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掬われ、救われる。

もともと細々と、だったけれど。
久しぶりにnoteを書く気がします。ずっと、ふと「これ書きたい」と思っても やることや生活のあれやこれの中で、弾け消えてしまっていました。

先月に引き続き、「ペアnote」という素敵すぎる企画に乗っからせていただいて、もう一度、note書き始めたいなと思います。そうやって、続けられるようになろうと思います。

↑その素敵すぎる「ペアnote」の企画はこちらに今月のお題が。

今月のお題の1つ、「不安との向き合い方」について、書いてみようと思います。

不安との向き合い方について
小さなころは、あんまり不安にさいなまれていた記憶がありません。
いつのころからか、気づかないうちに不安の中にいて、「不安そうじゃない自分」をうまくやれているかな、という不安とも戦いながら、すきな人達の中で息をしているような気がします。
きもちの波が激しいので、さっきまで笑っていたのに急に落ち込んだり、周囲の環境によっては今の今まで泣いていたのに テンションのたかい「不安でないわたし」が振り切っていく。そんなときも割とありました。

今年度、今までにないくらいいろいろなことが起こっています。「一つ一つにきちんと向き合おうとする」ことを目指しているので、ある意味、それを達成できるのでは…?と思ったこともありますが、そうはいきません。

もともとの性格もあり、起こった様々もあり、自分の心身が崩れていきました。幸いにも(?)顔色が悪くならない質なのですが、「さすがに無理」となり、「色々」が落ち着いてから、病院へ行きました。

今は、お薬を飲みつつ、不安との向き合い方を模索し始めているところです。

不安に「掬われる」こと

自分にとって、「不安」はいつどこにあるかわからない 透明ででも確かに実体はあるものです。


自分でも気づかないうちに足元からじわじわ浸食されて、気づいて慌てて動こうとしても帰って転んでしまうし、いざ渦中にあるときはもがこうとすればするほど動けなくなっていく。不安から抜け出した、と思っていても 体のどこかにうっすらとは残っていて 見えてしまうと気になって考えが止まらなくなる。そんな感じです。

「足元を掬われる」ってきっと、そういうことなのかな、とおもったりします(それは違うかもしれない)

不安に「抗う」こと

2020になって、不安の波に抗おうとしています。一時的、でも、少しは確実に上向くことが分かってきました。
今の自分の最大の対抗策は、「生活をする」こと。
部屋のお掃除をして、1食でもごはんを自分で作って、シャワーを浴びて、お洗濯を回して、眠れなくても布団に入ること。
不安になると頭がごちゃごちゃします。それに伴って、生活のいたるところが雑になってしまう。部屋に物が散乱し、ごはんはインスタントとか適当に買ったものになり、シャワーが最低限の「洗うだけ」になって(本当に沈み切ると、人に会う前の日にようやく入らなきゃと体を引きずって洗いに行く) お洗濯もやってない、寝る時間?どうせ寝れないからいいよ となっていく。

めちゃくちゃしんどいけれど、ほんとにほんとにしんどいけれど、このうちのどれかさえできれば、「とりあえず動く」ことができ、「不安」をいったん隔離できます。

「抗う」ことになっているか分からないけれど、今の自分にとっては、最大の方法です。

不安から「救われる」こと

不安がなくなる日って、きっと来ないと思うのです。
性格とかじゃなくて 今も、ウイルスの事とか、新しく不安になることはたくさんあります。

「不安との向き合い方」というお題に即したものかわからないけれど、いまの自分にとっては「とりあえず目を背ける」ことが一番大きいかなと思います。
あと、今書いていて思ったのですが、「不安は無くならないから」と前提を置くと、少し気が楽になるような気がします。気のせいかな。

折角のペアnoteなので、いろんな方の「不安との向き合い方」を読ませていただいてみようと思います。

自分のnoteも、誰かの不安との向き合い方の一助になりますように。

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