見出し画像

推しに人生を変えられた話

推しに人生を変えられた話です。
推しについて言及する話ではなくて、推しを推す私についての自分語り


 不特定多数の目に触れないとも限らないので名前は一応伏せるが、私には推しがいる。とても素敵な役者さんだ。
 私がこの推しを知ったのは2019年の12月未明。未明というか覚えてるから具体的に言うけど17日の朝。なんで覚えているのかは自分でもわからない。第二の誕生日的日付だからだと思う。そう、2019年12月17日の朝、私は当時16歳にして産声を上げたのだ。
 そこからが早かった。本当に早かった。光すら追いつかない速さで沼に一直線、高さ五億キロの飛び込み台からのフルダイブだった。12月17日の午後、部活の時間にはもう彼について必死に検索していた。こっそりネットサーフィンできる類の部活でよかったと思う。ちなみに、その日の下校中と思われる時間のツイートに「口角の上がり方メチャクチャ好きかも」というものが残っている。我ながら目の付け所がいい。
 だがこれは序章に過ぎない。本で言ったらまだ表紙すら捲っていないのだ。


 さて、いいところだが一度もう少し前の話をしようと思う。
 2019年の12月のイベントとしてはもう一つ忘れられない思い出がある。修学旅行だ。勿論京都での微笑ましい思い出などではない。
 名前を伏せている意味はあるのだろうか? ともあれ推しは2.5次元作品にも出演するタイプの役者である。じゃあ2.5次元俳優かと聞かれると何とも明言しにくいのだが、まあそこはいい。おいておこう。長くなる。
 私の性癖の根幹を築いたと言っても過言ではないとあるアニメ作品と、とあるゲームのコラボが発表された。このゲームとは推しが出演する2.5次元舞台の原作だ。確か12日くらいに発表されていたと思う。私はこのアニメ作品がえげつなく好きだったから、その場でコラボ先のゲームをインストールした。奈良だかなんだかの道のど真ん中だったのを覚えている。ちなみに鹿せんべいはあんま美味しくなかった。後から聞いたけど人の食べるものじゃないらしいですね。
 ……ここまではいい。よくある話だ。(※鹿せんべいの話ではない)
なんだかんだゲームが肌に合わず結局断念する。それがいつもの流れだ……
と 思 っ て い た 。
 甘かった。私の周りにはツイッターだろうが現実だろうがヤベーオタクしかいないのだ。コラボ先のゲームのオタクがいた。真横に。本当に真横にいた。ていうか正面にもいた。オタク、多すぎんか?
 修学旅行からの帰りの新幹線(13日)で前と横からゲームの布教を全身で浴びせられる人間がそうそういるだろうか。なんならアイツ、担任の先生にまで布教していた。頭のネジが飛んでいると思う。
 ちなみにこの布教の段階で「えっちやな……」と思うお兄さんがいた。もうお分かりだろう、推しが舞台で演じている役だ。だが推しを演じた役者なら誰彼構わず推すような尻軽オタクと思われては困る。尻がデカいんだ。舐めるな。私だってスリムボディになりたい。
 そして、だ。京都で購入した木刀2本を担いで帰宅した私だが、尻がデカいのでインストールしただけのゲームにはノータッチだった。えっちなお兄さんでホイホイ釣られるような尻ではなかったからだ。
 だが頭のネジが飛んだオタクにブレーキはない。14日、長旅の疲れを癒すためにぼーっとしていた私に悪魔の通知が届いた。LINEだ。嫌な予感がした。あの時の冷や汗を私は生涯忘れられないだろう。
「例のゲームちゃんとやってる?」
 バ カ ク ソ ! !
 ここまで追い詰められてゲームを始めない程私の尻はデカくはなかった。
 そして沼落ち競技世界大会はここから既に始まっていたらしい。
 私がゲームを始めた日付は12月14日。だが翌日15日にはもう例のえっちなお兄さんへのセクハラツイートが始まっていた。一部引用しよう。


・「えっちなお兄さん(仮名)の足の長さを改めて思い知った私『性暴力だろ……』」
・「存在が公然わいせつ罪」

 ……変態じゃ!! 逮捕せい!!(ノブ)
 これを見ていた友人はどんな気持ちだっただろう。なぜブクマされたんだろう。定期的にいいねを押し直してくるのはなんでだろう。

