機械仕掛けの狩り

街は生きている。その最小単位が何にしろ、この街にはおおよそ二種類の活動単位が存在する。一方はヒト。ヒト、人、人間、人類。何千年も前から文明を築き、その営みをより豊かにするために活動してきた古い存在。全ての人が発展を求めているとは限らないが、少なくともこの街に住む者はそれを求めているだろう。
その証拠こそがもう一つの活動単位、ロボットだ。それら、あるいは「彼ら」は人類の発展によって誕生し、技術向上により人の隣に立つようになった。人工知能の高度化によって自律運用を可能としたロボットは、優秀な労働力として起用される場面が大幅に増えた。
特にこの都市「エリュシオン」は試験的に一般生活へのロボットの導入が行われた最初の街である。導入当初はロボットを異物として認識する人々が多かったが、現在ではその存在が浸透している。

ロボットと人で賑わう街中を一人で歩く男がいた。ダークブラウンの髪に濃い灰色のコートを着た男は、数分前に出た店の紙袋を片手に、姿勢良くツカツカと歩いていた。紙袋の中身はサンドイッチが入っていたが、それは一人分にしてはかなり量が多い。
男の体格は逞しく、平均的なアメリカ人の身長より少し高いだけなのにも関わらず、大男のような印象を受ける。道行く人々をさりげなく避けながら彼は巨大な施設へと向かう。
敷地は二メートルほどの柵で囲われ、内側にはいくつもの建物が並んでいる。遠目からでも二人一組の警備員がいくつか巡回しているのが見てとれる。
IDを提示しながら男は門を通過する。そのIDには「連邦高等捜査官」と刻まれていた。そして彼の名はロイ・マクスウェル。捜査官だ。

施設内の最も目立つ一棟に足早に向かう。途中で紙袋の中身を確認されたがなんの問題も無かった。ここはエリュシオン最大の警察機関「ケルベロス」。不審物の持ち込みにはとことん厳しい。例え捜査官の持ち込んだ物であろうと、外部の工作と完全に切り離されているとは限らない。
エリュシオンは実験都市としての元の姿はそこまで大きくはなかった。実験の為に大都市丸々に導入するロボットの数を考えれば当然のこと。始まりは小さな都市だったが、産業による都市の発展によりロボットの導入量は増大、それがさらなる発展をもたらした。徐々に周辺の廃れた都市と合併を繰り返し、現在の巨大な都市へと姿を変えた。
そんな大都市エリュシオンは高度な機械部品の集積所も同然。それを狙った犯罪者を取り締まる為にケルベロスは設立された。

忙しく資料を持って駆けずり回る職員を避け、ロイは自分の部署に辿り着く。途中で乗ったエレベーターは人が満員で暑苦しく、廊下でさえ熱意と焦燥の汗の臭いが充満するかのようだった。
「戻ったぞクリス。お前の分のサンドイッチも買ってきた」
「ん、ああ、ありがとう」
返事をするのは金髪碧眼中肉中背の眼鏡をかけた男、クリス・ウォルシュタインである。あどけなさを残した顔に四角いシャープな眼鏡をかけ、人懐っこい笑みを浮かべる。その笑みには制汗剤でもかなわない爽やかさが混じっている。
「で、進捗はどうだ?奴の動きや居場所は分かりそうか?」
ロイの質問は若干食い気味になるが、語気が強くならないよう配慮されていた。
「ん~いや、まぁねぇ…一応アタリをつけることは出来たけど、今までの感じと変わらないってとこかな」
捜査対象の情報を分析して次の行動やねぐらを予測するのがクリスの仕事であるが、今回の分析結果も満足のいくものではなかったようだ。
眼鏡を左手で外し、右手で目頭周りを軽く揉みながら、クリスはあくびをする。相当に疲れが溜まっている。
共用デスクの上に置かれた紙袋からサンドイッチをつまみ上げ、ロイはクリスのデスクまで歩く。手に持ったチキンサンドを頬張りながら結果を覗き込む。
入れ替わるようにしてクリスは立ち上がりフラフラと紙袋に吸い寄せられていく。
すると何かがバサバサと羽ばたきながら紙袋に近付き、ハムチーズサンドをひっさげてやってくる。
『お前お気に入りのホイップサンドも入ってたぜ、クリス』
「んお、ありがとうなジェム」
サンドイッチを受け取り礼を言うなり、クリスはそれにかぶりつく。
飛んできた何者かは白いハトだった。部屋の止まり木からクリスの為に飛んだのだ。
名前はジェム。見た目こそ完全に生きたハトだが、彼はロボット、しかも高等捜査官と組む専用の動物型ロボット、バディだ。
『食うなら座って食えよ、クリス。ロイ、お前もだ。なんだってお前らそんなに落ち着きねぇんだ』
毛繕いをしながらジェムは二人の捜査官へ注意する。その羽根も何もかもが人工物であることを欠片も感じさせない姿。体表の塵など自動洗浄で済むが、この毛繕いはハトらしさを見せるための行動でもある。
「悪い悪い。疲れてたから頭回んなくてさ」
『疲れてるんならなおさら落ち着いて休めっての。疲れを感じる肝心の人間サマがこんなんで、機械の俺の方が休息の重要性分かってるってのはおかしくねぇか?』
クリスはソファにぐったりと腰掛けながら咀嚼を続ける。背後のコーヒーメーカーを使う気も起きない。
一方のロイは自分のデスクに座るついでにサンドイッチを二つひっ掴んだ。片方のサンドイッチの味を確認もしないままに噛りながら、ディスプレイに表示される報告を確認していった。
「ふぅん………また前と同じようにあたって砕けてみるしかないか」
ため息混じりに今後の方針を考えて呟く。その表情は肉体の疲労とは別に疲れを見せていた。
現在追っているのは捜査対象No.496、連続殺人犯という名目で捜査中。この目標を追い続けて既に二ヶ月が経っている。ロイとクリスで尻尾を掴もうとして失敗を繰り返し何度目だろうか。ロボット溢れるこの街でただの連続殺人犯なら一ヶ月ともたないはずだが、この犯人に関する情報は何故かどこかで途絶える。そして目の前に現れたと思えばまた尻尾は掴めずに逃げられる。
そして犯人はこの二ヶ月の間に殺しと逃亡を繰り返していただけではない。それだけだったならどれだけ良かったか。
この件はロイとクリスに「渡ってから」二ヶ月経ったのだ。犯人は追跡中の捜査官を何度も殺している。しかも一度や二度ではない。二人に引き継ぎが行われた時点で十二回目の引き継ぎだったのだ。今ではその脅威から、複数の捜査班に別れて常に追跡している。もちろん情報を共有している。そして過去に大詰めにしようと合流したところで全滅している。各班に別れたのは引き継ぎの際に捜査に関わった者が皆無という状況を防ぐためでもある。それほどまでに危険な相手なのだ。
前回追いかけた時は識別不能になるよう過剰なまでの迷彩装備の犯人らしき人物との銃撃戦になった。しかし途中からはその姿は消え、代わりに中武装の戦闘用アンドロイド多数を切り抜けなければならなかった。そのさらに前の遭遇でクリスは危うく殺されるところだったので、逆に戦闘はロイ一人が担うことになった。
ロイ曰く、下手に誰かをフォローするよりは一人の方がやり易いそうな。そう言った時の顔は心底ホッとしたようにクリスには見えた。フォローの際は必死にクリスの脱出を促していた。ロイの表情は少々固い印象を受けるが、彼を知る者はその顔が浮かべる笑みの柔らかさと心配の真剣さをよく分かっている。その灰色の瞳が優しさを秘めていることも。
これらの事情をひっくるめて彼ロイ・マクスウェルが最も悩んでいることがある。それは彼の妻であるアンナとの結婚記念日が二週間後に控えているということだ。そしてそのちょうど一週間後には息子のケインの誕生日がある。どれほど捜査が長期に渡ろうともこの二つの祝い事を台無しにはしたくないのだ。
彼の脳裏には、長いダークブロンドの髪と美しい碧眼のアンナが浮かび上がっていた。そして彼と同じダークブラウンの髪にアンナと同じく美しい碧眼を持つケインの姿が。妻子の瞳は宝石のようだと評され、それはまさしくロイにとって最も大切な宝であることも意味していた。
仮に捜査のためにどちらかのお祝いが出来なくても、またどちらも出来なくても、アンナもケインも怒りはしないだろう。アンナは元よりロイの仕事を理解していた。さらに今年で十三歳になるケインはその歳の割に大人びていた。実際に去年のケインの誕生日は祝ってやれなかったが、彼は怒るどころか帰ってきた父に安堵し、泣き出してしまったほどだ。
だからこそ今年は絶対にどちらも祝ってやりたいのだ。

