さみしがりやのつくりかた
自分はたいそうなさみしがりやだ、と思います。
正確にいうと、さみしがりやに改造されたのです。
卒業に関わるイベントでは、卒業されるご本人を困らせるくらい泣き出すし、遊びに行くと帰りたくないって言いだすし、Twitterやインスタで見かけると会いたくなる(し、会ってくださいっていう)
何かと理由をつけて会いたがる(つける理由もまぎれもない本心ですが)
いつからこんなにさみしがりやになったんだろうなあ……と思うこともしばしばです。
自粛期間になって人恋しくなって、とかではないんです。加速はしてるかもしれませんが、自粛前からこんな感じでした。
でも、自分は数年前までこういう人ではなかったはずなんです。卒業式は早く終わらないかな、と思っていたし 遊びに行くときも事前に帰りの電車を決めていたし。学校が休みの日に外に出たいなあとは思っても行き先は駅近くの図書館が基本でした。特に誰かと一緒に居たいとかいうこともなく、友達が遊びに行くのも「いいなあ」とかいうより「そっか楽しんで~」という感じが多かったんです。
そんな数年で変わるもんかい!とも思うんですが、今現在びっくりするほどさみしがりやでやきもちやきなので 「じゃあ、何が違うんだろう」と思うようになりました。
変わったことってなんだろう①
さみしがりやじゃなかったときの日記と 今の日記とを読み比べてみると、面白いことが分かりました。
日記に人の名前が出てくる回数はそこまで変わっていなかったんです。
そのかわり、大きく変わっていることがありました。反省の仕方が、変わっていたんです。
時期もくっきり 3年前の冬頃からでした。「○○さんを怒らせてしまった。△△のせいかもしれない」みたいな文章が、その時期を機にほとんどなくなっているんです。
その時期に 匿名のサービスが流行っていて、その関連で相手にいやな思いをさせてしまったことがあり、そのことが関連して 相手の気持ちを決めつけるのはやめよう、と意識するようになりました。
(今使ってる日記にも、表紙の裏に「相手の気持ちは相手のもの!」と書いてある)
ちょっと、家庭事情が複雑で 顔色を窺うことが(苦手なリにも)求められたり、「謝って、何が悪かったかをひねり出す」ことをしたりしていたことがあって、「怒らせないためには?」と考える癖があります。
今でもネガティブになるとそういう考え方になってしまうことはありますが、無意識に「決めつけない」ができるようになって行けたらなあ、と改めて思います。
勝手に反省しなくなったこと、がまず大きな変化だと思いました。
怒ってるかも…?と思った時は「それで怒る人かな?」と考えてみると、ほとんど「そんなことないな」と思えたりします。
変わったことってなんだろう②
もう1つ、変わったことがあります。
2年前の夏ごろから、自分の気持ちが前面にでている というか「○○さんに会った!うれしい!」というような文が日記に増えているんです。ちょっと文章おさない感じは否めないんですが、今に至るまで 日記の中にこういった文章がたくさんあります。
このきっかけもすごく覚えていて、「そっか、これ2年前か……!」としみじみしました。そりゃ2年もこういう書き方してたら、変わるよなあと。
部活の先輩に、言葉づかいについて相談したんです。当時自分が部活に行くことへの自信が本当になくて「参加させていただく」みたいな言い方をしていたんです。それを注意、と言うほどでもないんですが「やめたらいいのに~」って声かけていただいたことがありました。それがピンと来なくて(というか、その時は”失礼な言葉づかいを注意していただいたのかな”と思っていた)、同じ部活の別の先輩に「何が正解なんでしょう……」と伺ったんです。
そのときに先輩から、「もっと近い言い方でいいんだよ!失礼とか思わないよ」「うれしい!とかを前にだしていいんだよ」というアドバイスをいただいたんです。「お話できて嬉しい」と舞い上がって、緊張してしまいがちな自覚が十二分にあります。でも、「嬉しいな」という気持ちをまず表に出すこと。それを伝えてみること。すごく大事だなと思えるようになったんです。
その日のページに「自分の気持ちで話してもいいんだって」とオレンジで書いてあるのでこの日がきっかけだな、と自信をもって言えます。
これはもう現在では無意識にできていることなのでは…?と思います。
ただ気持ちが先行しすぎて…誕生日とか「お祝いしたい!」が先走り過ぎて持って帰るの大変では?みたいな大きいものを贈ってしまうこともあるのでちょっと考えねばと思いつつ…
「自分の気持ちを前に出してもいいんだ」と教えていただいて、気持ち先行で動けるようになったことがもう1つの大きな変化です。
なんといっても安全基地
日記を読み返して「変わった!」と分かるのは上記の2つなのですが、そもそも環境がガラッと変わったのも忘れてはいけないポイントだと思います。
大学に入って環境が大きく変わったのは言うまでもありません。住む地方も変わって、部活も今まで入ったことのなかった文化系に入りました。人間関係だって、もちろん1から始まりました。
高校までの人間関係がいやだったとかそういうことではないんです。柔道もすきだし、部活での体型ネタも楽しくやっていて(過去記事のとおり)クラスメイトも一緒に勉強したり遊びに行ったり、楽しくやっていました。
でもきっと、大学でであった人間関係が「きっかけ」を実践できる安全基地だったんだろうなあ、と思います。
やさしくてきらきらな先輩たち、かわいくて頼りになる後輩、かっこよくて、ときにちゃんと叱ってくれたり ときどきは頼りにしてくれる同期 がいるから、きっと変わらせてもらえたんだろうなあと思います。
自分の特性のことも、大学生になって「大人以外」に話しました。知られるこわさよりも、「知らせないで離れていってしまうこと」がこわくなったから。演劇も、アカペラも、「活動内容以上に、いっしょにいたい」と思う人ばかりです。一緒に写真を撮りに行ける友だちも、ごはんに行ける友だちも、そんな人ばっかりです。
自分は、運よく大学で一人暮らしができ、人に恵まれたから 変わるきっかけを活かせたんだ、と思います。
さみしがりやのつくりかた
○用意するもの
・さみしがりやじゃない人
○必要な場所
・その人を大事にしてくれるところ
○つくりかた
①反省ポイントを作らなくていいと知る
②自分の気持ちを先行していいと知る
○さみしがりやになれて、よかった
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