 そして、だ。その日がやってくる。
 12月17日。朝7時45分。
 頭のネジの飛んだ友人は遂に“その話”をする。
 ──舞台の、話だ。
 登校した私にそいつは舞台のサイトを見せてきた。
 この際だからはっきり言うが、正直私は当時2.5次元作品への酷い偏見があった。声優オタクをしていたからというのもあるかもしれないが、かなりの食わず嫌いをしていた。
 やんわり断ろうかと思っていた私の目に刹那、えっちなお兄さんが飛び込んできた。ヤバかった。本当にもう、頭を鉄筋コンクリートでボコボコに強打された方がまだ無事だったと思う。ゲームの画面で見ていたえっちなお兄さんは存在していた。厚みがあった。美しかった。本人だった。生きていた。トんだ。
 丁度その翌年、つまり2020年にその作品は公演が行われることが決定していた。
 勿論行かないという選択肢はない。
 ……だが時すでに遅し。
 もう全てのチケットは完売していたのだ。
 しかし諦めないのが私だった。もう私も頭のネジの飛んだオタクの一員だったのだ。ブレーキはない。止まらぬ暴走機関車こと私と友人は完全に正気を失っていた。
 ほぼ毎日徹夜でツイッターに張り付き譲渡希望を検索する日々。地獄だった。だが学生という不自由な身。平日のチケットを狙えるはずもなく、惨敗は目に見えていた。
 負けがわかっていても一縷の希望に縋る私たちは人生最大の狂気を身に纏っていた。
 当時の我々の発言のまとめがある。

・「お席がないなら奪えばいいじゃない」
・「つらいことがあっても舞台があると思えば頑張れる」
・「うんうん、チケットがなくても舞台があるって思えばね」

 狂気である。そしてブレーキのないオタクの狂気は加速していく。
 チケットもないのに、往復の夜行バスを取ったのだ。正気ではない。
 そして2月22日、2人して軽い尻をバスの座席に乗せたのだ。荷物は、財布だけだった。(案の定チケットは無理だったので)
 わけもわからず物販だけ並んで買った。推しと同じ床を踏んだ喜びを感じるためだけに東京に行ったのである。意味がわからない。
「推しと関節足の裏キッスじゃん」
 これは物販会場で正気を捨てたオタク、つまり私の発言だ。
 同じ床踏んだしいっか、で落ち着いた我々はマジでネジが飛んでいた。
 ちなみにそのあとは何だかんだディズニーではしゃいだのでよしとしよう。
 余談だが私はこの385日後、因縁の物販会場で推し出演の舞台を遂に観ることになるのだが、そんな先の話はこの時の私には知る由もない。

 ここまでの話を本に例えるとするなら表紙裏の作者の自己紹介的なやつのところだ。私の話は長い。痔になるんじゃないぞ。時々休憩も挟みながらお読みください。
 
 ↓著者近影(推しと同じ床を踏んだ後ディズニーで撮ったもの)(完全に不審者である)

著者近影


 実は私はチケット探しと冬休み課題と期末テストと部活の作品〆切とコラボイベントを走るのに必死だったのもあり、えっちなお兄さんと役者である推しを同一視していた。率直に言って解釈を深める暇がなかった。
 だがある日異変が起こる。
 例の2.5次元作品のラジオを聴いていた私はある日突然気が触れる。気が触れまくりでゲシュタルト崩壊しそうが、ラジオでも気が触れたのだ。
Q.なぜ気が触れたんですか?
A.死ぬほど好きな声の人がいたからです。
 そう。めっちゃ好きな声の人がいた。だが複数人で会話をするラジオ。この“癖(へき)”すぎる声の主が誰なのかわかるまでに少し時間を要した。2時間半ほど。
 そして突き止めた声の主。それは、推しだった。泣いた。産声を上げた。運命か、と。
 これが、「えっちなお兄さんを演じてる人」ではなく推しを「人間」として見て、興味を持ち始めたきっかけである。