サンドイッチをつまみ、コーヒーを啜り、分析結果の再確認を二人と一機で行った頃、蒼い空に浮かぶ太陽は南中から傾いていた。
「そういえば、もうクレイグの定期メンテナンスは終わってるんじゃないか?迎えに行ったらどうだ」
『ああそうだ。あいつはなんだかんだで寂しがり屋だからなぁ。あんま遅いと拗ねるぜ、きっと』
クリスとジェムからロイへの提案があった。
ロイとしてもクレイグのことをそろそろ迎えに行こうと思っていたところだった。
クリスは最後のホイップサンドを、ミルクと砂糖を大量に入れたコーヒーと一緒に味わっていた。普段ならそこまで大量に入れないのだが、どうやら相当糖分に飢えているらしい。
ロイは自分の椅子にかけておいたコートを羽織り、別棟へ向かう準備をした。
ケルベロス内の施設はいくつも種類があり、その一つが今ロイ達のいる捜査局本部棟。そしてこれから向かうのが、バディ管理を行う機鋼管理棟だ。
廊下を通ると、昼時を過ぎたばかりだというのにもう慌ただしく仕事が再開されている。それもこれもこの一年多発している捜査官殺しのせいである。
これはロイ達の追っている事件とは異なり、政治家や大企業の経営者、資産家などの不正を追っていた捜査官が被害者である。また同じようにスキャンダルを狙った記者や探偵なども殺害されている。
No.496とこの殺人犯は殺害対象が異なるが、同一犯の可能性も示唆されている。実際は捕まえてみないことには分からない。
とにもかくにも捜査官が殺されることで案件の引き継ぎなどが繰り返し、忙しさが極まっているのである。

機鋼管理棟では各バディが厳密に分けられて管理されている。バディごとの特性は下手に仲間内にも広まり過ぎてはいけないが故に。
やたらと白くだだっ広い廊下を足早に過ぎ去り、ようやくロイは自分のバディに対面する。
「クレイグ元気か?調子はどうだ」
『問題はない。元々自己整備機能のお陰で不具合は無かったからな。すぐにでも復帰したい』
「特に報告も無かったからな、早く済ませたくてうずうずしていることだろうと思ったよ」
目の前には大型の狼のような、猟犬のようなロボットが鎮座している。これがロイ・マクスウェルのバディにして現在運用されているバディで最大の猟犬、クレイグである。
見た目は明らかな鋼の装甲であり、一般的な生物への擬態等は求められていないのがよく分かる。代わりに求められたのが圧倒的な火力である。普通だったら軍事利用レベルの個体なのだ。
赤い目が相棒に向けられる。相も変わらず頼もしい限りだ。
「それじゃ俺はこいつを連れて仕事に戻る」
「分かりました。それではお気をつけて」
整備士は次の仕事へ赴くため去る。
ロイとクレイグはだだっ広い廊下の広さがよく分かるような図体でもって歩いていく。
『分析はどうだった?』
「前回と変わらないかもって話だ。今回も出し抜かれるかもしれん」
若干不安になる思い。しかしバディはそんなもの隣にいるだけで破壊してしまうほどの力強さを感じさせる。
『そうか、実際あたらないと分からないか……いい加減、俺達としても、ケルベロスとしても、決着をつけたいところなんだがな』
鋼の猟犬は少しうつむき、思慮深く応じる。
廊下に響く足音はロイの靴の乾いたもののみ。クレイグはその巨体に似合わず、まったく足音を出していないのだ。基本的に彼は急ぎでない限り足音を消す。それは足裏に組み込まれた消音機構のお陰、言うなれば肉球のお陰だ。
廊下の途中で出会った者の中には、クレイグの姿を初めて見、驚く者も少なくない。今回も二、三人驚かせてから施設を出た。驚いた後、興味深そうな視線を送られると、クレイグはご満悦といったように、その尻尾を振る。
もちろん鋼鉄の尻尾はただ振るだけでも殺傷力があるため、その振りはかなり控えめなのだが。

外に出て見れば、舗装路と芝生が目に入る。
一般人の目からすると、ケルベロスの敷地内の警備は二人組の人間のみのように見える。しかし実際は虫型ロボットが大量に潜み、この領域に不埒者が侵入していないか監視している。警備員はこれらとリンクし、より厳重な守りをなす。
施設の上空を飛ぶカラスも、屋上の角に佇むハトも、ほぼすべてが監視用ロボットである。まれに本物の動物もいるのだが。
大勢の目に見つめられながら一人と一匹、一人と一機は悠々と門まで歩いていく。
ロイの歩みは先程同じ道を歩いた時より堂々として見える。
門で承認を受け、一般市民の領域に出る。
その時にはクレイグの姿は消えていた。正確には不可視迷彩による透明化を行ったのだ。街中に軍事兵器が現れれば、市民の心は穏やかではいられない。市民を守る者がその平穏を脅かしてはならない。
ロイは街に繰り出す。向かう先は駅。本当は武器保管庫に用があるのだが、ケルベロスの本部からは離れているため、電車で二駅乗らなければならない。
武器保管庫は文字通り武器の宝庫である。それ故に市街地の中心付近には位置することはない。最新の兵器や軽装甲車両が大量にあるのだ、それを狙わない武装集団はない。
五年前には新所長が就任から半年もせず横流しが発覚し、独房行きになっている。

アンドロイドの指揮をとり、荷物の搬入を行う運送業者。店先で注文に応える美人アンドロイド。商品棚に手際よく商品を並べるアンドロイド。その他にもゴミ清掃をするバケツ型のロボットなど。
このエリュシオンには他の都市以上にロボットが溢れている。
ロイはふと思い立ったように雑貨店に入る。
愛想良く挨拶するアンドロイドの店員に会釈しての入店。人に似た精巧なアンドロイドはここでは当たり前のもの。人間との識別がしやすいように、目立つ部分にアンドロイドのコードが記されている。

ロボットという言葉が示すのは、人間の代わりに労働をする機械である。そしてその内、人間の骨格をベースにした物をアンドロイドと一般的に定義している。さらにアンドロイドでも、人の形をしているだけのものと、人間そのものにしか見えないものがある。後者は特に人間との区別が難しくなってきているため、昨今では問題になっている。
そしてロボットによる問題にはただの勘違いとは異なる、深刻なものがある。

ロイはコーラ味の飴を二袋持ちレジに向かう。
レジではそこそこ人の並んだ列とほとんど並んでいない列がある。
この違いはレジを担当するモノにある。多くの人が並ぶのはアンドロイドが担当するレジ。アンドロイドは素早く全ての品をバランス良くレジ袋に詰め、会計を済ませる。その手際の良さは長年のデータ収集によって効率化が図られたためである。言うなれば、年季が違うのである。
一方の人の少ないレジでは人間の従業員が担当をしている。
ロイは迷うことなくそちらへ足を運ぶ。別にアンドロイドを避けた訳ではない。たった二つの商品を買うのに、わざわざ並んでまで高度な文明の結晶を利用しようとは思わないだけのこと。
従業員はアンドロイドほどではない朗らかな笑みを浮かべながら会計に移る。手際など関係のない量の商品に、少しやりがいの無さを感じたような表情が覗く。
アンドロイドが担当するレジは数そのものが多い。これは効率化のため、人の手を煩わせないためである。従業員はそんなアンドロイドや掃除用ロボットが誤作動を起こしたとき、壊れたとき、ロボットの判断力を上回る事態が起きたときなど、完全にはロボットに任せられない状況に対応するためにいる。
これが人間の雇用問題に繋がっている。
この手の仕事に就く者はある程度、ロボットへの理解がなければならない。ロボットを便利な隣人だと思っている人間に任せられる仕事はそう多くない。エリュシオンでは単純労働は次々にロボットが行うようになり、単純労働しか出来ない人間に与えられるのは、ロボットの運用費以下の仕事のみ。年々職に就けない人間が増えている。彼らはロボットへの憎悪を溜め込み、浮浪者などに身を収めることになる。
このようにしてエリュシオンにおける犯罪者集団やその予備軍が生まれる。エリュシオン自身が生み出してしまった負の存在。
未だに人が労働することなく生きていられるような楽園は、実現していないのである。

