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iPhoneにトリセツが無いのは、社会全体をトリセツに見立てたから?説
「自由」はiPhoneに似ている。
取り扱い説明書がついてこないからだ。
「自由」は生まれながらに僕ら日本国民全員に与えられている権利である。
僕も持ってるし、君も持ってる。
僕の両親も持っていたし、そのまた両親(僕から見ればじいちゃん&ばあちゃん)も持っていた。
でも、その誰もが「自由」の取り扱いに苦心した。
「トリセツ」が無かったからだ。
昨日、師匠のいる職場で、先輩プログラマーのPさんと話していて、Pさんに意外な癖があることを教えてもらった。
Pさんはパソコン等の機械系の仕組みにめっぽう強い。
会社のオンラインシステムも、ほとんどPさんが組んでいる。
そんなPさんは「ヲタク」である。
僕はプログラマーでもSEでもないので、その辺りの詳しい話はよく分からないのだが、Pさんがヲタクであることはよく知っている。
それはPさんの言動が挙動不審でキモいからとか、そういう話では一切ない。むしろPさんはどちらかといえば清潔感のあるキレイな顔立ちをした2児のパパである。
僕がPさんを「ヲタクだなあ〜」と感じるのは、まずPさんが仕事がデキる方であること。
そして、仕事の話を楽しそうに話すこと。
さらに、現在抱えている仕事とは直接関係のない技術の習得をしている時には、より一層、楽しそうに見えること。
なので、仕事をしているのに、THE・仕事中には見えない表情がたびたび目撃されていること。
社内でも指折りのタスク保有数を誇るPさんが、激務の中でも楽しそうなのは、きっと仕事をしながら仕事の中でPさんの「ヲタク」性が満たされているからではないか?と思う。
そんなPさんが話してくれた、幼少期から続くある「癖」にまつわるエピソードが面白かった。
その「癖」は、取り扱い説明書についてだ。
家電とか、ゲームソフトとかを買うとついて来るアレ。
あのトリセツを、Pさんは熟読するらしい。
すみずみまで。
舐め回すように。
僕はそんなことは断じてしない。
小5の時にじいちゃんが買って来た週刊誌のエロページなら穴が開くほど見つめたけど、トリセツなんて絶対に読まない。
特に家電について来る分厚いトリセツなんて絶対に。
でも、Pさんは違うらしい。
Pさんは読む。
Pさん曰く、トリセツの中でも特に「操作説明」や「機械の仕組み」について書いてあるページが推しらしい。
しかもこの癖は、SEになってから始まったわけではなく、もともと幼少期から自然にやっていたらしい。
人って不思議だ。
「なんでそんなにトリセツを読むんですか?」
と聞くと、
「その会社の意向とかが、トリセツの書き方とかに出てて、面白いんだよね〜」
「え?トリセツに会社の意向が出てるんですか?」
「そうなんだよ、けっこう出るんだよ〜。書い方の違いとかから、それが読み取れるってわけ」
「じゃあ、Pさんはそれを知るのが好きなわけですね?」
「そう。それを知るのが好きなの。あ!この会社はこういう書き方するんだ〜!とか、内部はこういう仕組みになってるんだ〜!とかね」
「知るのが楽しいわけですね。マジで天性のSE体質っすね」
「たしかに。知ると満足するね。だからトリセツ、読んだら捨てちゃうもんw」
「えw捨てちゃうんすかwww」
「うんw捨てるwww」
「トリセツには愛着ないんですねwあくまで知ることが目的でw」
「そうだねw」
と、いうわけでした。
で、そんなPさんはトリセツの付いてこないiPhoneをどう思っているのかが気になり聞いてみた。
「Pさんは、iPhoneはどう感じるんですか?トリセツないけど」
「アレはね〜〜〜、すごいよね〜〜〜、すごいなあ〜〜、って思うよ」
「すごいっすよね」
「でもさ、俺iPhone3Gを、当時いち早く買ったんだよね」
「はい」
「でもその時、スワイプってのが全然わかんなくて、電源入れたはいいものの、最初のホーム画面からいっこうに進めないわけ!スワイプなんて概念ないから」
「たしかに、当時のガラケー天国ニッポンにスワイプなんて概念はありませんでした」
「だからiPhoneの画面をめっちゃふれまくったのよ!で、ちょっとだけスワイプっぽい動きは見つけるんだけど、最後までやりきらなくて、結局分かんね〜!どうすりゃいいんだ〜!みたいな」
「ああwあの半分だけスワイプする、アレですよねw」
「そうwで、結局1時間くらいそんなことをず〜っとやってて、最後にたまたま全スワイプした時に開けて、うわ!!開いた!!!!ってなったw」
「自力でスワイプまでたどり着いたんですねwすげえw」
なんてことがあったそうです。
で、自由とiPhoneは似ています。
トリセツがないので。
でも、iPhoneはトリセツ無しでも、いや、むしろ分厚いトリセツなんて無かったからこそ、こんなにも世界中をスマートに席巻したように、
「自由」もまた、トリセツがないおかげで、こんなにも人間社会にグローバルに浸透しているのかもしれない。
でも、僕は自由のトリセツが欲しい。
iPhoneはトリセツが無い代わりに、Pさんのようなパイオニアの方が苦心して攻略した数々の操作術を、口コミやネット経由で教えてもらえる。
いわば、社会全体がiPhoneのトリセツとなるように、iPhoneというデバイスはデザインされたのではないだろうか?
会話や口コミやサイトのレビューなどが、あらかじめiPhoneの体験の中にトータルで折り込まれていたんじゃないかな。
UX(ユーザーエクスペリエンス)の概念を発明していたAppleのチームならやりそう。
iPhoneの発売時期にはすでにFacebookなどのSNSもあったしね。
ソーシャルでの体験が、デバイスの使用体験と断絶なくつながっていることを見据えていた。
人と人のつながりが、iPhoneにとってのトリセツとなる。
コミュニケーションそのものがトリセツの役割を果たす。
だからiPhoneにはトリセツが不要だった。
これは茶道や能楽など、日本の芸道に古くからある「見立て」カルチャー。
禅を学んでいたジョブズなら、当然おさえていたはずです。
そんな気がするんですが、どなたかAppleのマーケティングに詳しい方がいらっしゃれば教えていただきたいです。
なので、僕は社会全体が「自由」のトリセツとなればいいなあ、と思うのだけれど、現状なかなかそう上手くはいっていないことは、残念ながら周知の事実。
こんなに頭のいい人はいっぱいいるのに、なぜか仲良く出来ない人類史の先端にいるのが僕らだ。
なので、僕は自由のトリセツを書こう。
そしていつかPさんにも読んでもらおう。
たとえ捨てられる運命だとしてもw
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