 ではここで少し、誰にも伝わらなくていいから推しの声について語らせてほしい。
 まず、声の色について。皆さんの推しの声へのイメージは何色だろうか? 私の場合は青色である。澄んでいるわけでも濁っているわけでもない、少しくすんだ青色。お芝居をしている時やアルコールが入っている時、気分などによって細かい色合いは変わるのだが、全体的に青色の素敵な声だ。
 次に、立体的なイメージ。(立体的なイメージ??)これは本当に伝わらないと思う。でも言う。推しの声は、金属の棒があって、その周りをカバーが覆っているような感じだ。このカバーは内側の、つまり金属側だけざらざらした手触りをしている。ちなみにお芝居によっては中の金属の棒が超あっつくなったりもする……。
 声の話はここまで。誰にも伝わらんので。


 ラジオで遂に推しに興味を持ち始めた私。ここからの狂いについても書いていきたいのだが、書けない。やむにやまれぬ理由がある。聞いてほしい。
 ……覚えていないのだ。2月末の私の動向だけは本当に記憶にも記録にもない。ラジオを延々と聴いていたのだろうか。推しの過去作品のゲネを漁っていたような気もする。空前のスピードで沼に一直線で落ち始めたと思えば突然消息を絶った私を、周りの人間はどう思っただろう。きっと手を叩いて笑っていたのだろうと思う。
 そんなこんなしているうちに推しにも大きな動きがあった。既存のファンクラブとは別に新しいコミュニティを作るのだと。配信を行ったり、金額が高い方の会員とは1対1でDMをするのだと。
 ………………ハ????
 この情報解禁を見たのは友人(ネジが飛んでるアイツではない)とラーメンを食っている時だった。醬油ラーメンだった。人間の食い物は美味い。
 スマホから顔を上げた私の第一声。
「どっちのプランがいいと思う?」
 お忘れではなかろうか。私はブレーキのない暴走機関車。会員にならないという選択肢はハナからなかった。
 そして友人のアドバイスはこう。
「安い方がいいんじゃないかな。まだ学生だし」
 理性的だった。私の人生のブレーキはお前だ。止めてくれてありがt……
「あ、でも待って。私が私の推しとDMできるならそっちやるわ」
 こいつにもブレーキはなかった。
 止まり方を知らないオタクは重力に身を任せ沼に全力で飛び込むのみ。
 親に泣きながら頼み込みクレジットカードを借り毎月の小遣いを削る……。恐ろしいことにここまでの行動に躊躇いなどなかった。私の尻はとんでもなく軽かったらしい。


 そしてこの推しのコミュニティが本格的に始動すると私の人生もどんどん本来の道から外れていった。
 少年よ、大志はいいから推しを推せ。沼の中で呼吸できるようになれば沼から顔を出す必要なんてないのだ。