店を出たロイは早速飴を袋から取り出し、口に放り込む。ほんの少しの風味しかない砂糖の塊とでも言うべき、雑な味がする。元々コーラなど、風味のある砂糖水に炭酸を入れたものに過ぎない。もちろんそのわずかな風味を求めて舐めているのだが。
口の中でコロコロと球状の飴を転がす。
彼が嗜む嗜好品はこのような菓子類がほとんどだ。大昔に煙草を吸ったことがある。旨いも不味いもよく分からず、ただ周りで吸うのが当たり前だったからたまに吸っていた程度だった。しかし煙草を吸い始めて半年後、現在彼の妻であるアンナが現れたのである。アンナが煙草の煙に顔をしかめた時、ロイは禁煙を決意した。
当時の彼は煙草を止めるために様々な雑誌や文献をひっくり返した。実際には大した中毒症状も出ておらず、すんなり止められた。
彼はあの時煙草を止めていなければ、アンナと自分のファミリーネームが同じになることはなかっただろうと勝手に思っている。

ロイが飴玉を口にしている間、クレイグは店の屋上で捜査対象について自分なりに再分析していた。
クレイグはロイについていく間、建物の屋上を渡って移動していた。目立たない屋上であれば、人目を気にせず行動出来る。不可視迷彩による余計なエネルギーの消費が抑えられる。
No.496についてクレイグが分析したのは、その居場所ではない。人物像だ。これまでに多くの捜査官を殺害してきた忌々しい人物。捜査当初は通常の捜査官が担当だったが、引き継ぎ四回目以降は高等捜査官が担当している。そのせいで、この件だけで死亡した優秀な人材の数は相当なものになる。殺された人間の中には、応援で駆けつけた武装警察官も含まれる。
端的に言って、「死に過ぎ」だ。
そしてこの事件で出た犠牲は人間だけではない。高等捜査官が組むバディも例外無く破壊されている。
バディは高等捜査官が組む主に動物型のロボットだ。捜査官の特性に合わせて、その能力を伸ばすため、またはその欠点を補うために用意されるパートナー。捜査官人生で最も絆を育む相手でもある。
彼らバディには他の一般的なロボット同様、人工知能が搭載されているが、それだけではない。「人工知性」が搭載されている。
ロボットはその役目に応じた判断能力を持ち、仕事にあたる。これは仕事をしようと考えた結果ではなく、与えられた役割を処理する機能の結果である。つまり低級のロボットは「思考をしない」のである。
低級ロボットはタスクを消化すると、設定された通りの待機状態に入る。ロボットへの命令権を持った人間、つまり所有者によって設定はなされる。戦闘用アンドロイドなども、だいたいが低級ロボットに分類される。
もっとも、戦闘用などの、人に危害を加えることをタスクとしたロボットはその危険性ゆえに、低級であろうとも、厳密な管理体制の下に登録されている。
エリュシオン早期にはロボット三原則に関する議論が盛んに行われたものである。
人工知性を持つロボット達はいわゆる人格を持つ。これによって人工知性はパーソナルAIなどとも呼ばれる。バディ達は皆捜査官と会話し、意思の疎通を図る。まるで人間のようだという声も多いが、実質的に人間と変わりはなく、妥当な意見だ。
そんな人間にも等しい存在が、クレイグにとっては同僚であり兄弟でもある存在が、無惨に破壊されている。残骸発見時の映像が思考の中に浮かぶ。翼を両方もがれ、首を切断された鳥型ロボット。人工毛皮を剥がされ、関節を逆折りにされ、尻尾型マニピュレーターを引きちぎられた猫型ロボット。踏みつけられたように損壊し、面影すらないネズミ型ロボット。その他にも多数の同胞の映像が流れる。
いずれも戦闘で行動不能なった後にこのように残虐さの餌食になっている。犯人はロボット内の記憶装置を丁寧に抜き出し、破壊し、ついでに趣向を凝らして弄り回す。入念なうえに悪趣味。趣味と実益を両立したと言っても過言ではないのだろう。
バディ達の記憶は一定周期と破壊される前に、機鋼管理センターへアップロードされる。しかし、今までに犯人の情報を、どんな形であれ持ち帰ったバディはいない。敵の情報も無く、パートナーの死も知らないバディの記憶はそのまま保管されることになる。彼らの最期の地では、おそらく電波遮断などの対策がなされているのだろう。
敵は最後の刈り取る時、完全に整えた舞台を、完全に作り込まれた罠を、用意しているのだ。我々が追う側であるのにも関わらず、圧倒的に不利。
クレイグは理解していた。この戦い、追う者としての立場を捨て、追われる者としてその狡猾で残忍な罠を食い破らねばならないと。そして敵の喉元に食らいつき、同胞の敵を討つ。
クレイグらバディに憎しみという感情は強過ぎるため、もっと退いた感情、それに近いものが胸を占める。人工知性が感情に振り回されれば暴走してしまうからだ。
だが悔しさや憎さは感じる。任務に支障のないように調整されているだけだ。在るものは在るのだ。
それがこの鋼鉄の肉体を駆動させる強力な炉心なのだ。

クレイグが分析を終え、気持ちの整理をつけた頃、ロイは付いてこない相棒に気付き、後方の建物を見上げていた。
《どうかしたか?クレイグ》
脳波測定による疑似音声通信を用いて、ロイはクレイグを心配する。
《いや、情報を洗い出していただけだ。少し情報量が多過ぎたようだな。反省する》
機械による情報の処理は高速で行われる。しかし彼のような、人間に近い複雑な思考をするものには、少々時間を要する。
思考に時間をかけ、相棒に迷惑をかけたとクレイグは少し恥じていた。
《別に謝るようなことじゃない。ただ何かあったのかと思ってな》
口に安堵の笑みを少し浮かべ、ロイは再び目的地に向けて歩き出す。クレイグは相変わらず屋上を跳ねて付いてくる。上手く隠れているお陰様、ロイは直接視認することはない。それでもあの巨狼が跳ねる姿を脳裏浮かべてしまうのだ。
ほんの少し浮かべた笑みは、通りかかったフード被りの青年に奇妙な目で見られる。もっと目立たないよう出来ないものかと思いながら、駅へと近付く。

電車に揺られている間は特に見る物はない。流れる景色に見とれるほど、この眺めに新鮮な思いを抱いていない。車内の人間をそれとなく観察し、違法行為の影がないかと睨む。この時のロイは顔が若干キツめになりがちなので、下手に意識し過ぎると周りから避けられてしまう。
車両の屋根に無賃乗車している不届き者がいるとしたら、クレイグのような大型の捜査用ロボットくらいのものだろう。合法ではあるが、それらの法律を考案した者は多くの事態を想定しなければならなかったろう。その苦労を考えてクレイグはたまに「気が遠くなる」という言葉の意味を理解する。
流石に目立つため、不可視迷彩を展開したまま周囲を警戒している。いつ爆破テロが起きてもおかしくないとでも言うかのように、センサー類をフルに起動している。
電車で起こる事件の類いは多いため、クレイグの懸念ももっともである。しかしケルベロス周辺は十分に治安が良く、そこまで警戒する必要はない。もちろん、厄介事はその前兆も見せず、時も場所も選ばずやってくるものなのだが。

電車を降り、駅を出てみれば、辺りは先程の街中と比べあまりにも寂しい風景になっていた。武器保管庫の設置を前提に、周辺は低い家屋ばかりが立ち、見渡しが良くなっている。襲撃者をいち早く発見するためだ。ビル群の中ではなかなか感じない爽やかな風がロイの髪を撫で付ける。
何度通ったか分からないほど往き来した道。クレイグなら正確な回数まで分かるのだろうが、細かい記憶を掘り起こすのは人工知性にとっても面倒のかかることだ。人間の感覚に寄せるため、また膨大な記憶処理の効率化のため、記憶内容に優先順位つけている。このため、優先順位の低い記憶を大量に引き出すには時間がかかる。

何重にも囲われた保管庫へ入るためには、セキュリティでのボディチェックや指紋照合を経なければならない。緊急性が認められた場合のみIDチェックのみになる。
今回は緊急性もなかったので、おとなしく長々とチェックを受けた。
「また大物を狩りにいくのか?お前も大変だな」
顔馴染みの管理人がむこうから声をかけてくる。いつものことといった口調で。
「ああ。今回の件では大勢の犠牲者がでている。相当な手練れだろうな」
『一度は撃ち合ったはずなんだがな。その時では相手の実力も正体も探りきれなかった』
クレイグの口調には不甲斐なさを噛み締めるような響きがあった。
「噂には聞いてるぜ。なんでも三十人近くやられてるだとか。で、いつもの装備かい?」
「そうだな、弾薬はいつもの倍、グレネードは五割増しってところだ」
「そんなにか!?いや、まあ……うーん、そうだな。取り敢えず言っとくがやり過ぎるなよ?お前はただでさえ弾を多く注文するんだからな」
管理人は困ったような驚いたような顔になり、なんとも情けない状態である。しかし彼の心配はもっともであり、これだけの火力ならば、どこでバラ撒こうとも周囲にでる被害は甚大だ。
「一戦で使いきるつもりはない。間違いなく何度かのぶつかり合いになる。既に奴の手駒と何度か構えてるしな。あと車両も頼む」
手渡された武器と弾薬のリストを確認しながら、ロイはさらりと追加の注文をする。
「はあ……そこまで派手にやるってなら重装甲車だな……」
さらに深い溜め息で応じる管理人。
『俺達に回ってくる仕事は大抵派手にやらなきゃ終わらないからな。そのためのコンビネーションだ』
戦意に輝く鋼を備え、クレイグは自分達の誇りを語る。二人の戦いはいつも苛烈さのなかでひたすらに輝いてきたのだ。

