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僕の人生は案外空っぽだった

「30歳で何者にもなれなかった僕」

今振り返るとたぶんこれが答えだったのかなって思うときがあります。

真面目に仕事やっていれば…

頑張って資格取れば…

大学受験でも、就職も上手く行かなかった僕は、ちゃんとやっていればいつか何処かで逆転があるのかもしれないって思って、ただ目の前のことだけを頑張って来た気がします。…別に逆転満塁ホームランを狙っていたわけじゃないけど、頑張っていればいつか何かが起こるはず。

いや、かもしれないって…

でも、過ぎていく毎日はあまりにも平凡で、ちょっとくらいのさざ波は毎日のようにあっても、ゲッティイメージの壁紙にあるような美しいビックウェーブには一度も出くわすこともなく、今となってしまった。

「可能性」という言葉は、人生の時間的経過とともに「喪失感」という3文字に置き換わっていた。目の前にある初夏の木々や駅前に立ち並ぶビル群の景色はいつしかモノクロームな世界に変わり、なんとも無機質で温もりも感じられない物体に変わっていた。

それでも僕は、昔恩師に聞いた言葉をいつも心に留めている。

「助走距離が長ければ長いほど、高く飛び立てる」

ずっとあてもなくただぼっーと走り続けていたけれど、どうやら僕はジャンボジェット機にはなれなかったようだ。それどころか結局はただのサラリーマンでしかなかった。なぜだか、昔街で流れていた「翼の折れたエンジェル」という曲が頭の中でループしている。

「もし、俺がヒーローだったら♪」

 …

「みんな、飛べないエンジェル」

サビと最後の部分だけがハッキリとした言葉で繰り返されていて、中間の歌詞は思い浮かばないがこの2つの言葉がきっと僕の人生そのもの…

でも、間の「…」の部分には、いろんな恋愛や旅、仕事での成功などいっぱい詰まっていた気がするけど、幾ばくかの記憶が頭の片隅にこびり付いているだけで僕の青春も仕事も空っぽだった。


まるで、カナダの心理学者エリオット・ジャックのいう「ミッドライフクライシス」に陥っているかのようだ。

ミッドライフ・クライシス(中年危機)とは、中年期に陥る心理的危機・身体症状のことである。生きる意味を失ったり、歳をとっていくことに不安を感じたり、このままでいいのだろうかと葛藤を感じたりする憂鬱である。

中年期の80%が、このミッドライフ・クライシスを迎えると言われており、人生が順風満帆と思われる人も、人生に失敗した人も、同じようにこの時期に危機を迎える可能性が大きい。 僕のように、ただ人並みに頑張ってきただけの人も例外なく当てはまるようだ。

たぶん、気がついたら僕の登山は高尾山の頂上どころか、とっくに弘法山の展望台からの眺望を見ずに長い長い下り坂を転げ始めていた。そして間伐もままならぬ薄明かりの鬱蒼とした針葉樹の中をいつまでも彷徨い続けている。

でも1つだけわかっていることがある、人生には必ず波があって、ピンチの後には必ずチャンスが来るということだ。僕の人生の経験から学んだことは、どんなに試合で押されていても気持ち残っていればワンサイドゲームにはならない。

転がり出した歯車は、速度を増して行くがやがてヘリコプターの羽根のようにワゴンホイール効果によってゆっくりと逆回転を始める。

そうだ、ここからが僕の人生のスタートだ。

決して目の錯覚なんかじゃ無い、現実世界の歯車はゆっくりと回り出した。

そんな気がする…

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