 推しの配信一回一回にクソ長感想を書きたい気持ちもまやまや(やまやま)なのだが、本当にこれを始めると私の話より先に宇宙が終わるので割愛させていただく。無念。
 だが配信が行われるたびに頭のネジの飛んでいる身内だけの鍵垢で大暴れしていたことは信じてほしい。
 推しがひとたび「皆たまに俺のおでこ見たがるけどここに何があんの?」と問えば「夢。」と即答し、推しがひとたびさけるチーズをちびちびと割けば「これが“愛”か……」と理解を得、推しがひとたび湿気で髪をくねらせれば遺伝子に乾杯をする。こんなことは初めての経験だった。勿論ここまでの人生も全力でオタクを遂行していたわけだが、それでも推しの一挙一動にいちいち咽び泣くようなことはなかった。
 そして、だ。割愛すると言ったからには割愛するのだが、控えめに言ってここからの私の私生活は地獄だった。受験生になり課題やなんかその他諸々に追い込まれる日々。それを耐え抜くために頼るのは親でも友達でもなく推しだった。本当に気が狂っていたので毎日の通学方法を見直しお金を節約し、そうして手に入れたのは推しの愛用する香水だった。そしてタオルにその香水をつけ推しのブロマイド入りの写真立てを包んで持ち歩く生活。イカレている。部室で一人、推しのブロマイドに微笑みかけている瞬間を友達に目撃された時は舌を噛み切って死ぬことも考えた。人って本当にパニックになると「ご、誤解だ!!」って言うんだなあ……
 更にはリア垢で推しの話をしすぎて、垢を監視していた担任の先生にも推しの存在を認知される始末。面接練習で口を滑らせて推しの名前を出してしまったのに担任に何も聞かれなかったという事件もあった。担任、オタクからの被害に遭いすぎではないだろうか。彼氏と幸せにお過ごしください。
 私は本当に割愛する気があるのだろうか? まあいい。続けよう。
 この受験期にも沼落ち競技世界大会は続いていた。あまりにも長期な大会なのだ。沼には底がないのだから、しゃーなし。
私は文学研究部という部──まあつまり文芸部なのだが──に所属していた。夏のコンクールの戯曲部門には推しとそのオタク(私とフォロワー)をモデルにした作品を出したりもした。講評の先生に「僕もイカレた創作者には散々会ってきたけど君はかなり頭がおかしいと思う(意訳)」と言われてウケたのも懐かしい話である。
 正気を捨てた私の暴走シリーズはまだまだある。伊達に推しに狂わされてはいない。
 これは私一人の犯行ではなくフォロワー数名との共謀なので情状酌量を求めるのだが、推しに狂うオタクの発言語録をタオルにして推し本人に送り付けた。ちょっと理解が難しいかもしれないが言葉通りだ。残念ながら叙述トリックなどはない。推し、料理するし、エプロンとかタオルも必要かな~、みたいな……。ね…………?


例の2.5次元作品の配信を観るために尻の軽い友人(※痔を患っている)と学校帰りに映画館に全力ダッシュしたりお泊り会をして夜通し語ったりしつつも迎えた大学の推薦入試当日。両ポケットには推しのブロマイド、志望理由書には「舞台演劇」の文字。完璧だった。1on1のDMでは推し本人からの応援の言葉もいただいていたしもうフル装備。そこにはほんの僅かな隙もなく、あるのは“好き”だけだった……。(座布団500枚)
合格発表の日の朝、情緒を保つために始発で学校に行き暗い部室で推しのオンラインFC旅行の円盤を観ていたら友人にAVを観ていると誤解されたりもした。ひどい。
そして正直、大学合格は推しと舞台演劇への愛で奪い取ったようなものだと思っている。合格を伝えた時先生に「なんで受かったんだろうね……」と言われたからマジでそういうことなのだろう。面接で舞台演劇のことを聞かれてる時物理的にスゲー前のめりだった自覚もあるのだ。合格の決め手はどう考えても(推しへの)熱量である。ありがとう、推し。そして「舞台演劇ィ? 何よそれ」状態だった私を、ほぼ毎日舞台の話をするヤバオタクにしてくれたこと、心の底から感謝しかない。今とても人生が楽しい。

しかし皆さん、お忘れでなかろうか。この時の私は生で舞台を観た経験がガチでミリもないのである。一体何をもって舞台について語っていたのだろう。これを狂気と呼ばずして何と呼ぶか。

…………だが合格発表の2日後の2020年12月9日、ここで遂にチャンスが訪れる。
「受験」というクソデカ問題が解決された私に、全神仏からの奇跡の情報が与えられたのだ。
2021年3月の推しの舞台出演の情報だった。興奮した。とんでもなく興奮した。0時に情報が発表されると、頭のネジが飛んでいる友達LINEグループで1人で大騒ぎを始めていた。「金がない。もうチャリで東京行って舞台観るしかねえ」という発言もある。落ち着いてくれ。3月っつったらクソド田舎である地元は雪だ。落ち着いてくれ。1年近く経っても私にブレーキは搭載されなかった。
まあ私はかなり生活を切り詰めることで何とか1回分のチケット代と現場への往復代をかき集めることに成功した。そして全ての運気を注ぎ込むつもりで応募した先行抽選。否応なく脳裏をよぎるチケットなしの東京ツアー……。比喩ではなく毎晩震えて眠っていた。推し愛用の香水の香りに包まれないと安眠できない身体になったのはこの頃だ。そして12月24日16時40分、メールが届いた。

当選


!?!?!!?!?!?

