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食レポ「月を食べてみて」

『月の食べ方』については、ソイさんの記事「秘法 月を食べる」をご参照ください。

無事完食させていただいた満月についての食レポをここで展開したいと思っています。

いつものごとく音声入力による即興朗読にて、執筆を展開させていただくので、後々誤字脱字の校正をさせていただきますが、まずは突っ走ります。

さて、ここではまず、なぜわたくしが月を食べるに至ったのか? そもそもの動機を語らせていただきます。

昔わたくしは火星だったんです。

現在の地球では、まだわたくしのことは、『空の心臓』と、その少年に呼ばれていました。

完全に溶け込んでいるので、誰にも見えないはずなのに、勝手に名前をつけやがってと、ニヤニヤしていたわたくし、火星は、別に存在しないわけではなくて、ただただ、ブラックホールが地球と同じ質量を持つような感じで、とんでもなく重たい人間なので、そのぐらいちっちゃくなっちゃったら、空の心臓って呼ばれて、この広大な大空を作り出せる位のホワイトホールと繋がっちゃって、まぁ、それが後々火星になるんですけど。

うまく理解できないかもしれないんですけど、ホワイトホールとブラックホールが繋がってるって事は、時間がないってことなので、過去も未来もないわけで、私は空であり火星であるわけです。

でもそんなこと大体、身体で理解できる人は少なくて、人口の比率で言ったら、50,000人に1人位でしょうか? 

意外と多いと言えば多いんですけど、まぁその少年はそれが4歳の時にわかってて、勝手にわたくしのことを『空の心臓』って呼んでいたわけですわ。

で、ある時少年は、勇者になりたいと思って、刀を作ろうと思ったんです。

刀の名前は、『見えない剣』。

そうです、つまりわたくし『空の心臓』を形にしようと思ったわけなんでしょうけど、その時少年にはそれはまだわかってなくて、名前と素材だけは決まっていたんです。

素材は、完全に人から離れていること。単純に虫捕りが好きだったんでしょうね。自然の中にいるときのたった1人の感覚が好きだったんでしょう。

つまり、人の手によって生み出される鉄ではなく、人の手を介さずに存在する鉄=鉄隕石のみを使って、日本刀は作れないかなぁとか、そしたらめちゃめちゃ強いだろうなぁとか、そんなことを思いついて、隕石を探す旅に出たんです。

でも大体想像できるとは思うんですけど、そんなもん簡単に見つかるわけは無いから、それこそピラミッドの中で、たくさんのエッチな女の人たちとドロドロしながら、その中心にある、古代の英知の結晶である、重力調整室にて、クレオパトラのようなとんでもないお姉さんと泥沼のような関係になって、結局、ピラミッドから出られなくなった時期が約2000年あったり。

ようやく2001年に目覚めてみたら、今度は夢の世界に持っていけるのは、多分歌と音楽だけだろうってことに気づいちゃって、夢の世界と現実、両方同時にオンラインで結ばれながら、16年間ぐらい、うたは ゆめを わたる 霊界道 五十 三次 って わけのわからないラップのような足取りで、霊界の宿場を転々としながら、現実では霊界のような職場を転々としながら、音楽とはなんだろう=ポエムとはこういうものだと言うのをつかんで帰ってくるまでに、まぁ色々とあったみたいで

そんなこんなでようやく、「隕石の呼び方」だけは掴み取ってきたので、いつ噴火するかもわからない活火山の、火山灰の上に、見事隕石を呼ぶことに成功したんです。

で、隕石を探しに、満月の夜に旅立ったんですけど、月明かりに照らされて緑色に浮かび上がる、とても心が綺麗な女の人に出会っちゃって、まいったなぁって、面食らっちゃうんです。