重装甲車はハイウェイを走行していた。その外見はただの黒いバンと変わらない。逆に外見以外はなにもかもが違う。装甲、フレーム、強化ガラス、その他様々な部品が、爆発物からすら車内を守りきるように設計されている。内部も衝撃吸収が行われる仕組みが万全であり、搭乗者に不安があったとしても、少しは拭ってくれるだろう。
車内後部にはクレイグが伏せの状態で待機している。首の付け根にからコードが伸びており、それが車体に搭載されているセンサー類と彼を繋いでいる。無線で繋ぐことも出来るが、クレイグはラグの少ないこの有線形式を好む。

周囲を走る一般車両がセンサー上で感知される。構造や材質がリアルタイムで分析され、仮想空間上で再構築され情報としてクレイグに認識される。登録された車両の情報を選択すれば所有者の詳細まで閲覧可能だろう。
『それで、突入の段取りは考えてあるのか?』
首を運転席のロイに向けながらたずねる。機械音声でもその声音が疑問を示しているのが分かる。
「特にこれといった作戦は無いな。倉庫街なんてどこも物騒の塊だからな。センサー感度最大で警戒しながら目標を探せば良いだろう」
集中を乱すことなく受け答えるロイ。衝突を起こさないために集中は欠かさない。しかし黒いバンの放つ爆発物にも似た物々しい雰囲気は、他の車両との間に距離を生む。つまるところロイが避けるまでもないのだ。
『犯罪の温床で超が付くほどの危険人物を探すのに、これほどまでに無計画なのは相変わらずだな』
クレイグの制御系は膨大な試行錯誤と経験の集積を遺憾無く使い、最大限に効果をもたらす「呆れ」の音声を引き出す。彼に吐息があったならば間違いなく溜め息が出ていただろう。
『いいか?奴が今までに破壊してきたどのバディも直前に記憶がアップロードされなかった。つまり向こうはその手の無線通信やデータのやり取りを妨害する手段があるってことだ』
クレイグの口調が説教くさくなると、ロイはめんどくさそうに顔を反らし、ハイウェイ上を過ぎていく景色を眺め始める。
「分かってる分かってる。向こうに準備があるのくらい、戦闘用アンドロイドがわらわらと出てきた時から気付いてた。だけど、まあこういう言い方するとお前は気に入らんだろうが、今回は本命とはいかない気がする」
話しながらロイの顔つきも徐々に真剣味を帯びていく。眼光は目の前の全てを貫くように、口元は貫いた全てを引き裂くように険しい。
『いつもの勘ってやつか。未だに俺は勘が理解出来ているような出来ていないような……まあいい、根拠は少しくらいあるのか?』
クレイグの思考は興味と関心に染まる。
「そうだな、なんというか……捜査範囲が広過ぎる気がする」
『なるほど、範囲か』
「ああそうだ。流石に倉庫街の一角丸々じゃな。この広さなら包囲して蜂の巣が関の山だろう。俺達がそれを突破出来るのは良いとしても、ただ包囲して殺すつもりなら前には出てこないはずだ。仮に戦闘用アンドロイドと並んで出てきても直接狙える状況じゃないしな」
彼の顔つきは正義感溢れる捜査官などではなく、獲物を追う狩人のそれに近い。根底の思いはどうであれ、この獲物を逃す気はないのが事実である。
『過去の捜査官が最後に捜査に向かった場所……その範囲を調べてみたが確かに他の捜査範囲よりは狭いな。すまない俺の分析が甘かった』
クレイグはうつむきながら謝る。
「別にこれで決まった訳じゃない。そんなにしょげるなよ……お前と俺の前提が違っただけだ」
クレイグはいつ「最後の」捜査になってもおかしくないと考えた。その一方、ロイはその捜査は唐突に起きるものではなく、それなりの前兆と予感があるはずと確信していた。

自らの判断を誤りだと感じたクレイグだが、今の彼にそんな些細なことで悩む時間はなくなった。
『ロイ、準備しろ。客が来る』
クレイグの声音が、ロイの表情がより険しくなる。
「対象は?」
『武装バイク八台、軽装甲車両二台。後方五キロメートルから距離を詰めてきてる』
接続された車両のセンサーを絞り込み、対象の情報をさらに細かく分析する。
『どの車両も識別コードにノイズがかかっているが、概ね行方不明になった車両と一致する。おそらくアナーキストの鹵獲品だろう』
それぞれのスペックと整備の具合を調べながら冷静に告げる。鋼の尻尾が高揚感を示すかのように揺れる。
ハイウェイ上では現れた武装集団を一般車両が避けていく。道路の中央を彼らは標的に向かって速度を上げる。事情を察したのか、ロイとクレイグの車両の周辺の車両も次々と消えていく。
アナーキスト達には、機械仕掛けの心臓が引き裂かれたエンブレムがつけられている。彼らの所属する集団を示す物だ。
クレイグのワイヤーアームで手渡された銃を確認しながら、ロイは車両の自動運転の設定をする。
敵の情報を集め終え、クレイグは車両との接続を解除し、立ち上がる。後部座席のあるべき場所に、恐るべき巨躯の猟犬が現れる。その威圧感は、狩りを前にした今、最高潮に達する程であった。
『先に出る。指示が有り次第攻撃に移る』
そう言いながら、後部の両開きドアから車外へと飛び出し、反転する。その姿は重装甲車両と並走する時には掻き消えていた。
「さぁて、とっとと始末して捜査に戻るか」
ロイの口から出る言葉には、慣れと飽きの感情が込められていた。しかし、それが油断を許容する理由とはならない。油断に殺された仲間なら大勢いる。その一人になるくらいなら、あらゆる油断と共に敵を叩き潰す。

敵集団の先頭が装甲車に追い付く。彼らは何事かを叫びながら火器を構える。小銃を構える者はタイヤを狙い、ロケットランチャーを持つ者は、装甲車本体を直接狙う。速攻でケリを着ける腹積もりなのだ。
「くたばれ!政府の狗!権力の尖兵め!」
一斉に発射されたロケット弾は、急速に横に逸れるバンによって無意味なものとなる。ましてタイヤに鉛弾ごときが効くこともない。
「クソッたれ!おい、次だ次!ブッ殺せ!」

後方の軽装甲車から、指示とも野次ともつかないような怒声が飛んでくる。その声の主が指揮をとっているのは間違いない。
透明化し潜伏したクレイグは、指示とそれに応じる声をデータと照合し、重要人物にあたる者がいないか確認する。
結果、重要人物なし。集団の中核を形成するような器を持つ者はここにいない。
捕らえる必要性が無くなることでやり易くなった。
《全員下っ端だ。遠慮なく撃って良い》
クレイグからの通信。
《了解。巻き込まれないようにな》
《フッ、それほどポンコツじゃないさ》
通信を受けたロイは、自動運転になった車を操作し、屋根から備え付けのシールド付き機関銃を展開、その引き金に手をかける。
けたたましい音と共に、殺意の鋳型で形作られた鉛弾が放たれる。狙いは手前の武装バイク。
射撃を察知した敵は、その射線を掻い潜るようにして動き出す。どうやら、ただの雑兵という訳ではないらしい。ロイとしても、一人で八台のバイクからの攻撃を牽制し続けるのは難しい。
ロイの牽制も意に介さず、二人乗りのバイクから攻撃が再開される。
敵の練度が想定以上に高い。高等捜査官でも実力の高い者ならば、相応の戦力ではある。だがはたして、唐突に現れた彼らにこちらの戦力を測ることが出来ただろうか。

束の間の思考の後、ロイは別の問題を考えていた。クレイグに戦闘形態への移行を命じるかどうか。もし向こうに備えがあるならば、クレイグの身に危険がおよぶ。しかしこのままでは埒が明かない。ならばとるべき行動は分かりきっている。

