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父と、焚き火台と、冬②

[今日はこれで語り明かそう]

父はリュックから二階堂<麦>の瓶を取り出した。

コロナウイルスなどまだ誰も全く知らぬ頃、二階堂は居酒屋の支払いが嵩み、財布の中身が寂しくなる一方の父達の前に現れたメシアともいえる存在だった。


なぜ居酒屋の支払いが高くつくのか。

この難問の前に父と友人達は頭と財布を抱えていた。
喧喧囂囂のとっつかみ合い寸前の議論の末、一つの結論が出た。

各々が自由気ままに己の好きな酒を注文するから酒代が嵩むのだ、と。

飲み会の数が多すぎる

という真実と父の心臓を貫くような正論は議題にもあがらなかった。
そんなことを言うのは無粋と言うものである。


しかし、飲み代がこのまま財布を圧迫し続ければ飲み会を減らさざるをえないのは事実であった。

そこで、ピタゴラスの定理を用いて導きだされた答えが

二階堂<麦>

なのである。

これを一瓶頼んで全員がそれを水割り又はウーロン割で飲む。

するとどうだ。飲み代が驚くほどに安くなるのだ。

しかも、もし酒が余ったならボトルキープという離れ業も可能だ。

時代が時代なら黒魔術として世間から恐れられるであろうこの手法で父は飲み代嵩みの難局を切り抜けたのであった。

もしかしたら[何を当たり前のことを]

と鼻白んでいる方もいるかもしれない。

しかし、父と友人達がこの手法を見つけた時は正に狂喜乱舞。どうかそんなことを言わないでもらいたい。
それは無粋というものである。


そんな父の血であり肉である二階堂を父はこの記念すべき初焚き火会の日に持参したのであった。


水筒に入れてきたお湯で二階堂を割り、父と友は厳かにグラスを掲げた。

燃え盛る火を眺めた。

ふむ、これが1/f ゆらぎの癒しの効果か

[焚き火の癒しの効果は科学的にも証明されているらしいぞ]

と父はネットで仕入れたばかりの蘊蓄を友に語った。

[…あ、そう…]

友はぽけっと焚き火を見つめたまま応えた。

科学的な証明が無くても友がすっかり焚き火に魅了されているのは明らかだった。

火を見ているわけだが、火を見るより明らかだった。


父もしばらく焚き火を見つめた。



寒い。


いくら火を焚いているといっても暖かいのは火の当たる体の前面のみ。
真冬の冷たい風は容赦なく無防備に空いている父の背中へ

お前は阿保か!

と激しく吹き付けてくる。

いくら火に当たっていても一向に体が暖まらない。

それは友も同じようでナイロン生地のシャカシャカ一張羅に穴が開くのも厭わないと言ったそのままに、焚き火台を抱え込むかのように火に当たっている。

[もっと火を焚いてくれ]

[わかっている]

少しでも火の勢いが弱まると厳しい寒さが猛獣のように襲いかかってくる。

父が用意した薪はものすごい勢いで無くなっていった。

その時、一台の車のヘッドライトが父を照らした。

父が呼んでいたもう一人の友が仕事を終えて現れた。

こんなことに付き合ってくれる友が二人も。
父はそう思うだけで、心の中にぽっと暖かい炎が灯ったように感じた。

遅れて登場した友は何故か食パンの袋を手にしていた。

[お前それどうすんの?]

父は食パンを指差した。

[仕事終わりで腹が減っている。焼いてくれ]

[どうやって?]

[どうやってって、焚き火があるだろ。トーストにしてくれ]

[焚き火で食パンが焼けるとでも?]

[焼けんの?]

一応試してみたがもちろん焼けるわけなかった。


[カップラーメンとか買ってきてないの?]

もう一人の友が訊ねた。

[いや、俺食パンが食べたかったから買ってない]

遅れてきた友は食パンをそのままむしゃむしゃと頬張りながら応えた。

類は友を呼ぶ。

阿保は阿保を呼ぶ。

父達は寒さに凍えながら一種の精神修行ともいえる夜を過ごした。

薪が燃え尽き、細々と片付けをしていると誰かがぽつりと呟いた。

もっと暖かくなってからやれば良くね?


それは言うな。
それは無粋というものだ。
















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