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「人の価値」って何ですか?変わらないことの価値

僕はずっと「人の価値」って人材価値、すなわち市場価値だと思って、仕事を頑張ったり勉強したりしながら漠然といつか転職した時に高く売れる人材を目指していたと思います。

てっ、底辺ですが…泣

そしてこれがそもそも大きな間違いだったような気がするんです。

仕事の経験やスキルが豊富で高く売れるような人材だったら、収入も高くて、社会的地位もついてくるので、それこそが「人の価値」だと思って生きて来たんですよ。残念ながら単純な僕は真面目にそう思っていました。

ただ、これって「価値」であることには変わりないのですが、経営者にとっての判断指標に限った話ですよね。経営者のメガネを通して貨幣価値に換算した結果、労働者としての市場価値を値付けしていたに過ぎなかったのです。

何せ人生80年のうちの、半分の40年間の職業人生かつ1日の1/3の時間を費やしている間、すなわち人生の1/6の出来事に過ぎない期間の価値でしか無いのだから…

アインシュタインは「人間の価値」についてこう語っています。 「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」とのことですが、きっと家族に家を与えたり、友人に笑顔を与えたりと「提供価値」こそ価値そのものなんだといった幅広い解釈ができます。

ただ、これも価値を必要とする対象者を広げただけに過ぎず、他人の欲求を叶えた状態、すなわちマーケティングでいうところのユーザーニーズを満たしただけなのかもしれない。

だったら「自分の幸せ」にこそ価値があると言えば良いのでは無いかとも思うが、これもユーザーニーズのうちのただ1人にターゲットを絞ったに過ぎないのでは無いのだろうか。それが偶然自分自身だったってこと?

さらに、いわゆる「自分の幸せ=自己満足」で終わってしまったら価値を表出できないから他人に何も作用しない気がする。エントロピーが増大※しないので「人の価値」という物差しで言えば何も変わらないのだと…
※熱力学第二法則にでてくるもので「秩序があるものは、その秩序が崩壊される方向にしか動かない」という意味で、訳すと「覆水盆に返らず」のことです(笑)

でも、僕たちの周りには会社組織も、経済も、家庭も、友人も宇宙と同じように常にエントロピーが増大するという物理法則が作用しています。だから「成長する」や「拡散する」ことが自然の摂理に従って考えると普通のことで、黙っていても人は成長や拡散を続けて多くの人に作用し、何らかの価値を与え続けているような気がします。

逆に、エントロピー増大に抗って今のままの状態に秩序や均衡を保つのはもっとエネルギーが必要なことであって、実は「変わらない」こと「変えない」ことに価値があったりするような気もします。社会の均衡を保つことや、自分自身の身体の崩壊に抗って生きていること自体に意味があるんじゃないかな。

ずっと変わらない世の中って案外良いものかもしれません。

ということで、そろそろ経営者に価値提供しに行こっと!(笑)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。


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