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涙と正座と小心者

あの日、私は廊下にいた。雪の降る寒い夜、冷たい廊下で泣いていた。

中学1年生の一大イベントであるスキー学習の幕開けは残念なものだった。一番仲の良かった友人が発熱し、行くことができなくなった。バスの座席は隣だし、部屋も一緒だったのに。あとから思えばそれが不運の始まりだったのかもしれない。

部屋は6人。私と行けなくなった友人、あとの4人は別のグループだった。学年でも目立つ部類の子たち。仲が良かったわけではないけれど、人数の都合で一緒になった。大人しく教師の言うことを聞くようなタイプではなかったので、少し不安はあった。そしてその不安は見事に的中した。

一日の最後の点呼を終え、消灯。しばらくして彼女達は動き出した。別の部屋に遊びにいくという。嫌な感じがした。他部屋への出入りは禁じられている。私が戸惑っていると
「先生がきたらうまいこと言っといて」と言って出て行ってしまった。運の悪いことに私はその部屋の班長だった。

教師達が目を光らせるなかで見つからないはずがない。悪い予想は当たり、男性の教師が部屋にやってきた。
「おまえの部屋の〇〇たちが他の部屋にいた。班長は誰だ?お前か?一体どうなってるんだ」

学年でも厳しいことで知られる教師の剣幕に言い訳などできず、なす術なく廊下に引きずり出された。それから、こっぴどく叱られた。怖くて怖くて涙が止まらなくなり、小さな声ですみませんと繰り返すのが精一杯。とてつもなく長く感じられた説教が一通り終わったあとが、地獄だった。
「そこに正座、反省しなさい」

青白い蛍光灯がぼんやりと浮かぶ板張りの廊下。北国の冷気はどこからかそっと忍び寄ってくる。真っ直ぐに続く廊下には同じように座っている生徒が2、3人いた。その子たちと目を合わせて見つかっちゃったね、なんて肩をすくめる。ことは私にはできなかった。

廊下が寒い。でもそれ以上に心が冷たい。
悔しかった。あの時彼女らを止めるべきだったのはわかってる。教師の目をかいくぐることなんてできないってわかってた。でも言えなかった。クラスでも学年でもリーダー的存在の彼女たちに物申すなんて、小心者の私には不可能だった。そんな自分が悔しい。

でも何より理不尽に感じたのは、正座を命じられたのがこの部屋で私だけだったということ。おそらく彼女たちは別の部屋で説教を受けていたと思うけれど、結局別の教師が部屋に戻ってよいと言いにくるまでの小一時間、私は一人だった。

名ばかりではあるけれど班長だから責任があると言われたらそうだと思う。見逃したのは事実だから。連帯責任も受け入れる。5人で正座なら仕方ないと思える。でもなぜ私だけ?それがどうしても納得できなかった。

廊下は時々見回りの教師やお手洗いに出た生徒が通る。みじめな姿を晒していることが恥ずかしくて情けなくて、顔を上げることはできない。悔しさとも相まって、膝を見つめているはずの視界はぼやけて何も映っていなかった。

思い出したくもない苦い記憶の一つ。普段は心の奥底にしまいこんでいるのに、20年たった今でもふとした時に顔を出したりする。いつもならすぐにとっつかまえてまた押し込むのにそうしなかったのは、ここに書くことで少しは消化できるかなと思ったから。

この話を書くことで求めていることは何もない。あの男性教師に謝ってほしいわけではないし、教育のあり方について議論する気もない。小心者だった当時の自分も責められない。もし今同じような場面に出くわしてもきっと止められないだろう。私は今でも小心者だから。

ただ消化したかった。20年たっても心をざわつかせるこの記憶を、なんとか飼い慣らすことができればと思って。記憶を消すことはできないけれど、なぜあの時涙が止まらなかったのか。どんな気持ちで座っていたのかを整理することで、思い出しても苦しくならない記憶に変えられたらいいなと思う。



自分に頂けた評価で読みたい本が買えたら。それはとても幸せだと思うのです。