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私は私を生きるという選択と決断をした日の記録。

2021年2月。

私は私を生きるということについて。
社会における生きづらさの理由について。親との関係について。

○*…*°○*…*°○*…*°

いつのまにか心にまとわりついていた、実は要らないものたち。

それらの主な出処は、職場や社会における人間関係にあると思っていた。
この場所から逃げ出せば、この人たちと縁を切れば、私は社会での生きづらさや苦しみから解放されると思っていた。

だから、辛くなったら思い切って離れてみる。逃げてもいい、諦めてもいい、自分で決めてそれでいいなら、それでいい。
ここからは、きっとやり直せる、次の場所ではうまくいく、もう大丈夫。

そう、自分に言い聞かせながら、何度同じような境遇を繰り返してきただろう。
逃げても、違う道を選んでも、何かの呪縛のように同じような出来事を繰り返してしまうのだ。

どうして、うまくいかないのだろう。

どうして、こんなに生きづらいのだろう。

もっと、私らしく生きていきたいのに。

私の居場所は、一体どこにあるのだろう。

そもそも、私らしい私って、一体どんな人間なんだっけ…

そんな自問自答を繰り返す時間は、とても暗くて長いトンネルの中をひたすら歩き続けているような感覚だった。
もう、このままでいいや、と暗闇の中で立ちすくむ。
ああ、あの時に戻ってやり直したいと背後を振り返っても、戻る術もなくただ虚しいだけ。
やっぱり前を向いて、今度こそは、この先はきっと道が開ける、いいことがある、またそう信じて進んでみる。
それでも、終わりが見えない、そもそも行き先はどこなのかさえ分からない。

どうして、自分の道なのに、行き先が分からなくなるの?
これは、本当に自分の選んだ道なの?
どこで間違ったの?

たとえ、選ぶ道を間違っていたとしても、自分で決めたことだし、またやり直せばいい、そんな風にもっと軽やかに方向転換できたら、どんなに楽だろう。

そして、ある時、ふとこう感じた。
「何なんだろう、この喉につかえるような違和感の正体は。」

自分が決めて歩んできたはずの人生に、「違和感」を感じたのだ。
この違和感が続く限り、私はこのトンネルの中を彷徨い続けなければならない。そう気づいた。

「私は今まで、誰のために、この暗いトンネルを歩いてきたんだろう?」

これまでの人生で迎えてきた様々な場面において、どの決断も最終的に選んだのは自分だ。そのことは間違いないけれど、どこかに違和感がある。
なぜなら、それらの選択はすべて、自分が決めたようで、自分が本心から望んで決めたものではなかったからだ。何かを選択し、決断する時、その理由は、自分以外の他人からの評価を前提に塗り固められたものだったのだ。
私は、これまでの人生において、自分以外の他人からどう思われるか、他人が納得するかどうかを基準に、選択と決断を続けてきたのだった。


○*…*°○*…*°○*…*°

私の場合、自分以外の他人とは、親を指している。
幼少期から、親からの期待と評価に、いつのまにか翻弄され、囚われ、本来の自分という人間の意思を見失ってきた。
親の期待に応えることが、子供である私の役目で、それを果たすことで私は評価され認めてもらえる。
そうすれば、親が笑ってくれる、親の機嫌が良くなる、親から褒めてもらえる。
これで、私は愛してもらえるのだ。
これでいい、これがいい、これが私の正しさなのだと、いつしか信じて生きてきた。

本人は、必死で頑張り続けているのだけれど、親は、その努力や心境に目を向けてはくれなかった。この子はもともとできる子なんだと、いい結果を当たり前のように受け止め、そのうち、ならばもっといい結果が出るはずでしょうと、期待のハードルをあげていく。

いくら、親の期待に必死で応えようとしても、ひとりで完璧に全てを成し遂げられるものではない。
高過ぎるハードルに立ち向かう途中、限界を迎え、立ち止まったり、時には失敗したりする。

