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ぶっちゃけ俺たち「全員囚人」だからw「This is water/これは水です」のお話②

きのうの続きやで!

(ウォレス先生のスピーチ全文はquippedさんのブログからどうぞ)

2005年のケニオン大学のスピーチで、作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスは、

人生において、もっとも自明で大切な現実は、
得てしてもっとも見えづらく考えにくいものだ。

quipped/「これは水です。」

つまり、魚にとっての

水みたいなもん=This is water

やで!!!

と切り出した。


僕らは、水を泳ぐサカナのように、最も大切なものを「見ることができず」また「考えられない」生き物なのだ、と。


そんなサカナくん&サカナちゃんである僕らが、常に気をつけておかなくてはならないこと。それが、

「考えるべき対象を自分で選べるようになること」

これこそ、人が「教育を受ける価値」だとウォレス先生は言う。


考えるべき対象を、自分で選べるようになること?

それが教育を受ける価値?

うーん、分かるような、分からないような感じだよね。


大丈夫。ウォレス先生はバッチリ分かるように説明してくれてる。


なんと2人のアラスカ人のショートコントをしてくれるんだ。トリッキーだよね。

アラスカの雪原のバーで、二人の男が酒を飲んでました。
1人は信仰深く、もう1人は無神論者で、
神の存在について、ビール四杯目くらいから
ガッと来る迫力というか頑固さで、議論をしていました。

無神論者はこう言いました。
「あのな、理由もなく神を信じないわけじゃないからな。
お祈りやらなんやらだってやったさ。
先月だってヒドい吹雪に巻き込まれて遭難したんだよ。
何も見えないし気温はマイナス45度。
もうダメだと思って一か八かで神様にお祈りしたんだよ。
『助けてくらっさい。さもないと死んじゃう』って」

この話を聞いた信仰深い男は、
不思議な顔でもう1人の男を見て、こう言いました。
だったらもう神を信じるしかないだろう。
こうやって今、君は生きているじゃないか。」

すると遭難した男は、呆れた顔で答えました。
そんな神様なわけねーだろ
2人のエスキモーがたまたま通りかかって
帰り道を教えてくれただけだよ。」

quipped/「これは水です。」

「神を信じる男」「神を信じない男」が、酔っぱらってケンカをしてる場面なのね。

で、問題になっているのは、神を信じない男が「遭難」して、「エスキモーに助けられた」というエピソードの解釈が、真っ二つに割れてるってこと。

おんなじエピソードなんだけど、意見が真っ向からぶつかってしまうんだ。


「神を信じる男」の脳内では、

「遭難した」×「エスキモーに助けられた」=「神様ありがとう!!!」

となり、エスキモーの登場=100%神様のおかげ、つまり「神の実在」証明になっている。


一方、「神を信じない男」の脳内では、

「遭難した」×「エスキモーに助けられた」=「エスキモーありがとう!!!」

となり、エスキモーの登場=100%エスキモーのおかげ、つまり「神様の不在」の証明になっている。


これじゃあ、議論は進まない。2人の仲が縮まることもないよね。


そこで聡明なウォレス先生は、

「2人とも、もうちょい謙虚になろーぜ」

と言っている。

どういうことだろう?


信仰深い人間も、無神論者も、
抱えている問題は同じで、両者ともに、
盲目的な確信と狭い了見に起因する、
獄中にいることすら気がつかない囚人です。

quipped/「これは水です。」


実は「神がいる派」も「いない派」も、抱えている問題はおんなじで、「自分が信じていることが100%正しいと思い込んでいるタイプ」

それは例えるなら・・・

獄中にいることにすら気づかない囚人!!!

みたいなもんやで!!!

と、ウォレス先生は言う。

(ちなみに街中にいることにすら気づかれない囚人といえば、ウォーリーだ)


2人の男は、自分が盲目的に「正しい!」と信じていることを、なかなか疑うことができない。

片方が「神様100%」で、もう片方が「エスキモー100%」なんだ。

そんな2人が、そのまま口論を続けて行ったらどうなるかな?


戦争だね


「神様100%軍」vs「エスキモー100%軍」の、血を血で洗う凄惨な争いが繰り広げられることだろう。

でも、そんなのは誰も見たくはない。

そんな結末のために、神様だかエスキモーだか知らないが、遭難した彼を助けたわけじゃない。

そうだよね?


でも、僕らの大半は、彼らとおんなじようなもんだ。

自分が信じていることを「100%正しい!」と、盲目的に信じている。


しかも厄介なことに、僕らは自分が盲目的に「正しい!」と信じていることには、盲目ゆえに気がつけない。

そう、水を泳ぐサカナが、「水」の存在に気づけなかったように。

まさに「透明な思い込み」に浸されながら生きているんだ。

だから僕らは「獄中にいることにすら気づかない囚人」なんだ。


This is water.

これは水です。


僕らは「水」に気づかないサカナ。

「透明な監獄」の存在に気づかない囚人だ。


僕らがもし、少しでもこの「透明な思い込み」つまり「自分自身が盲目的に信じ込んでいる思い込みの存在」に気づくことができれば、少なくとも「獄中にいることにすら気づかない囚人」ではなくなる。

「獄中にいることには気づいている囚人」にジョブチェンジできるわけだ。

「盲目の囚人」から、「目の見える囚人」へレベルアップだ。やったね。


ウォレス先生は、これから大学を卒業して社会人になる人間が「盲目の囚人のままなのはやべえ…」と感じていたんだろうね。

だからせめて「目は見えてる囚人になっとけよ!」という意を込めて、この話をブチ込んでるってわけだ。


で、人は自分が「獄中にいる囚人」であることに気づいたら、どんなことを思うかな?