《クレイグ、戦闘形態へ移行してくれ。まずは二人乗りから叩く》
口調はあくまで平坦に、多少の躊躇いなど無いかのように。
《その命令を待ってたぞ。待ってろ、すぐに叩き潰してやる》
クレイグは、それまで戦いたくてうずうずしていたとでも言うように返事をする。
不可視迷彩が解けるのと同時に、鋼の猟犬は一台のバイクへ飛びかかる。
背後からの急襲に、運転手も、後ろで銃を射ち続けていた男も反応できない。なすがままにバイクは横転し、二人とも地面に叩き付けられる。
勢いのまま滑っていくバイクを横目に、アナーキスト二人は無事では済まないだろう、とロイは思う。
「なんだコイツ!?どっから出てきた!」
「よくもやりやがったな!お前も鉄屑にしてやる!」
唐突に現れた脅威に、どのアナーキストも狼狽え、取り乱し、感情を困惑を剥き出しにしている。
ここにきて、クレイグもロイも一つの確信を持った。彼らは高等捜査官がいることを知っているのみで、自分達への対策も無ければ、その覚悟も無い。
ならばこのまま討つ。
一人のライダーが後方の出来事に気を取られているのを、ロイは見逃さなかった。その意識の抜けた的に向け、苛烈な銃撃が加えられる。
彼は自分の身に何が起きたか認識する間もなく、この世の者ではなくなった。
《二台排除。順調だな》
《ああ。連中の意識を掻き乱してくれ。全て撃ち抜いてやる》
クレイグの通信にロイは新たな命令を加え、狩人としての鋭さを増していく。
「クソ、クソ、クソ!野郎!この野郎ォ!!」
また一人が大きく取り乱したと思い、そちらにロイは銃口を向けようとする。しかし、その反対ではクレイグより後方にいた軽装甲車が、ロイの乗る重装甲車に横付けしようとしていた。
車の窓から身を乗り出し、ロイに直接銃撃を加えようとする男。
すぐに機関銃の向きを変え、装甲車が近付きにくいように乱れ射つ。
一方の軽装甲車はクレイグの背後から銃で狙い、破壊を目論む。しかしクレイグの身のこなしは素早く、到底銃弾のみで太刀打ちはできない。
ならば、と持ち出されるロケットランチャー。バイク集団は一発ずつしか持っていなかったであろう大きな弾頭も、装甲車になら何発も詰めるだろう。
装填済みのランチャーを構え、男が窓から車外へ身を晒す。この行いに相手への必殺の意志を伴っていたならば、その意志は彼を殺してしまうのだろう。
クレイグは彼の姿を捉えてすぐ、後方に飛び下がった。装甲車の隣に、死神の如く現れる。今度は前方に飛び、男の肩へ噛みつく。鋼の牙は情け容赦無く、脆弱な生の肉体へ食い込む。さらに、強靭な顎は、獲物を離さない絶対的な力で食い付く。
憐れな男の肩はこの一瞬の間に砕かれる。そして死神があの世に魂を連れていくように、猟犬は彼をあっさりと、誰も制止を試みないうちに、車外へ完全に引きずり出す。
男は痛みとその衝撃により、ロケットランチャーを撃ってしまう。放たれた弾頭は、不幸にも前方を走行する味方バイクに直撃する。二人分の命が、断末魔さえ無いうちに消えていく。
咥えたまま男を引きずり、クレイグはなお戦闘領域中を走る。味方への被弾を恐れて、敵は簡単には発砲できないでいる。口の悪い連中ではあるが、ただの悪人ではないようだ。
もっとも、その倫理観の隙間を見逃すようなクレイグではない。敵を打ち破るのに必要ならおおよそのことはやってみせる。それはロイも同じこと。
彼らは無慈悲な狩人と猟犬なのだから。
咥えた男が衰弱していくのを知覚する。クレイグは男を前方に放り、走る脚で踏みつけ、息の根を止める。
次に右に飛び、軽装甲車の上に乗る。前肢の爪を最大まで伸ばし、車の屋根に突き立て、引き裂く。ものの五往復で穴が開く。
クレイグの爪はエネルギーにより強化状態となり、軽装甲程度なら切り裂くことが可能。敵にとっては不幸なことだが、この装甲車はコスト削減の為、被弾が想定されていない部分の装甲は比較的薄い。
クレイグは体勢を変え、車両前方に陣取る。バイク集団の一部は、この機会を逃さずに銃撃をしかけようとする。しかし鋼の身体、その両肩から小口径の機銃が展開、敵を銃弾で撹乱する。
そして彼の尻尾は恐るべき変形を遂げる。尻尾は伸び、刃を形成し、それは鞭剣ように、しかし意志を持ってしなる。その凶器は先ほど開けた穴から車内へと侵入し、内部を蹂躙する。
恐ろしいかな、彼はセンサーによって内部を見透かし、二方向への攻撃を実現したのだ。逃げ場の無い車内のアナーキスト達は満足な抵抗も出来ないままに、次々とその刃に切り裂かれ、突き刺され、命を落としていく。
最後にあえて残された運転手は、思いきって決断し、ドアを開け放ち、道路へと逃げ延びようと飛び出した。
傷を負ってでも生き延びようという思いは、冷徹なる猟犬に踏みにじられる。運転手の動きを察知し、彼は車両左の道路に着地した。その脚元には深々と爪で突き刺された男がいた。
そんなものを意に介さず、再びクレイグは獲物目掛け走り出す。後方では搭乗者の一切を失った悲しい鉄の箱が、ガードレールに衝突し、炎上している。
「なんなんだ、あの化け物は!こんなブリキの畜生見たことねぇぞ!」
悲鳴にも等しい声が上がる。
「ここまでやられて、今さら引き返せるか!とにかく撃って破壊しろ!」

そう、彼らはこの場から逃げることは出来ない。彼ら走るここは既に地獄のハイウェイなのだ。そして「ケルベロス」は地獄の番犬。決して地獄から獲物を逃がさない。

クレイグが装甲車を破壊する間、ロイはなんとか防御に徹することで現状を保っていた。ロイには鋼の身体はない。特殊な武装もない。自力で車両に追い付く足もない。
しかし、彼の力はそれだけで測れるものではない。
背後から銃撃の予感がロイに突き刺さる。すかさず愛用の大型拳銃を抜き、連射する。反撃を予想していなかった一人乗りのバイカーは、いくつもの銃弾を上半身に受け、そのままスリップし、後方へと流れていく。
この場の誰にも確認できないことだが、死んだ男の額、その中央には、大きな風穴が開いていた。
反撃の間も機関銃の引き金引いたまま、敵の好きなようにさせはしない。既に敵車両の右側面は、鞭打たれた奴隷のように傷み、苛烈な射撃を浴びせられ続けたことは明白だ。たまに撃ち返してくるも何のその、相手の射手にまっとうな反撃の余地はない。
危ういのは背後。クレイグが気を反らしたおかげで、後ろのバイクからの銃撃はない。むしろ尻尾を振り回すクレイグに押されているようだ。
《ロイ、お前の車の右に敵が張り付いてるぞ!気を付けろ》
《分かった、対処する》
張り付いた敵は大型のナイフを持ち、直接乗り込んでロイを殺すつもりだ。自分に気付かず、その喉を切り裂かれる男を想像すれば、自然と笑みが溢れる。
側面を登り、屋根を見れば、奴がいない。一瞬の焦りと共に、何やら胸の下辺りから音が聞こえる。
車の窓が自動で開く。突き出される銃口。腹に触れる無慈悲の塊。男に後悔する暇があっただろうか。
引かれた引き金は、暴力的な金属を銃口のその先へ導く。
散弾が容赦無く男の身体を吹き飛ばす。彼がどんなに頑丈な防弾チョッキを着ていても、衝撃で骨が折れ、死に絶えるだろう。それだけの威力はある。
ロイが窓を閉めるボタン押したとき、大きな揺れが車体を襲う。
どうやら向こうが体当たりを仕掛けてきたらしい。自動運転はこの手の荒事に対応してくれない以上、自分で運転するしかない。
車内後部からいくつか火器を引っ張り、なんとか運転席につく。自動運転を停止し、思い切りハンドルを左に切る。反応のなかった車が急激に衝突しにきたため、敵はまともに衝撃を受けたようだ。一段と罵声が聞こえる。
このままでは決定打の無いまま、ズルズルとドライブする羽目になる。クレイグが後ろのバイク六台を破壊し終えれば、このしつこい体当たり野郎も倒すだろう。だが向こうがロケットランチャーを何発も撃ち込んできたら、たまったものではない。
ここで迅速に敵を処理する。この際、完全に敵を殺す必要はないだろう。ここはハイウェイ、封鎖されれば逃げ場はなく、無理矢理降りれば死が付き添いになる。
取り出したるは八連マガジン式グレネードランチャー。手榴弾を発射する火器。狙いは…