もう無理だと言いたい。
ここまで頑張った私を褒めてほしい。
もう大丈夫だよと笑って抱きしめてほしい。

でも、現実はそうではなかった。
あからさまに、ガッカリする親の表情と態度を目の当たりにして、私は、なんてとんでもないことをしてしまったのだろう、と自分を責めた。
やっぱり、頑張らなきゃ、親をガッカリさせないために、親に喜んでもらうために、私は頑張らなきゃいけない。

そうして、私は自分のために生きることから遠のいていった。


○*…*°○*…*°○*…*°

本当は、私はどんな子供時代を過ごしたかったのだろう。
本当は、何を勉強したくて、どんな大人になりたかったのだろう。
仮に、もう無理しなくていいよと言ってもらえたとして、私は一体、この先どう生きていきたいのだろう。

分からなくなってしまった。

生きている限り、親からの期待が終わることはない。
高い成績と学歴、いい職業と就職先。
そして、結婚、出産して孫の顔を見せてくれればそれが親孝行というものらしいけれど、私は生まれてから親孝行をするために、ここまで生きてきたのだろうか。

親を恨んだり、憎んだりしているわけじゃない。
どちらかというと、親のことは好きだと思うし、できれば何かしら、親が喜ぶ報告をしてあげたいと思う。

親からはよく、「子供のため、あなたのためを思って」と聞かされてきた。
そうなのかもしれない。
でも、そこにはいつも、親としての立場や世間体が見え隠れしていたことに、親も私も本当は気づいていた。

それでも、親から認められたかったし、愛されたかった。

何もない、ただ存在するだけの私に自信がなかった。

だから、何を決めるにしても、親の顔が頭に浮かんで、心の真ん中に「私」がいなかった。


○*…*°○*…*°○*…*°

ここに「私」はいない。

何度も同じ失敗や挫折を繰り返すのは、職場や人間関係のせいではなくて、私が私らしく自立できていなかったからだ。

自分の足元ではなく、親の期待と顔色を伺いながら、ブレブレの足取りで選んだ道の上で、私はうまく立ち上がることができない。なんとか立ち上がっても、その軸は不安定で、早く進めと前のめりになった体は、すぐにバランスを崩して躓いたり、転んだりする。

背伸びをしても、自信の無さを隠しながら、どんなに自分を繕っても、そのうち息切れしてボロが出る。
叩かれないように、他人の目を気にして動いていると、そのうち「あの人、ちょっと変わってるよね、何考えてるのか分からないよね」と言われているような気がしてくる。

どうして、こんなに頑張ってるのに、誰も認めてくれないの、誰も受け入れてくれないの。

ぜんぶ、周りのせいだ。
そんな、負のループから抜け出せなくなっていた。

でも、ここから先は、自分でちゃんと歩きたい。
ここから先は、私が私として生きていきたい。
ここから先は、心の真ん中に「私」がいることを誇りに思いたい。

そして、今度どこかで迷ったり、失敗したりすれば、それは周りのせいではなく、ちゃんと自分のせいで、寝て覚めたらケロッと忘れて、起きたらもう一度、自分の納得する選択をすればいい。

親は親。私は私。
当たり前のことだけど、ずっとずっと区別できなかったこと。

何かを選択する時、決断する時、親がどう思うかよりも、自分がどうしたいかを自分自身に問うこと。

親は、一生子供のことを子供扱いするらしいから、きっとこれからも、親にとって私は、聞き分けのいい子供のままなんだと思う。
親がそう信じ続けるなら、それでいい。
いつものように、「しっかりしなさい」「頑張りなさい」「ほんとにダメね」と心配し続けることが、親の幸せなら、それでいい。

私は私を生きること。

今この選択と決断が、私の人生を大きく動かし始める。
だから、もう、大丈夫。








自分の心と生活の変化についての記録。

まずは、心の変化について。
一時的なものかもしれないけれど、とりあえず2週間程、私にしては前向きな状態を保つことができていると思う。




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