「出てえ」


そう思うんじゃないかな?

え?思わない?


いや、思うよね?

だって、目の前に「監獄」があるんだよ?

ジャマじゃない?ウザくない?


「こっから、出てえ!!」

そう思うはずだよ。

ショーシャンクの空に、を再現したくなるよね?



「海賊王に、オレはなる!!!」的な勢いで、


「ショーシャンクの、オレは空!!!」的なことを思うよね?


脱獄したい!!って、フツーに思うよね?


そこで、「This is water」なんだよ。

そこにある、「見えない水」に気づく能力なんだ。必要なのは。

「自分自身が盲目的に信じ込んでいる思い込みの存在」に気づくための能力が必要なんだよ。


それをウォルス先生は教えに来たんだ。

なんだか、めちゃめちゃカッコよく見えて来ない?


で、その能力こそが、「教育を受ける価値」

つまり、

「考えるべき対象を自分で選べるようになること」

なんやで!!!

と、ウォレス先生は言ってるんだね。


考えるべき対象を自分で選べるようになれれば、

この監獄から、出れんじゃねーの?

「思い込みのオリ」から、抜け出せるんじゃねーの?


そう、ウォレス先生は言ってるんだ。

(「マジかよ、もう卒業しちまうよwもっと早く言ってくれよw」って僕がこの日の卒業生だったら思うかな)


で、ウォレス先生は、数ある思い込みの中でも、最強の思い込みは、

「世界の中心は自分である」

という思い込み、つまり「自己チュー」だと言います。

一つ、ぼくが「自動的に正しいと信じてきたこと」の例を挙げましょう。
それは、ぼくの周りにあるものは、
「『ぼく』は最もリアルで、鮮明で、大切な、
宇宙の絶対的中心に存在する」
という信念を支えるためにあるということ。
(略)
悲しいかな、我々のほとんどは、実際のところこうです。
言わば我々のデフォルト設定で、
生まれた時からそう信じるようにプログラムされています。
(略)
これは人徳の問題ではありません。
先天的な自己中心的なデフォルト設定を
いかに抜け出すか
という問題です。

quipped/「これは水です。」


ウォルス先生、さすがっす。

いきなりラスボスの開示っす。

要は、こいつが僕らが囚われている「見えない監獄」らしいんです。


「自分こそがセカイの中心だ」


そう考え、行動してしまう僕らの思い込み。こいつに四六時中、囚われている。


しかもそれはなんと、先天的なデフォルト設定のプログラムなんや!!

とウォルス先生は言うんです。


iPhoneを買ったら、お天気アプリがついてくるじゃん?

Androidでも、たぶん入ってるよね?メモアプリとか。

あんな感じで、僕らは初期設定で「セカイの中心は自分だ」とプログラミングされてる、っちゅーわけだ。


どんだけ〜w


自分だけは、関係ない。とかない。

みーんな、ある。設定されてる。

生まれた時点で、全員囚人なんです。

全員、監獄スタート。


え?なぜ?

アウトレイジみたいな?

「全員悪人」的な?


そう、そうなんですよ。

「全員囚人」なんすよ。ウォレス先生に言わせれば。


だから伝説のスピーチなんですね。

ジョブズ超えなんです。

全米1位なんですね。


だって、そんなこと、誰も卒業式で言いませんもん。

人生の晴れ舞台で、学生のゴールであり、社会人のスタートである、なんだかめでたい、誰もが浮かれてる日の舞台で、言えませんもん。


「ぶっちゃけ、全員、監獄におるで」

「この星に生まれてる時点で、そうなっとるで。初期設定やから」

「iPhone買ったら、メモアプリとか入っとるやろ?あんな感じやねん」

「最初っから入っとんねん」

「アプリが、やないで。キミが監獄に、やでw」


みたいな感じで(ウォルス先生はこんなにイヤな関西弁ではないですがw)、突きつけられませんよね、フツーは。

よく晴れた卒業式の日に。痛快ですね。なんてイタ気持ちいいんでしょう。



で、この「初期設定」と戦うために、教育があるのだ

つまり「自己チューの監獄」から脱獄するために、考えるべき対象をみずから選べるようになろうや!!とウォレス先生は言ってるのです。


でも、ウォルス先生は人生経験も豊富なお方で、しかも最後は自殺しているお方なんで、「この脱獄がいかにキビシイものであるか?」も、しっかり語ってくれるわけです。


人生とかいう脱出ゲーム、まじ無理ゲーなんだけどw


そんなお話が続きます。


本日も長くなってしまいましたね。続きはまた明日!


今日のまとめ

・僕らは「水」が見えないサカナみたいなもんだ

・いや、むしろ「監獄が見えない盲目の囚人」みたいなもんだ

・その監獄は「セカイの中心は、たぶんオレorわたし♪理由は特にないけど、たぶん100%そう♪たぶん♪」という思い込みでできてる

・そこから脱獄するために、考えるべき対象をみずから選べるようになろうや!!


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