!!!!!!!!!!!!!!!!!

当たった…………!!!!!!!!!!!!!!!!


当たっていた。泣いて喜んだ。この「泣いて喜んだ」を泣いていない時にも使う人間、私に謝罪しろ。私は泣いたぞ。学校帰りの電車でずっと鼻をすすっていた。


この後は共通テスト対策とかに追われあまり推しへの狂気行動はしていないので今度こそ割愛する。(推薦で合格してるのに共テ受けるのってダルいですよね)(いや、ちゃんとやったけども)
それから何やかんやあって2021年の2月6日。この日は3月の舞台の座席がわかる日だった。先行だから結構いい感じの席でしょ多分……! と思っていた私のスマホに表示された電子チケットの画面を見ていただきたい。

座席

────?

どういうこと?

この時の私は本気で「舞台の座席って後ろからカウントしていくシステムなのかな?」と思った。いや、ヤバいだろうこれは。1年だぞ。1年ずっと東京から遠く離れた地で推しを想い拗らせ続けてきたんだぞ。
帰りのバス要らねえんじゃ、とも考えた。現地で絶命する可能性があったからだ。
しにたくない。うそ。はやくころして……。


2月14日。
バレンタインである。
実のところ、私は本来3月ではなく2月に推しの舞台を観られるはずだった。だが今のこの情勢、コロナウイルスのアレで行く予定だった日の公演がパアになっていたのだ。しかし福利厚生がエグすぎることで有名な推し&推しの所属事務所はバレンタインイベントと銘打ってFC会員の希望者に野口数名(=実質無料)で1on1、2分間推しと喋れる機会を与えてくださっていたのだ。神すぎる。アーメン。
余談だがこの途中で公演中止になってしまったミュージカル舞台のチケットは大学の合格が決まる前に申し込み手に入れていた。あまりにも狂気。圧倒的暴走機関車。尻が軽すぎる。
さて、勢いで申し込んだはいいものの、推しと2分話せるとか正気か? ただの人間にそんなことができるのか? 私は詳しくないからわからんが普通は推しと2分話そうと思ったらCDとかわけわからんほど積むものじゃないのか。いいのか野口で。の、野口が推しと等価交換なわけないだろ……!?!? まさか身体持ってかれるんか……!?!?
 画面の向こうに推しを120秒も錬成するということの対価に怯えているうちに幕を上げたバレンタインイベントという名の戦。次々と旅立っていくフォロワーを見送っていると胸にくるものがあった。敬礼してから背を向け戦場に旅立つ息子の姿が重なったのである。勿論幻覚である。
 ……1年かけて強火でゆっくり熟成させた推しへのクソデカ感情を抱えているにしては大健闘だったと思う。大健闘スマッシュブラザーズだ。
 「大学合格おめでとう!」のお言葉を賜り、それ以外にも何かいろいろお話させていただくことができたのだ。マジで頑張った。本人の前で泣きかけた。しかも推しのかわいさを全身で、リアルタイムで浴びれたわけで。ああ、今日が命日か、いい人生だったな、と孫の頭を撫でるしか私にはできることがなかった。