ロイはしばらく道が直進であることを確認し、機関銃の自動射撃ボタンを押す。自動射撃といっても、向いた方向は変わらず、弾が出るだけ。幸い敵の方に向いたままだ。これで少しでも牽制出来ればそれでいい。だが残弾も少ない、早くしなければ。
ロイは窓を開け、素早くグレネードランチャーを左前方に向ける。そして連続で三発射つ。
五秒後、三つの連続した爆発が軽装甲車を包む。ロイはグレネードの起爆時間とその間に移動する距離を割り出し、敵がグレネードの上を通った時に爆発するよう狙ったのだ。そのためには直線の道と敵をその直線上に走らせる必要があった。
一発目のグレネードは車両後部で爆発。後ろから前へひっくり返ったところを、二発目が直撃。おまけの三発目で止めとなっただろう。

クレイグは、その爪と尻尾を武器にさらに二台のバイクを破壊していた。そして今、新たな凶刃の犠牲者が生まれようとしていた。
尻尾は執拗に尻尾で攻撃を加え、バイカーもそれを必死に避ける。ここまで生き残っただけの技量はある。だが残りアナーキストは二人。つまり一人一台で回避に専念し、攻撃に転じることが出来ない。
片方のアナーキストは速度を上げ、この戦闘領域から脱出しようとする。
しかし現実は非情。目の前の黒い装甲車の扉が開かれ、自動小銃を構えた一人の男がこちらを狙う姿が見えてしまう。
バイクに乗る男は、その瞬間に全てを投げ出し、全てを受け入れた。
途端に身体は銃弾に引き裂かれ、バイクは置き去りになる。そして、クレイグに追い詰められた最後の一人は置き去りのバイクに衝突、戦闘不能になった。
「おーい、戻ってこい!」
ロイは開け放たれた扉から肉声で呼び掛ける。
クレイグもそれに応じ、軽やかに車内へと戻っていく。
『随分と厄介な連中だったな。流石に俺も焦り気味だった』
戦闘が終わって心底安心したようにクレイグが言う。再び車内センサー類へと接続する。
「あぁ…割とヒヤヒヤもんだったなぁ。お前は例の犯人の差し金だと思うか」
運転席に戻り、自動運転のままにシートに寄りかかる。ハイウェイの戦いには自分達の逃げ場も存在しない故に、精神的披露も大きかった。
この後に倉庫街の捜査があると思うと、先が思いやられる。せめて今は犯人よ、出てこないでくれ…と。

倉庫街はひっそりとしていた。時折まともに住む場所もなく、ここに住んでいると言い張るしかない連中が、こちらを鬱陶しそうに物陰から見ている。中には浮浪者のふりをして、薬物の売人が混じっている。不可視迷彩を起動したクレイグの調べは順調だ。
倉庫街の奥一帯の何処かに、戦闘用アンドロイドが発注された。その細かい場所までは分からない。
《ロイ、ちょっと待て。真新しいタイヤ痕だ》
クレイグが手がかりらしきものを見つける。警戒しろという意味合いの声音で伝える。
《分かった。十分警戒して行く。敵性反応があったらすぐ知らせてくれ》
ロイはタイヤ痕を追いながら慎重に歩いていく。本来なら聞き込みをしてこの痕跡の詳細について調べたいが、ここでは彼らはお尋ね者だ。十中八九逃げられるかトラブルになるかだ。

倉庫街は若干薄暗いが、痕跡はしっかり追える。敵が潜伏していても、クレイグが気付く。だが、それでも拭いきれない不安があった。
包囲するならそろそろクレイグ反応あるはず。もしこの一帯にアンドロイドが皆無ならば、奴はどこに移動させたというのか。発注してから奴のアンドロイド部隊が現れたという報告はない。
また、アンドロイドの発注に関して不明な点が別にある。生産元が分からないのだ。おおよそ犯罪者が扱うアンドロイドはジャンク品である。しかしこの件で見つかるアンドロイドの残骸には製品コードがなく、また会社ごとの特徴が見られる構造は、自壊することで隠し通されている。しかも全部新品だ。どう考えても、アンドロイド製造会社から何かしらの支援を受けている。問題はその会社の特定だ。
進み続け、開けた倉庫に出る。何やら作業した跡があり、コンテナや木箱が積まれている。ここで一度アンドロイドと武器を揃え、武装し、また移動させたようだ。ここまで追ってきたものとは別のタイヤ痕が延びている。
「どうやら……もう色々と終わった後らしいな」
《そうだな。まさにもぬけの殻といったところか》
通信で応えながら、クレイグがその姿を現す。
「隠れなくて良いのか?」
慎重なクレイグがおもむろに可視化したことにロイは少し驚く。
『ああ。これ以上隠れても意味がない。周辺には潜伏中の敵はもちろん、センサーやトラップの反応すらない。ここは完全に用済みなのさ』
あまりの手応えの無さに、クレイグは白け気味だ。
『見ろ、こんな紙切れ一枚を拾うために、わざわざ俺達は引っ張り出されたんだ』
そう言ってワイヤーアームで掴み、寄越してくる書類が一枚。それは輸送先だけが書かれた、運送会社の書類。要するに新しい手がかりであり、呼び出しのようなものだ。ただここへ来いという。
「なるほど……まったくやる気の出ない話だ。どこから見下ろしているつもりなのやら」
ロイもそのまま踵を返し、倉庫から出て行く。クレイグも不可視化しながらついていく。

帰り道もハイウェイを使った。しかし、先刻の戦いの処理で一時封鎖されたため、渋滞していた。結局ケルベロス本部に着いたのは日がほとんど沈んだ頃だった。
ロイとクリスは途中で買ったハンバーガーを食べながら作戦を確認していた。ロイが本当に食べたいのは家族で囲むアンナの手料理であり、この件をとっとと終わらせたいという思いが強くなる。
『それで、こんな作戦で良いのかよ。別に異論なんか無いけどよ、準備がめんどくせぇし、予想が外れたらめんどくささが倍だぜ』
相変わらず口の悪いハトがわめく。
「そうかなぁ。俺は悪くないと思うんだけどね。まあ、確かに準備は面倒だけど」
クリスが眼鏡をかけ直しながら相棒に言葉を返す。
『お前が良いって言うなら別に良いんだぜ。』
主な立案がクレイグのこの作戦、詳細を詰めるのにそこまで時間はかからなかった。
『ありがとう。今回はお前達の協力も重要になってくるからな。頼む』
クレイグが低姿勢な態度で感謝する。
『まあ言っててもしゃあねぇ。行くぞクリス。調整もあるんだからな』
毛繕いをしながらジェムがパートナーである男をせかす。
「もしかしてジェム、結構楽しみにしてるのか」
クリスはジェムのテンションの微妙な差違に気付く。
『そんなこたぁねぇよ。ただどうあがいてもクソな奴をとっちめるチャンスを、逃したい奴はいないって話だ』

二人が、いや、一人と一機が準備に向かって部屋を出ていった後、ロイはぐったりとソファーに座っていた。
『不安か』
クレイグの問い。
「いや、結婚記念日とケインの誕生日のことを考えてた」
クレイグの発声器から、思わず笑い声のようなものが溢れる。
『お前らしいな、実に』
「ああ、そうだな」