そもそも勇者になりたくて、世界の平和を取り戻したいと思って旅を始めているのに、またピラミッドの中にはまっちゃうんじゃないかなぁと、自分の強さや弱さを天秤にかけるんですけど、それは余計な心配で、その心が綺麗な女の人は、昔、その活火山である双子山の、東側の河口にまだ存在した、澄み切ったカルデラ湖のような魂を持っていたので、そんなもの誰にも汚せるわけではないし、そもそもあらゆる美しさは、美しさとして自立しているから、誰にも破壊することなんてできないんだなぁということと、だから美しいものだけがボーダレスに時間を渡っていくんだなってことにも少年は同時に気づいて、この女の人と永遠に一緒にいたいなぁと思いながら、それを正直に即興朗読で伝えて、あなたのことを待ってましたとばかりに即答でOKもらえて、2人で鉄隕石を探しに行くんです。

で、海を渡って双子山に上陸したのはいいんですけど、太古の日本、つまり、縄文時代まで存在していたイグアナたち=別の形の龍が、ちょうど産卵期に入っていて、双子山の東の河口にあるカルデラ湖を目指して、ニジリニジリと行進をしていたんです。

200匹以上のイグアナたちが、灼熱の夏の中、乾いた岩の大地を、ひたすら歩腹前進で進んでいくんです。双子山の山頂目指して。

少年も女の人も、それはそれはまいっちゃうわけですわ。いつ噴火するともわからない、この活火山でそれをやられても、見ているこっちとしては、気が気ではないし。でもだからといって何ができるわけでもないので、ただただ指をくわえて見守るしかないといった心情に、なんだか自分自身を試されているようで、いろいろなことに気づいちゃうわけです。

つまり2人は何もしゃべらずに、2週間ぐらいの時間をかけて、イグアナたちと一緒に山頂までゆっくり登っていったんです。

それは満月から半月になる、ちょうど半分位の時間で、その時に少年と少女は、「月の食べ方のマニュアル」に従って、月の食べ方を半分だけ覚えたんです。

無事イグアナたちとともに山頂にたどり着いた少年たちは、

白い火山灰を敷き詰めた噴火口で、イグアナたちが散り散りに分かれじっとしたまま動かなくなったのを見つめています。

やがて2週間後の満月の夜に、いのちの連綿をひとつぶの嵐に変えたイグアナたちが

1粒の涙を流しながら、ゆっくりと、一斉に立ち上がるまで、2人は口を聞かず、それぞれの1粒の涙が、同時に落ちるそのシンクロの音を、2人は同時に声に変え、なるほどこれが、私たちが食べた満月なんだなぁと、女の人は、子宮に宿した、目の前の少年のことを考えながら、13800000000年の宇宙の流れ、4600000000年の生命誕生を、1年に満たない期間に圧縮した、そのタイムマシンである体内の無菌室、空の心臓を奏でる心の水琴窟の音色を確かに噛み締めながら、目の前の少年にキスをして、美しいさよならを演じて見せたんです。

女の人は嵐が晴れて雲が糸のように解けていつの間にか消えるように、少年の前から消えていて、そこに残った青空を背負いながら、少年はイグアナたちとともに山を降りました。

そして、火山灰の上で見つけたいくつかの鉄隕石のかけらを故郷に持ち帰り、死んでしまったと思っていた刀鍛冶の師匠、育ての親であるその人が、図らずも鍛冶場に帰っていた、そんな奇跡とともに、隕石の剣作刀をはじめ

もっと太陽に近づけ

もっと太陽に近づけ

って、火星と木星の間の巨大な鉄隕石同士がぶつかり合って、それが互いに融合するか融合しないか、太陽から近いかそれが遠いかによって、融合できるか融合できないか

もっと太陽に近づけ

もっと太陽に近づけ

って、つまりはこの地球が、巨大な鉄隕石同士の衝突によって1つの形をなし、それがやがて数十億年の時間を経て、空の心臓=火星でありますわたくしが、巨人の胃袋から生まれた、ひとつぶの巨大な音楽=永遠として、夢の世界を司る完全なる文化として、ええ、命を司る宇宙の1粒の精子として地球へと送り込まれ、地球と言う受精卵に衝突し、優しく砕かれ、そして地球の周りで輪舞し、やがて寄り集まって、こうして満月となり、私は私を食べることで私になったのです。