 そしていずれ私は知ることになる。身体どころか魂も人生も全て推しという真理に持ってかれていたのだと。


 来る2021年3月14日。
 完全に奇跡だが先のバレンタインイベントから1か月、つまりホワイトデーだった。運命。そしてあの因縁の2020年2月23日から385日である。1年待ち望んだ、推しの舞台!!
 念のため言っておくが私はこの日までの2週間、卒業式以外の用事で家から出なかった。褒めてくれ。全ては万全の状態で推しの舞台を観、完走の邪魔にならないため……!
 舞台の感想については別のところに書いてあるから気になる人はそれを読んでほしい。そしてあわよくば11月に発売のこの作品の円盤も購入してほしい。後悔は100%させないので。
 内容については置いておくとして、推しのお芝居を最前列(最前列……!!!!)で浴びた感想を聞いてほしい。
 私は観劇直前、席に座ってから「推しの滴る汗の一粒一粒まで見えそう」とツイートしているが、結論から言って本当に見えた。割と冗談のつもりでツイートしていたが本当に照明に照らされてきらきらと輝く汗──いや、汗なんて呼び方では現わせない。あれは、そう……。そう、あれは、“推しの魂の呼吸によって生まれた生命の輝き”だった。推しの輝く魂の放つ煌めきの一部。舞台の上で燃える推しの生命。推しはすぐそこで、燃える魂でもって別人として生きていた。立ち上がって少し手を伸ばせば届きそうな近くで、推しは推しでない人になっていたのだ。
 私は「浴びた」と書いたが、本当に浴びるように推しの魂の輝きと舞台演劇という生き物の鼓動を全身に感じていた。
 舞台を観ている最中、私は恥ずかしながらずっと泣いていた。たいして長くも生きていないが、それでもあんなに全ての光が痛いほど眩しくて、全ての音が心臓にまで届いて、心が一気に満たされたことはなかった。
 1年間ずっと待っていたからなのか、最前列で観たからなのか、この作品がすごかったのか、舞台演劇の力なのかはわからないが、この瞬間取り返しがつかない程に人生が変わった。
 生で観たら何かすごい変わるのかな、と1年漠然と思っていた。でもそんな予想を簡単に超えるくらい強い力で思い切り殴られたみたいだった。
 劇場を出たあともしばらくぼーっとしていた。すごいものを知ってしまった、と思って、何も考えられなかった。
 完全に脳が死んでいる私のツイートを見てほしい。

人生

 なんかよくわからんがとんでもない事になっていそうなことが伺えるツイートではなかろうか。
 あとすげーどうでもいい話をするが推し(の演じている役)が客席を見るシーン、結構あったし最前だったからちゃんと顔を見るチャンスだったと思うのだがマジでチキンハートすぎて駄目だった。駄目だった…………。でも足の指はめっちゃ見た……。凝視した……。顔よりも足の指のほうが見てたかもしれない……。ゥギ……後悔…………。なんかでも……こっち、見てた気がする…………。目逸らしちゃったけど……。ここにきて1年育てたクソデカ感情が邪魔をするとは……。いや普通に謎の照れに襲われただけなんですけど……………。

 観劇後はフォロワーの方々と話したりしてそれ込みで本当に楽しかった。
 推しだけじゃなくて推しを推す仲間と話すのもメチャメチャ楽しいってヤバすぎないだろうか。恵まれすぎじゃないか? もう他の人推せないよ゛゛


 で、帰ってきてからの私の考えを聞いてくれ。

 舞 台 に 関 わ る 仕 事 に 就 き た い 。

手遅れ。完全に人生が変わっている。もう救いようはない。人って1年とちょっとでこんなに変わるものなんでしょうか。
一応説明しておくがこれは「推しにお近づきになりたい」的な意味ではない。
だって、舞台演劇ってとんでもなくないか。ドラマとか映画はさ、完成してるじゃん。完璧にできあがったものを観に行くわけじゃん。でも舞台は観客がいて、役者がいて、沢山の舞台装置の中で皆でその場で作り上げていくものじゃん。とても惹かれる。すごく素敵だと思う。観た人の人生を変えるくらいの力を持ってる。
超簡単に言うと「私も人の人生狂わせるようなもの作りた~い!」ということだ。
でもそっちの作る側に行ってしまったらただの客として舞台を楽しめなくなるのかな……。それは嫌だな……うおお…………。


