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「いじめ」なぜ無くならない。

「いじめ」というモノが無くならない。
なぜだろう。

「いじめ」について
良いことなど1つもないのだから、
無くなってしまえば良いし、無くなるべきだと思う。

しかし、無くならない。

なぜだろう。

僕なりに色々と考えること。
それをここに残しておこうと思います。

この記事を読んだ誰かが、
少しでも楽になれば非常に嬉しい。

不快に思う誰かも、
いるかもしれない。

しかしこの記事は、
誰かに向けて書くというよりは、
自分自身がこの考えを忘れないために、書く。

強いて言うのであれば、
僕の息子たちがもう少し大きくなったら
読んで欲しいなと、そう願うくらいかな。


年始1発目の記事にしては
少し深い内容の記事だと思いますが、
宜しければお付き合いください。


いじめが無くならない、その理由。

いじめが無くならない理由は色々とあるだろうし、
年代や世代によってもそれは異なってくると思う。

なので、いじめが無くならない理由は「これ!」
とは断言することはできない。

だけど、これが影響しているのでは?
と思うことがある。



それは、


「大人が大人をいじめているから」



「いじめ」というと、
どうしても子供たちのことや、
学生のことをイメージしがち。

だけど、それだけでは無いと感じている。


社会に出ている人、
会社に属している人、
そういった大人たちの中にもいじめが存在している。

僕はどうしてもそう感じてしまう。


そんな風に感じてしまうのは、
僕が甘ちゃん過ぎるのかな。
そう考える時もある。

でもやはり、いじめは存在している。
残念ながら、やはりそう感じる。




大人のいじめってどんないじめ?

小牧市の朝焼け

上司が部下に対して。
逆に、部下が上司に対して。
取引先の関係上・会社規模の関係上。

思いつく内容を挙げだすと
色々あるなぁと改めて感じる。



上司が部下に対して。

一番イメージしやすいパターンだと思うのがこれ。

自分の立場を悪い方向に利用して
立場の低い人間に対してモノを言う。
無理を言う。高圧的な態度を示す。

今の世の中、
こういったことは非常に厳しく監視されている。
そんなふうにも感じるが、まだまだ実在するとも感じる。


上の立場に当たる人にも、
更に上の立場の人がいて、その人にいじめられる。
だから自分の下の立場の人に同じようにしてしまう。

そんなパターンもあるんだろうな、
そんなことを想像してしまう。
悲しい負の連鎖ですね。



部下が上司に対して。

これ「逆パワハラ」なんて言うようです。
しかもこういったケースが年々増えているそう。

・注意すると「パワハラだ!」と言われる。
・仕事を辞められると困るから注意できない。
・部下の顔色をうかがう余り何も言わない。言えない。

そんな積み重ねから、
部下たちになめられてしまい、いじめられる。

・上司から挨拶をしても無視をされる。
・上司が話をしても目も合わそうとしない。
・仕事の指示を出しても断られる。

こんなの完全にいじめと同じ。僕はそう感じてしまう。
職場内での立場と人手不足が相まって
相乗的に悪影響を生みだしている。
正直ゾッとする。



取引先の関係・会社規模の関係上。

下請け会社さんに対して、
利益が出ないような安値で仕事を回す。

値上げ要求等をすると、
今後仕事は回さない。変わりは他にもいる。
などと言われ、結局その仕事を受けざるを得ない。

これは非常によく聞くパターンです。


僕は製造業で働く身ですので
(製造業と言っても一概に言えないことは承知しております)
こういったケースはかなり身近な問題に感じます。
僕自身こういった経験も多数してきましたし、
今現在も似たような経験をすることもあります。