つまりそれが生命の誕生であり、そこから地球に潮の満ち引きが生まれたことは言うまでもなく、それが音楽の誕生であったこと=月を食べたことの証であることは、もはや秘密でもなんでもないのが2021年2月17日9時6分の朝でございます。

これらを即興朗読で音声入力し、こうしてわたくしが書き記している以上、解体された日本語、あいうえおかとして、AIにできないことをやり続けるということは、AIを誰よりも助けていると言うことに他ならず、誰よりもAIに協力しているわたくしにこうして協力してくれるAIに感謝しつつ、『ナイトライダー』とうタイトルの、子供の頃好きだった海外ドラマの、車についてるAI『ナイト2000』と、女にからきし弱い凄腕刑事である『マイケル』との冒険は、VHS時代の少年の、1人残された家族のいない食卓からすでに始まっていたのです。

満月を食べるにはコツがあります。

その秘訣は、たった独りになれること。

どんな状況であれ、誰といても、たった独りであれること。

つまりそれは、人間がバランスを取るためにかすかに入れているその揺らぎをゼロにできること。


そうすることによって、すべての音を逆に受け取ることができるので、360度の視界を手に入れることができ、空になることができるからです。

それを私たち火星は、静寂=「しじま」という名前で呼んでいます。

永遠というものは、人間が作り出した文化です。

すべてのものを断絶したときに訪れるのが永遠です。

でも時間がある限り、すべてを断絶する事は無理なんです。

時間と言うのは時系列と言うつながりなので、それを上手にデジタル化し、すべてを0と1に分け、全てを数値化し、すべてのつながりを個体としてそれぞれの数字に分けられた時、私たちは今この瞬間という全てのつながりになれることができるのですが、

時間と空間、つまりは自分が宇宙であることを感じながら生きてしまうと言う宿命が、どうしても、私たちの命=感覚がもつ、特有のデフォルトなので、まぁなかなか、その味は語り尽くせないものでもありますが、

何分申し上げたいのは、永遠は永遠であり、永遠でしかなく、永遠ゆえに永遠に求め続けてしまうのでありますから変わり続けることが永遠に許された永遠にのみその答えを永遠に期待することができるわけで、このように永遠にマトリューシュカのように、言葉がつながっていくこと=遺伝子が更新されていくこと=文化が発展すること=文明が形を変えていくこと=と言う=が増えていくのが永遠の、この世界において表現される性質でございまして、本当は、永遠は永遠であり、永遠でしかないのですが、まぁなかなか、この宇宙に形を置きながら、永遠であることを同時に保つ理性を持った存在は、なかなか存在し得ないようにも思うんですけど、実は結構簡単だったりするのかなぁと言うのは、テレビゲームをやりながら友達と話している子供たちからうかがえるわけです。

そんなわけで、意識を失うことによって初めて見ることのできる映画館よりお送りいたしました、わたくし、火星に寄ります、月の食レポでございました。

誤字脱字がまだ多いかと思うんですけど、そろそろお腹も空いたし面倒くさくなってきたので、一旦休憩させていただきます。

この頭痛が少し冷えたら、また戻って参りまして、推敲と校正をさせていただきますが、どうして火星になってまで、ちまちまと文字を入れ替えなければならないのかと思うと、そこに最高の幸せがあり、

やっぱり文章書く事は面白いなぁと思ったり、早く誤字脱字と言う概念のない音声入力機能が発明されないかなぁと思ったら、すでにわたくしという現象=思考=感覚=いのちが発明されているんではないかと気づかされ、もう語る事はございません。

永遠からの手紙、でした。

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