな…」

というなんとも言えない、後悔のような大きな波。


私の根底にあるのは「無力感」。

私の感じていることはわかってもらえない。

伝えても伝えても伝えても

捻じ曲げられる

批判される

反抗期でもイヤイヤ期でもない

本当にそう感じない。

ただそれだけ。

子供であることはなんて無力なのだろうか。

幼稚園生の時点でそう思っていた。

早く大人になりたい。

田舎の田んぼ脇の道路を歩きながら、そんなことを思っていた記憶。


適切な支援を受けられていたら

こんな悔しい思いをしなくて済んだのかな…

トラウマが形成されずに済んだのかな…

そんな風に思った。

けれども、その感情を感じて…感じて…感じて…いくと、

きっとそんなことはない。

また別の形で「無力感」感じていただろう。

甘やかされて自立できない「無力感」とか。

たまたまタイミングが幼少期だっただけだ。

おかげで、今は自立した大人になれて「自由」である。

私が「無力感」を押し殺してでも得たかったものは「自由」。

ちゃんと得られてるよ。

頑張ったね、過去の自分。

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