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続報!!なぜラッパー・釈迦はインドで生まれたのか?

今宵を、いかがお過ごしだろうか。


先日、

「シャカはラッパーだった」

「お寺はクラブだった」

という衝撃の事実で仏教界をゆるがしたばかりだが、

またもや衝撃の事実をお伝えしなくてはならない。


ラッパー・釈迦のエピソードを伝える文献の中に、ある興味深い一節を見つけたわたしは、思わずページをめくる手を止めた。


これを読む方の中には、まだ「釈迦=ラッパー説」に疑問を持っておられる方もいるかもしれない。

「いやいや、2500年前のインドにヒップホップとかねえからwww」

と。

そう思いたい気持ちは、分かる。

だが、この先を読み進めることで、その歴史認識は一変する。


これは危険な情報開示だ。いつ削除されるかもわからない。

今のうちに、その胸に焼き付けておいてほしい。


それでは、いってみよう。


パララパララパララパララパ〜ン♪(世界ふしぎ発見!的な効果音)



かの有名な「菩提樹のさとり」を経た釈迦は、ラッパーとしての音楽活動を開始しました!

35才でのデビューは遅咲きと言えますが、そのスタイルはまたたく間にシーンを席巻!

当時のインド音楽シーンに衝撃を与えます!


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はじめは少人数だったお客さんも、ツアーを進めるうちにどんどん増えます。

気がつけば、ライブにはいつも100人以上のオーディエンスが詰めかけるようになっていました!

しかも驚くべきことに、そのオーディエンスの多くが、ラッパー・釈迦の熱烈な「追っかけ」として、ツアーに同行しだしたのです。


「会いにいけるアイドル」

ならぬ、

「ついていけるラッパー」

だったシャカ!


ファンは堂々と街から街へ、ラッパー・釈迦のあとをついて行きました!

(注:この「追っかけ」集団のことを、仏教界では「弟子」と呼んでいる)


こうして早くも100人の「追っかけ」を引き連れたラッパー・釈迦は、マガタ国の首都・ラージャグリハ(現在のラージキル)にやって来ました。

ここでも、彼の人気はとどまるところを知りません!

連日のライブは大盛況!

街からは多くのオーディエンスが押し寄せました。


街の若者たちは、ラッパー・釈迦の巧みなフロウと、聴いたことのないリリックに酔いしれます。

そして彼らは、釈迦が「ついていけるラッパー」であることを知るやいなや、「追っかけ」になることを決めるのです!


このラージャグリハでは、なんと1000人におよぶ男たちが「追っかけ」となったと言われています!

もう少しで、zepp東京が埋まりそうな勢いです!

釈迦の人気は、もう誰にも止められない!!!


しかし、ここである問題が発生します。


「追っかけ」になった若者たちは、家に帰らずにずっとラッパー・釈迦のあとをついて行きます。

これを「出家」と呼びます。

今でいう、「フジロック行くんで有給使います」みたいな感じです。

しかし、若者たちはついて行ったきり、家に帰ってきませんでした。


もし、家族が週末、フジロックに行ったきり、帰ってこなかったらどう思いますか?



事件だっ!!!



と、思いますよね?

そうなんです。

これに不安を感じたのが、街の人たちでした。


「わたしの息子が急にラップやりだした!」

「わたしの夫がLINEでちょいちょい韻ふんでくるようになった!」

「うちの跡取りがフェスに行ったきり帰ってこない!」


やがて、その不安は憤りへと変わります。

男たちが「追っかけ」になったことを、彼ら彼女らは「ラッパー・釈迦に大切な人を奪われた」と感じたのです。


そして、ここからが本題です。


当時の様子を伝える文献を読むと、気になる一説が目に止まりました。


”不安と憤りを感じた人々は、托鉢中のブッダの弟子に向かって歌をうたって非難するようになりました。”



……歌?


……歌を、うたって?



あ、ああ!アレか!

抗議デモとかでよくある、シュプレヒコールの類か!

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「わたしの息子を返して〜!」

ってか!

たしかにあれも、歌といえば歌だよな!

そっか〜、デモ行進の文化って、こんなに昔からあったんだな〜!




って、おい


この流れからして、



この「歌」って、



どうみてもラップだろ?




てことは、「歌」をうたって講義したって、




どう考えてもラップバトルじゃねえか!!




喝!!!!!

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これって、俗にいう「ビーフ」(相手をけなし合う「ディスりあい」を意味するヒップホップ用語)ってやつだろ?

おいおい、そうなるとなんだよ?


この時代、2500年前のインドってのは、「文句があったら庶民がラップバトルで決着つけようぜ」って、そういうお国柄だったのかい?

そんな梅田か渋谷の高校生くらしかやってなさそうなノリノリな文化が、すでに根付いてたっていうのかい??


なんてこったい!

ここでようやく、なぜ2500年も続くラップシーンの創始者がインドで生まれたかの謎がとけたぜ。


そもそもインドはラップ大国だったのだ。



ちなみに、このラップバトルをしかけられた弟子(追っかけ)たちは、釈迦に、

「街に行ったら、おばちゃんたちがバトルしかけてきました!」

と報告したようですが、釈迦は、

「こっちは悪いことしてないんだから、一週間もすれば自然とおさまるよ」

と、平然としていたご様子。


すでにスタイルの確立されたラッパーだった釈迦は、バトルにはさほど興味はなかったようですね。


さて、そういうわけで、

「釈迦=ラッパー説」

「お寺=クラブ説」

につづき、

「インド=ラップ大国説」←New!

が加わったところで、今宵の報告は以上となりま〜す。

お読みいただきありがとうございます。


つづくぅ!!



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