どれだけ理不尽な要求だとしても、
受け入れるしか選択が無い。
そんな時が、悔しいことに、やはりあるのです。

まるで、使いパシリか奴隷かと思うような。
手下や子分かと思うような。
そんな風に思ってしまう時が少なくはありません。

※とはいえ、生産性向上に向けた努力はすべきですし、
小さな改善を積み重ね企業努力を遂行することは責務。
その上でのお話です。



ゴミのポイ捨てと一緒。

早朝のゴミ拾いで立ち寄る神社。

大人が大人をいじめる。
それによって疲弊した大人が家へ帰る。

疲弊した大人は、
家族の前で、子どもの前で、
いったいどんな表情をし、どんな空気を纏うのだろうか。

仕事は仕事。
プライベートはプライベート。
切り替えられないのは自己責任。

それも分かる。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか。



もしかすると、子どもながらに感じるかもしれない。

「僕のお父さんは、会社でいじめられてるのかな?」

そんなことを、もし自分の子どもに思わせてしまっていたら。

そう考えると、とてもじゃないが、やりきれない。




「いじめはダメなことだ」
口を揃えて大人は言うだろうが、
その大人たちが実は、いじめをしている。

「ゴミのポイ捨てはダメだ」
そう教える大人たちが
路上にタバコや空き缶を捨てている。



僕は週に4~5回、
朝1時間ちょい散歩をしながらゴミを拾う。
タバコの吸い殻は20~30本は必ず落ちている。

ゴミ拾いをする中、
タバコの吸い殻はダントツで多い。

週に100本近くのタバコを拾っているのに、
明日にはまた20本近いタバコが落ちているのだから。



こどもたちの世界でいじめが無くならないことは
もしかすると、必然なのかもしれない。

なぜなら、大人たちがいじめをしているから。



タバコのポイ捨て。ゴミのポイ捨て。
これも一緒の問題だと思う。

ゴミのポイ捨ては
地球を、街を、地域を、
いじめているようなもんだ。


大人がやっているんだから、
子どももやってしまうよ、そりゃあ。

子どもたちは、
大人の背中を見ながら育つんだから。




この記事に綴る想い。

年明け。近所の神社にて。

記事の冒頭でも書いたように、
この記事を読んで心が軽くなるような方がみえたら、
それほど嬉しいことはないです。

しかし、これは誰かに向けて書いた記事ではなく、
自分自身の戒めのために書き残した記事です。

「おい、大事なこと絶対に忘れんなよ」

そんな気持ちで書きました。


いつか、自分の息子たちには読んで欲しい。

子どもだろうが、大人だろうが、
人をいじめるような、みっともない人間にはなるなよ。

そして、ゴミをポイ捨てするような
カッコ悪い人間にはなるなよ。

そんな事がいつか伝われば幸いかなと思います。



甘ちゃんであり、理想ばかりを掲げ、
あれやこれやと、キレイごとを並べるぼく。

そういった言葉は散々言われてきましたし、
自分でもそう理解しています。

「理想ばかりを掲げる」

無難にいく。最初から諦める。
それよりも常に理想を見つめる。
そこに近づこうと努力することは大事なことだと思います。

最初から「理想なんて」と諦めていては、つまらない。
それでは、夢見ることさえできないと思います。


「キレイごとを言う」
汚いことや、クソみたいなことを言うより、
よっぽどマシだ。そう思っています。

「キレイごと言うなよ」と言われるけれど
別に言うくらいは、良いだろ。
そしてできる限りそこに近い現実にしたいと僕はいつも思う。

この記事を読んで下さった方へ

少々重たい内容の記事だったかもしれませんが、
最後までお読み下さりありがとうございました。

この記事を不快に感じられた方や、
キレイ事を並べやがって!など否定的な方もみえるでしょう。
この記事は、何かを否定したい。誰かを攻撃したい。
そんな想いで書いた記事ではありませんことをご理解頂けると幸いです。

どんな環境。どんな世界。どんな立ち位置。どんな年齢。
感染症と戦争により、ほとんどの方が苦しい世の中だと思います。

そんな世の中でも、当たり前のことからやっていければ良いですね。
「人をいじめない」「ゴミをポイ捨てしない」
そんな世の中になることを、少しでも近づくことを願っております。

まだまだ諦めず、共に頑張りましょう!!

製造業に携わる方々、
この数年めちゃくちゃ苦しいこと、分かります。
理不尽に押しつぶされぬよう、生き抜きましょう。
「道徳」を決して忘れぬよう生き抜きましょう。
心から応援しております。

「人をいじめない」

「ゴミをポイ捨てしない」

そんな世の中になることを、
そんな世の中に少しでも近づくことを
心から願うと共に、
自分自身への戒めとしてここに残します。


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