翌日、ロイとクレイグが車向かったのは、ラージクラフトビルディング、アンドロイド製造会社の一つ、レイズニール社の建設中の高層ビルだ。
そして、その二十五階を目指していく。エレベーターは動いておらず、すべて徒歩だ。
二十五階に至っても、ロイには少しも疲れがない。元からこんな男だ。
不可視化したクレイグは、階の中心に敵の存在を探知する。入り口手前でロイは銃を構える。
『入りたまえ』
不意に扉の開いたから声がする。
『別に撃ちはしない。約束しよう。ただ話がしたいだけなんだ』
ロイは若干戸惑うが、クレイグに目配せし、警戒しながら入室する。
『ようこそようこそ。よく来てくれた。いや、前々から君達と話をしたいと思っていたんだ』
妙におしゃべりな声の主の姿は異質だった。黄金の鷲の頭、金色が所々あしらわれた鉤爪と翼、白銀の獅子の下半身。それらがわざとらしいほどの機械感で仕上げられている。どう見てもロボットだ。
「驚いたな、グリフォンか」
素直過ぎるほどあっさりと、ロイは感想を口から漏らす。
『そうだろう、驚いたろう!』
グリフォンは上機嫌になりさらに話す。
『君達のバディは……』
『実在する動物をベースにしたものがほとんどだからな』
話をさえぎり、クレイグが扉から姿を現す。会議室に二体の異形が相対する。
『飼い犬くらいしっかりしつけた方が良いぞ、君』
神話上の生物が今度は不機嫌そうにロイに言う。
「悪いがこいつはペットじゃなくて相棒でな、躾とは無縁なんだ」
『そういうことだ』
グリフォンの背後の窓には場違いなカラスが飛翔していく。こんな高度になんの用があるというのか。
グリフォンは呆れ気味にため息をつく。
『まあいい。自己紹介をしよう。私の名前はコーカサスだ。そしてこっちがエインだ』
先ほどから黙ったまま、存在感の無い男を示して紹介する。
「どうも、エインヘリヤルことエインです。以後お見知りおきを」
黒髪短髪で緑色の目をした男が礼儀正しく一例する。
『クレイグ』
「ロイだ」
一人だけファミリーネーム付きなのも嫌だったので、ロイは名前だけを言う。
『全員自己紹介を終えたんだ、そろそろ本題に入るぞ』
クレイグは威圧的に断言する。有無など言わせない。
『まったく、仕方がない。弾む会話の二、三はあるだろうに。』
コーカサスは残念そうに首を垂れる。
『単刀直入に聞くが、貴様、昨今起きているスキャンダル狙いの記者や捜査官の殺害に、関与しているな』
クレイグの語気がさらに強くなる。
『ああ、しているとも。君達捜査官が追いきれていない事件は、すべて私達のものだと思ってくれていい。もっとも、君達の実力次第では、もっと多くの犯人がいることになるかもしれないがね』
捜査能力が低かったならば、自分以外の犯人にも辿り着けないだろうという挑発だ。
『そして、あの事件の時に!』
『一年半前の初めての捜査官殺しだな』
またもクレイグがさえぎる。コーカサスは苛立ちを感じる。
『お前は一年半前に証拠隠滅に失敗し、一組の捜査官に追われ、結果殺害した』
『そう、それが始まりだ。その後、私を追う理由に捜査官殺害が加わった。身内の復讐とは恐ろしいね。より厳しく激しい「捜査」だったよ』
戦いと殺害の高揚感を思い出し、コーカサスは饒舌になる。
「俺達はお前の裏には、アンドロイドの製造会社がいると思っている。そこはどうなんだ」
クレイグばかりにも話させておけない、と感じたロイは口を挟む。
『そうだな、私達のスポンサーはグラズヘイムコーポレーションだよ。彼らと彼らお友達の癒着に関して、潔白を示すように依頼されたんだ』
「潔白の示し方が記者殺しとはな。お友達とやらは政治関係者だな」
ロイが追及する。
『常識的に考えてそれしかないね。ちなみにそのお友達の協力で…』
『証拠になるネットワーク上の情報を、削除させたんだろ』
もはやコーカサスはクレイグに取り合わない。
「で、癒着を隠したいだけの会社が、捜査官の連続殺害をよく容認したな」
『その話をするにはある前提を話さなくちゃな。元々、グラズヘイムはこのエリュシオンの支配が目的なのさ。世界的に見てもロボット産業有数の地に根を下ろし、ロボット産業の権威として莫大な利益を得る。そのためには実権を握るのが一番だ』
人智を越えた威容の持ち主は、あっさりと全容を語り出す。ロイもクレイグも、この後の戦闘の激しさをより激しいものとして考える。
『それでねぇ、彼らが捜査官殺しなんてリスキーなことを認めたのは、自分達の都合に良かったからだ』
『都合がいい…まさか』
『そう!そのまさかだ!彼らは多くの捜査官が死ねば新しい捜査官が必要なことに注目した。そしてそこに、自分達の息のかかった捜査官を入れることで、このエリュシオンの警察機関すらも牛耳るつもりなのさ!』
相当な興奮を見せるコーカサス。対照的にエインにはなんの反応もない。
『彼らも大概イカれてるね。そこまでして利益を求めるとは』
自らもイカれていると自覚しながらに言っているようだ。
『ここまで楽しく話せたのは久しぶりな気がする。そんな客人には申し訳ないんだが、私達のスポンサーは君達の死を望んでる。さようならだ』
コーカサスは翼を大きく広げ、威嚇。エインは足元のケースからグレネードランチャー付きのアサルトライフルを取り出し、構える。
その動作開始を見た瞬間に、ロイは机に隠れ、大型拳銃を撃つ。狙いはエイン。しかし彼はしゃがみながら避け、小銃で反撃する。
ロイは扉から外に出る。クレイグも追従し、廊下に出た瞬間に不可視化する。コーカサスは扉に向かい突進していく。エインのグレネードはロイの近くの壁にぶつかると爆発し、壁が無くなる。
「危ねぇ!クソ!どっちからシメる。」
『エインという男にしたいところだが、まずはコーカサスの弱体化を図る』
「分かった」
廊下に置いておいた武器入りのバッグを手に、ロイは走り出す。対ロボットの武器を取り出し、装備しながら。
廊下まで出たコーカサス、にロイの放ったロケットランチャーが当たる。コーカサスはよろけるが、大きなダメージとはいかないようだ。
エインが飛び出して、フォローに入る。小銃の掃射がロイを追い立てる。
別の部屋に逃げ込みながらも反撃のグレネードを投げつける。こちらまで届かないと判断したエインとコーカサスだったが、グレネードからは大量の煙が吹き出す。スモークグレネードだ。ロイはこれで敵を撹乱し、各個撃破するつもりでいた。
『猪口才なぁ!』
しかし、猛進するコーカサスには効かない。逃げ込んだ部屋の壁に鉤爪を突き立て、破壊する。
現れた異形の顔に横から大型拳銃の弾を撃ち込み、別の扉から抜け出す。追ってきたエインの銃撃を曲がり角まで走ってかわし、階段へとさらに走る。
怯んだコーカサスにはさらに可視化したクレイグが攻撃をしかける。大きさは翼の分だけコーカサスが大きいが、本体はほとんど変わらない。金光る金属装甲に傷をつけ、離脱するクレイグ。
コーカサスもエインも先にロイを殺そうと決める。
追って階段まできたエインはあるものに気付く。ロイの仕掛けた対人地雷。忌々しそうに撃って破壊し、降りていく。
追撃を待つロイの背後、上方では異音が。機械仕掛けグリフォンがその鉤爪で床を破壊し始めたのだ。前後を挟まれたロイは、出来る限り距離を取ろうと走り出す。危機を感じたクレイグはロイのもとへ駆ける。
現れるグリフォン。柱へ隠れるロイ。翼の機構作動し、五対の銃口が向けられる。
間違いない、必殺の一撃を見舞うつもりだ。柱の影から飛び出して扉を目指す。目の前にはクレイグがエインを押し退け、蹴飛ばし飛び込んでくる。コーカサスの銃口はロイを捉えている。
『━━ロイ、装着だ』
僅かな間を置いて十の砲身から発射される弾頭。いかにロボットが庇ったとしても、守り切れはしない。コーカサスはクレイグに向かって悠々と、勝ち誇ったように歩み出す。
瞬間、銀に輝く右腕が、拳が黄金の鷲の横っ面を打つ。強烈な不意討ちによって、その威容は不様に転がる。
『ぐぬぅ!なんだ今のは!』
起き上がりに、激昂した化け物が吠える。その目の前には銀色の鎧が立ちはだかる。その手足には鋭い爪が、その腰から背中に沿っては刃の尾が、その頭には猟犬の耳が備わっていた。
ロイとクレイグは危機的状況のなかで、パワードスーツ化とその装着をしたのだ。そして姿は鋼の狩人へ。
狩人は大型拳銃、散弾銃を装備しながらコーカサスに接近する。腕の爪が伸び、装甲を撫でていく。必死に獲物は逃れようとするが、密着されて距離がとれず、捕まってしまう。嘴を抑えられ、胸に何度も爪が突き立てられる。幸いにしてまだ貫通していないが、それも時間の問題。
相手は容赦なく、残忍なほどに神秘の獣、グリフォンを追い詰める。翼で鎧を叩き、抵抗を試みるが、効いていない。
そんな状態でも味方がいれば状況は覆る。エインの撃ち出したグレネードが狩人を打ちのめす。吹き飛んだ。狩人へ形勢逆転の爪が襲いかかる。
爪を転がって避け、散弾を肩に撃ち込む。しかし、頭狙いの小銃が行動を妨げる。ならば、と駆け出し、さらに下の階へ逃走する。
『エイン、上のアンドロイドを起動してこい!』
怒鳴り声が響き渡る。
「分かりました」
まるで相手の怒りなど知らぬような冷静な返事とともに、エインは上階へと向かう。
その時、ビルの上方全体を揺らすほどの爆発音が起こる。
『まさか、そんな!急いで確認しろ!』
待機状態のアンドロイド三十体の安否次第では、劣勢は避けられない。
コーカサスは狩人に追い付き、死闘を繰り広げる。翼に仕込まれた火器は大砲の類いばかりではない。機銃を展開し、銀の装甲を痛め付けていく。
反撃の拳や蹴りが襲う度に、パーツの損傷が増していく。
狩人が姿を消す。どこから襲ってくるかと待ち構えながら現在の状況を整理する。ここは十一階、その下は大きな吹き抜けのある十階エリアだ。今さらながらにエインと大きく引き離された。
突如として、無線からエインの通信が入る。
《なぜ通信が使える!私はともかくお前はジャミングの範囲内のはずだ!》
嫌な予感が脳内を稲妻のように走り抜ける。
《残念ながら、ジャミング機器は破壊されました。そしてアンドロイドも全滅です。私は今二十階にいます。そちらへ向かいますので、持ちこたえて下さい》
状況に似つかわしくないほど落ち着いた声で通信が終了する。
『なぜだ!なぜなんだ!クソ捜査官共!』
抑えられない怒りが音声として放出される。
『なぜかだって?教えてやろうか、人間』
低く威圧的な機械音声が鳴り響く。クレイグの声だ。
『貴様、鉄屑の犬か!それよりなぜ私の……』
『疑問ばかり多いなお前は』
侮辱的な返しに嘴を噛み合わせ、歯ぎしりする。
『俺達がジャミングに気付いたのは、ここに来る前からだ。おそらく過去の捜査官も気付いただろう。しかし、ジャミング波の逆探知には大型の機械を用し、身動きが取りにくい。そして機器はお前達の手勢の向こうにある。故に簡単にはジャミングが突破出来なかった』
『ああそうだとも。だが答えになってないぞ!』
床を爪で粉砕し、翼の機銃で辺りを撃ちまくる。
『無駄なことを。回避に至った最大の要因は、俺にジャミング波を探知する機能が備わっていたことだ。俺はこの機能で機器の位置を割り出し、仲間に知らせた。そう、鳥型のな』
高層ビルを飛翔したカラスこそ、彼らの仲間にしてクリスの相棒のジェムだったのだ。
『後は簡単なこと。機器を破壊し、アンドロイドに爆弾をくくり付け、遠隔で爆破。それだけで十分だ』
得意気な声音がコーカサスを苛立たせる。
『それにしてもお前達は本当にセコい連中だな。ライバル会社のレイズニールの建設中のビルで戦闘を起こし、イメージダウンを狙うとは。卑劣だぞ脳ミソ野郎』
コーカサスの奇声が階を満たす。
『だからなぜか答えろ!なぜ私が人間だと分かった!』
『簡単なことさ。俺のセンサーは高度でな、対象の内部構造なんて、ゆっくりじっくり覗けば、丸分かりなのさ』
さも当たり前のように言ってのける。
『ただのスペック差だというのか……』
『ああそうだ。良いことを教えてやろう。俺はな、最高機密レベルの技術惜しみ無く注がれた現在唯一のバディだ。そんじゃそこらの脳ミソを詰めた、ロボットもどきには勝てないのさ』
クレイグがコーカサスの目の前に現れる。怒りに自我を焼ききられそうな思いが脳を、機体を通い出す。
『ならばこちらも良いことを教えてやろう!私の相棒、エイン、いやエインヘリヤルはな!アンドロイドなんだよ!今に見てろ、貴様の飼い主ごとき、奴がくびり殺してくれる!』
クレイグは人工のため息をつく。
『その程度、さっき伝えたさ。装着中にな。お前頭回ってるか?』
グリフォン型の機体が翼を広げ、前肢を上げ、飛びかかるように威嚇する。
『人をナメやがってぇええええ!』
クレイグに襲いかかる瞬間、翼の付け根を何かに撃ち抜かれる。咄嗟のことに訳がわからなくなる。割れた窓ガラスと浮遊する影。鷹の姿をした銀のロボットが、大きな銃口をこちらに向けて空中から見下ろす。
『ナイスだジェム!いや、ナイスだクリス!』

