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政策における専門家の役割について、コロナ、日本学術会議についての雑感

こんばんわ。相変わらず仕事が終わるとぐったりのアヒルです。この後オンラインカウンセリングの時間が控えていますが、一日一記事の原則を守るべく、今日はコロナ禍の政策対応における専門家の役割と少しだけ日本学術会議についての雑感を書いてみます。

政策形成に対する専門家、正しくは専門家が提供する知見の役割については様々な先行研究が、特にEBPM(evidence-based-policy-making)に関係してあるところですが、今回はnoteの雑感ということなので、持っている知識でサクッと書かせていただきます。

政策形成における専門家の役割とは?

以前の記事(https://note.com/ahiruahiru123/n/n5d9be5aff2cb)で日本政府のコロナ対応について触れましたが、各国のコロナ対応で共通して面白い点は、本来は政策決定過程で全面的に表舞台に立つことが少ないであろう、感染症の専門家たちが全面的に政府に協力し、政策形成に参画していることです。日本でももちろん感染症の専門家が政策形成に参画しており、政府の政策立案者は彼らの意見を聞きながら、コロナウイルスという未知の脅威に対処していくことになります。さて、ここで一つの疑問がわき上がります。彼等(専門家)の意見はどこまで斟酌され、政策決定の上で重みを持つべきでしょうか。今回はこれについて少し考えてみます。

この問題は他の政策領域、例えば環境分野や経済分野においても当然問題とはなっているはずですが、コロナではこの問題は特にクローズアップされることになります。
理由は、感染症の専門家の意見、特にロックダウンや自粛に関する意見は他のアクターたちの意見(利益団体など、すなわち旅行業界や飲食業界など)
の望む方向性と決定的に食い違うことが考えられるからです。例えば今話題のGOTOキャンペーンや自粛要請なんかでも、専門家の意見と、例えば飲食や旅行に関する業界団体の意見は全く異なるはずです。感染症の専門家は彼らの専門知識と研究(evidence)に基づき、GOTOキャンペーンについては反対するはずです。それに対して飲食業界や旅行業界は真っ向から反対するでしょう。彼らにとっては自粛要請は死刑宣告も同じはずです。恐らくは力ある政治家に訴えつつ自分たちの要望を通そうとするでしょう。これは民主主義国会においては正当な意思表示です。

感染症学会の方々は感染症の専門家であって政策の専門家ではありません。政府が作りだす政策は、一義的には政策を決定する立場にある政治家が決めるべきでしょう。それは各国で、特に政策資源が似ている先進国でも、コロナ対応でとっている政策が似かよりつつどこか異なっていることからも分かります。もしも科学的知見が絶対で科学的に考えれば問題に対して一義的に答えが出るのであれば政治家は必要なく、また選挙も必要ないでしょう。選挙する代わりに、高名な科学者を集めた合議制の機関を作り、彼らに政策を作らせればいいです。(それはそれでうまくいくかも(笑))

イギリスを例に、感染症の専門家の言うことが必ずしも国の政策として採用されるわけではないことを見てみようと思います。ロックダウンという憂き目に遭遇した英国では、サーキットブレークを一時期Labour党(二大政党のうちの野党)が主張し、話題になりました。サーキットブレークとは、感染の拡大が始まった段階で、2週間程度の短期間のロックダウンを行い、感染の輪を断ち切り、長期にわたるロックダウンを避けるという政策です。イギリスの感染症の専門家が提唱したものです。しかしながら、この政策は英国の与党に受け入れられることはありませんでした。与党側は地域ごとの感染症対策で対応する考え方を支持し、サーキットブレークを採用しませんでした。結果論ですが、現在イギリスは二度目のロックダウン(約一か月)の渦中です。これの良しあしはともかく、よかれ、あしかれ、政策は政府が決めることという原則が先進国では守られていることが分かります。

日本でもGOTOトラベルが、感染症の専門家が反対だからという理由で中止にはなりそうもないです。政策は力のあるアクターがいくつも重なり合い作られ、感染症の専門家は相変わらずその一人に過ぎないようです。

専門家は政策形成(政治)に積極的に参画すべきか?

もう一つ出てくる問題が、じゃあ専門家は政策形成に積極的に参画すべきなのかという話です。一部の学問を除き、あらゆる学問は政策を形成するうえで何らかの意味合いを持ちます。政治(政策)と学問を切り離すことはできません。一定の学問、例えば経済学や社会学は基本的に政策に取り込まれることでその効果を発揮しますし、そうでない理系の学問であっても、様々な政策利用がありうるほか、国から何らかの形でお金(予算)を配分してもらう必要があるからです。少し話がそれるかもしれませんが、昨今話題の日本学術会議の行う重要な役割として、学問分野の予算配分についての一定の影響力を有していたことが挙げられます。例えば、軍事面での利用が可能な研究については、日本学術会議が消極的な姿勢を取っていたこともあり、あまり予算は重点的に配分されていなかったようです。

今回の件でも、感染症専門家学会がもっと積極的に、例えばメディア露出を増やして自分たちの影響力を増すべきだったのではとも考えられます。事実、尾身先生はよく新聞やテレビにも出られてメディアで発言されており、政治に知ってか知らずか積極的に参画している様子がうかがえます。専門家の政治参画については、個人的には慎重であるべきだと思いますが、政治家が政策の効果と意義について理解し、効果的な政策を実施していくためには、専門家の政治参画はやむをえないのかもしれません。ただし、民主主義の上では、彼らはあくまであまたあるアクターの一人として扱われるべきであって、全ての責任は政治家に帰するべきでしょう。以上、当たり前のことばかりになってしまいましたが、アヒルでした。



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