 ちょっと気分転換に推しのお芝居についてちょっと書こうと思う。
 私は推しの演技が好きだ。
 知ったきっかけが2.5次元作品だからまずはそこから話すが、声のお芝居が好きだ。原作のキャラクターの方はどちらかというと高めの声だが推しが3次元に出力すると声がドッッッ低くなる。推しの素の声が低いからとかではないのだ。配信の時、1回その役の声を出して改めて「声ひっくw」と自分で言っていた。これの意味するところが伝わっているだろうか。「原作のキャラクターの声は高めだから俺も舞台で意識して声高めにしよう」とならないということは、原作に“寄せる”わけじゃなくて、舞台ならではの、推しが演じるからこその個性が生まれるということだ。これがたまらん。
 原作キャラが細身でも、推しは弾力ある筋肉を持つ分厚い男だ。必ずしも原作とイコールである必要はない。そこに愛があればオタクは何だかんだそれが一番なのだ。
 推しは演じている役と自分を同じだと思っていないところも好きだ。役にできても自分にはできない、みたいなものがある。好きだ。あんたが演じてんだからもう少しくらい私物化したって誰も文句言わんのに……とすら思うがここが推しの推せるところなのだ。ラブ。
 推しが演じるとどんな役にも人間味が生まれるのも最高に最高だと思う。矛盾の有無が人間とそうじゃないものの違いだと思っている私からすると、推しはこの矛盾を作り出すのがアホみてえに上手いのではないかと予想している。どんな役でもストーリーを展開させるための舞台装置にはしない。人を演じるのが爆裂に上手い推し……。細胞に効くぜ……。
 ブレーキがないから本当に永久にこの話題で書ける。誰もおれを止めることなんかできねえ!!(誰かおれを止めてくれ!!)
 推しのちょけてるシーンのお芝居が、好 き だ ~ ! !
 本当に生き生きとしてるから……。地獄みたいな激重の苦しい作品出てた時も楽しいって言ってはいたけどやっぱり推しの楽しそうな顔を見るとオタクはハッピーになるから好きだ。こういうシーンの推しの目が好きだ。目の形が。マジ愛おしい。

 駄目だ。申し訳ない。推しの話は本当にキリがない。別のところでやることにする。
 関係ない話だが私と東京に行った方のネジ飛び友人が「生存本能かのように推しを見つけ出したお前」と言っていたが生存本能……メチャクチャしっくりくる。そうか……私が推しに狂っているのは生存本能なのか、なるほど。確かにそう。私の魂が推しの燃える魂を求めてた。ハア……運命。生存本能。愛。一生ついていく。


 まだまだ続くぜ。4月の舞台の話をしよう。
 金銭的なアレと大学での予定がわからなかったため現地での観劇は断念したのだがこの舞台もとんでもなかった。配信をしてくれたことに感謝しかない。この作品を知ることなく生きていくことにならなくてよかったと心底思う。
 この舞台が先ほどの激重の苦しい作品だ。これも感想は別のところに書いたので内容の話は飛ばそう。
 では何の話をするかというと、舞台の持つ力の話。
 3月に観た舞台はコメディ作品で、これは超のつくシリアス。いやいやいやいや、舞台初心者な私を殺す気か? もっと優しく少しずつ接種させてくれよ……! これ以上私の人生を変えようって言うのか?
 はい。変わった。
 いや本当に。舞台演劇ってすごい。こんな世界があるのだってことを知れてよかった。
 訴えかけられる舞台だったけれど、その訴えそのものははっきりとは示されなかった。観た人の心に残ったものがその人に対する訴えなんだと思う。胸倉を掴まれて大声で叫ばれているような感覚だった。本当に苦しくて、正面からあんな熱量のものを叩きつけられたら逃げられない。
 幸せで満たすこともあれば逃れられない苦しさを味わわせることもできるのか、舞台って。
 勢いだけでここまで来た感じもあったが、この2つの舞台作品を通して完全に戻れないところまで来てしまったのだと思う。どうしてくれるんだ本当に。18年間真面目に堅実に生きてきた人間になんてもん与えてんだ。いいのか? いいのか? 今までのいい子ちゃんな成績も印象も全部捨ててそっち側に行ってもいいのか? ア?


 ここで報告。
 大学では演劇部とミュージカルサークルに入部しました。
 ……手遅れだよ!!
 いや手遅れかはわからんが確実に推しにおかしくされてるよ勘弁してくれ。
 えんげきってたのしい。
 やめてくれ!! 私をこれ以上どうしたいんだ。
 違う……違うんだ……こんな、こんなはずじゃ…………。



 人生ってわかんないね~!!!!!!!!!!!!
 以上!! 推しに人生を変えられた話でした!!


 皆さんもどんどん推しに人生を変えられていきましょう!!!!
 




 p.s.推しの名前は藤田玲さんという役者さんである!!!!!!!
  いやここまで伏せてた意味~!!!!!!!!!!!!!!!

もしよろしければサポートよろしくお願いしま~す!