見出し画像

拝啓、憧れのひと。

春は出会いと別れの季節、なんて誰が言い出したんでしょうか

認めたくないけれど、確かに春は出会いと別れの季節だなあと思います。

年が明けて色んな「集大成」たるイベントを越えて、行く1月と逃げる2月とを振り返る間もなく3月が去っていこうとしています。

わたしが「春は出会いと別れの季節」ということを認めたくないのは、率直に、さみしいからです。
「別れ」という言葉は、どうにもならないさみしさでできていると思うのです。
卒業おめでとうございます、って 不思議な言葉だなと思います。
4年間の大学生活を終え、卒業論文を書き、など、それぞれに大学での学びを修めて、次の世界に向かう姿はとてもかっこいいです。
でも、それ以上に、会えなくなるさみしさが大きくて、どうしようもなく気持ちがまとまらなくなります。
大学生になって、いっそうそれを感じるようになりました。人間関係がド下手くそなわたしにとって、「人の中で生きること」の難しさだけでなく それ以上のうれしさを教えてくれたのは、大学の部活で出会った人たちだと思っています。
だからこそ、別れが一層辛いのだ、と思います。

わたしにとって、1つ上の先輩はどこか特別な存在です。
「話しかけるのをためらうほどの圧倒的憧れ」があった2つ上の先輩がたと違って 話したり、お話聞かせていただいたり そういう中で「役に立ちたい」「何か、お手伝いできることは無いか」と思うことがありました。でも、最終 自分が煮詰まってしまったとき、頭に浮かぶのは1つ上の先輩がただった。自分もこんな先輩になりたい、と 現実的に憧憬の念を抱いていたのは、先輩がたに対してでした。
お声がすてきで考え方も素敵で、部活内外の相談にのってくださった人。
部活と委員会(?)が一緒で、ときどき「こわい」と思いながらも、でも、いろんなことを教えてくれて、かっこいいなと思う人。
お声が不思議に魅力的で、いつも笑ってらっしゃるお顔が印象的な人。
穏やかでたおやかで、頼りになる それでいてきちんと叱ってくれる人。
ちょっとほんとになに考えてるかわからないときあるけど、ちゃんと話をしてくれる人。

格好いいのにかわいくて、美しくて でもやさしく笑いかけてくれて 相談ものってくださる人。
美しさの権化かなと思っているくらいだけど、話しかけるとふわりと笑ってくださって 優しく笑ってくれる人。
部活のなかでも職人気質?で、技術をたくさん教えてくれた それでいてブラックジョーク交えつつ わたしの悩んでたこと打ち抜いて解決してくれた人。

わたしの周りには、伝えきれないくらい素敵な先輩がたがいます。

適切な言い方かわからないけれど、部活内に先輩がたがいてくださることが、「あたりまえ」に感じているところがあります。

正直、まだ卒業なさることを現実的に自分のなかで理解してない気がします。

昨日、そんな卒業生さんのお祝いに行きました。行事等の自粛により、式典自体は無くなってしまったのですが、先輩がたにどうしても会いたかった。
家に帰るまで泣きこそしなかったものの、色んなポンコツを最後の最後までやらかしました。プレゼントだけお渡しして、手紙を渡し忘れるなんて、自分でもいまだに意味が分かりません。
自分の通っている大学は卒業式が比較的遅めで、卒業式からまだいくばくも経たないのに、もうあと数日で新学期 新学年が始まろうとしています。
でも、まだ見ぬ「出会い」について思いを巡らせることよりも、目の前にある 大切な人との「別れ」を痛感することに気持ちを奪われっぱなしです。
大好きで尊敬している先輩がたとのいくつもの「別れ」は、自分の中の「今まで」を、奪っていくような気がして あと数日で、当たり前に会うことができなくなってしまうことが苦しいです。

________________________________

上の文章は、卒業式の翌日、私用で県外に出る移動中に書いたものです。
さらにそこから時間が経った今、「私用」のなかで話したことや 少し時間をおいて冷静になった頭で考えたことがあります。

「いない」ということ
県内に戻る直前、部活やバイト先にお土産を選んでいました。
「◯◯さんは、こういうの好きかな」「△△はこれ好きそう」など、相手を思い浮かべながら選ぶ時間は、わたしにとって外出最後のたのしみのひとつです。
選び終わってバスに乗り、ふと 気づきました
「お土産、先輩がたの手には届かないのでは……?」
思い当たったとき、涙がでました。
今までまったく想像できていなかった 「いない」ことが急に、現実味を帯びました。

あたりまえにいらっしゃるのは、「当たり前」じゃなくなるんだ。

卒業と別れとは必ずしも一緒ではない
一緒に居られる時間が「あたりまえのもの」でなくなる。
それは「卒業」ということをとても現実的に表していると思います。

「またね!」という言葉が、確実に会えるわけではないということのように感じてしまうともう、「別れ」という文字が頭にちらついてしまいます。あと数日で迎える「新年度」が、先輩がたと自分たちとを大きく隔てる壁に見えてしまいます。

でも、冷静になってみると今の時代 「別れる」ことは現実的にそんなに高確率では起こらない、はずです。
(アカウントの有無、使用頻度についてはありますが) ある程度、SNSとかで近況や生存(?)を知ることができるし、「会いたいです」という連絡をさせていただいて、先輩の状況次第では会うこともできるかもしれない  きちんと使えば、連絡をすることも可能だと思うのです。

その分、これから会える時間を大事に大事にしていくことが大切だ、とより一層思います。

卒業は大きな区切りだと思うし、見送ることの重みもここ1,2ねんでようやく感じられるようになってきたけれど、「別れ」ということには、しないこともできるのだ、と思います。そう、思いたいです。

拝啓、憧れのひと。
ご卒業おめでとうございます。
大学に入って、出会うことができて 部活の後輩にしてくれて、時に優しく 時に厳しく 導いてくれて、ありがとうございます。
先輩がたと出会えてわたしは幸せです。

新生活、お体に気をつけてください。

これからも大好きです。
落ち着いたら、会いたいです
来年いっぱい、わたしも「当たり前」に 部活にいます

2月の #ペアnote 振り返りと3月のテーマ|ひらやま | cotree @yhkzk #note https://note.com/kaz_hirayama/n/nc719cacf632c

もしよかったら、サポートお願いします! いろんなことを勉強してもっといろんな記事をかけるようにするために、本を買ったりイベントに参加したりするために使わさせていただきます!