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令和阿房列車論~その10『実歴阿房列車先生』より(3)

このシリーズの『令和阿房列車論』をメインにしたかった私ですが、このシリーズを1ヶ月以上も空けてしまいました。お楽しみにして頂いている皆さんにはお詫び申し上げます。

前回は学生時代から戦後直後の百閒先生の回顧でしたが、今回は平山先生(ヒマラヤ山系)が百閒先生に同行する、いわゆる阿房列車を平山先生の視点で書かれている場面まで読みました。ページ数にして50ページ位でしょうか…1ヶ月もあってどんだけ本読んでいないんだ!と怒られそうですが、この点についてはただただお詫びしかありません。

百閒先生の『特別阿房列車』と『区間阿房列車』を平山先生の視点で読んでいくと、百閒先生は平山先生のことを曖昧な受け答えしかしない若者と見ているのですが、平山先生は百閒先生のことを頑固な人と見ているものの、その頑固さに対して心の中では反発するものの表には出さない葛藤が表れています。

さて、

今日(2021/9/15時点)で『鹿児島阿房列車 前章』の途中まで読み進めることが出来ました。

ここまで読み進めて感じたことですが、百閒先生も平山先生もお酒の話に事欠かさないことで、それほどお酒を飲まない私にとっては旅程のお酒の確保に悩むお二人に感服します。

『鹿児島阿房列車 前章』でお二人が乗車した三七列車『急行 筑紫』には食堂車が連結されていないため、コンパートメントでお酒を飲むために、旅行前に4合は入る魔法瓶を2つ買い、その魔法瓶にお燗したお酒(日本酒)を入れて旅行に携えるというお酒に対する気の入れように、お二人の旅行(阿房列車)には何がなんでもお酒は欠かせないアイテムであったことに感慨深いものを感じました。

さらにお酒についての話で、昭和20年(1945年)5月25日の東京空襲の日について『東京焼儘』に書かれているくだりで、戦時下で配給されたお酒を空襲の中を一合入った一升瓶を持って逃げ回ったエピソードにはお酒に対する百閒先生の思い入れの大きさに感服するしかないでしょう。

私の話になりますが、私自身の学生時代に先輩に「酒の一滴は血の一滴」と教わったことがありました。百閒先生にとってもまさに「血の一滴」たるお酒は、その後の阿房列車の話に欠かせないのです。



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