《ナイスだってよ。聞いてるかクリス?》
ケルベロス本部のロイとクリスの部屋の扉には、「重要作戦進行中!干渉禁止!」と書かれた貼り紙がされ、中ではクリスがゲームのコントローラーを持ちながら、画面に食いついている。
「集中を切らさないでくれ。今真剣なんだ!」
画面に写っているのは鷹の、ジェムの戦闘用機体からの映像とクレイグのセンサーから送られてくる立体マップだ。
クリスは大人しそうな外見に反し、シューティングゲームではトップレベルの実力を持つ。実銃は反動その他が強いため、扱いきれるものが少ないのだが。

クリス&ジェムの支援射撃を受け、クレイグはコーカサスとの決戦に挑む。コーカサスは十階以下の吹き抜けを飛び回り、クレイグに銃撃を浴びせる。時折受ける狙撃により、十分な飛行能力を失いながら。
クレイグも狙撃に頼りきりではいられない。吹き抜けを囲む手すりや柱に爪を立て、しがみつき、跳躍しながら立体移動をし、すれ違い様に致命的な一撃を加えていく。

クレイグとコーカサスの問答が終わった頃、ロイはエインとの肉弾戦に突入していた。
エインは遮蔽物を使えども、正確に撃ち抜いてくる。だからロイは彼の銃口に、こちらから銃弾を放ち、破壊した。するとエインは脅威的な速さで接近し、白兵戦に持ち込もうとしたのだ。
エインの右ストレートをかわし、左に持つ散弾銃で腹を撃つ。大きな衝撃と共に体勢を崩すがそのまま左腕が腹に向かって飛ぶ。ロイはこれをまともに受けながらも怯まず、右手で顎を捉える。
仰け反ったのと逆に反動をつけ、エインの破れかぶれな腕が振り回される。ガラ空きの腹に蹴りを押し込み、吹き飛ばす。
吹き飛ばされ立ち上がるアンドロイドの顔には、恍惚とした歪んだ笑みが浮かぶ。
「気色悪いぞ、殺人人形」
ロイは心底気持ち悪そうに言い放つ。
「ええ、そうでしょうとも。気持ち悪いでしょう。でもいいんですよこれで。私は人を殺し、悦楽に浸る……私には見えるんだ!あなたを殺す私の姿が!」
開かれた口から歓喜が飛び出す。
「ああ!私が生まれてきたのはこの為!神は人を!人は私を!作った!人は今や神を殺し!今や私は人を殺す!因果であり!宿命!」
発言の途中にも関わらず、ロイは右腕で胸を殴りつけ、回転しながら左肘で人工の顎を打ち、右膝でさらに顎を蹴り上げ、持ち上げた右足を左肩に振り下ろし、床に這いつくばらせる。
「だったらこれでお前は終わりだ」
叩き伏せられた頭に大型拳銃で一発。沈黙が世界を支配する。
「やっと……終わったか」
銃撃戦の時から大分時間も経ち、その間も殴られ蹴られ、蹴って殴ってをしていた。殴られたら倍は殴り返したように思う。実際は三倍以上殴った。
なぜこのような人間離れした男がいるのか。それは自然の奇跡と人類の遺伝子に、答えを託すしかない。しかし、この男とクレイグが組んだ理由は分かりきっている。
お互いにずば抜けた性能を示していたからだ。クレイグの性能は、一般的な高等捜査官には手に余り、その活躍はパートナーによって制限されてしまう恐れがあった。
しかし、この男、ロイ・マクスウェルは尋常ではない膂力と戦意で武装し、どこまでも突き進む。
その力が認められ、この異常なコンビが生まれたのだ。

使えるエレベーターがなく、疲れきったままに階段へ向かうロイ。ふと嫌な予感が首筋を撫でる。
ガバッと起き上がった人形が狂ったように駆け寄る。振り返り様に後ろ蹴りを見舞い、義体が浮く。浮いた身体をタックルで運び、窓のすぐそこで止まる。浮いた人形に散弾銃を突き付け、引き金を引く。散弾の勢いでアンドロイドの残骸は窓を突き破り、落下していく。

ロイが一階に着いた頃、クレイグはコーカサスの機体を運んでいた。
「悪い、こっちは壊しちまった」
ロイは済まなそうに声をかける。
『別に良いさそっちは。こっちの方はしっかりと確保した』
機体から安全な状態で取り出されたコーカサスの脳は、既に保管した。あとはこの綺麗に胸を抉られ、翼をなくしたグリフォンの死骸を積み込むだけだ。

クレイグは、今回も無事切り抜けられたことに安堵し、相棒への感謝を込め、傍らに立つロイを見上げる。
ロイはその眼差しに少し笑顔を送り、先へと歩き出す。その頭の中では、結婚記念日のプレゼントのことを考えていた。