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無理に働かない思想

小学6年生の頃に歴史が好きになり、将来は歴史学者になりたいと思った。高校生になると関心が宗教に移り、聖職者に憧れた。

大学では仏教学科に入ったものの、自分が求めているものではなかった。専攻を西洋哲学に変えたが、卒業論文を書き進めていくうちに関心を失った。

大学4年の冬、合同企業説明会に行った。多種多様な企業のブースを訪れ、話を聞いた。どの会社にも興味を持つことができなかった。進路未定のまま卒業した。

大学を卒業するまでに、様々なアルバイトをした。コンビニ店員、郵便配達、清掃、皿洗い、倉庫作業……。いずれも苦しかった。ひたすら我慢、我慢の世界だった。

実家暮らしで、親もまだ働いている。だから私は働かなくても生きられる。一切働かずに暮らそうとも思った。

しかし両親は私に、月3万円払うことを求めた。私は月に3万円だけ、アルバイトをして稼ぐ暮らしを始めた。

その約束も次第にうやむやになっていった。そして今に至る。

***

就職せずに大学を卒業すると決めた時、老荘思想が頭にあった。老子は「上善は水の如し」と説く。水のように生きることが最善であるという教えだ。

人はとかく高みを目指す。自然に抗い、低いところから高いところに登っていく。しかし、どんなに登っても、決して天にはたどり着けない。

水は高いところから低いところに流れる。それは川となり、大海原に注ぐ。私たちはあえて何かをする必要はない。ただ身をまかせていればいい。自然はあなたを大いなる場所へと連れていく。

***

いずれ何かがこちらにやってくる。その何かが私を動かす。

それが幸せなことである保証はない。たとえばこの先、親が介護なしに生きられなくなったら、私は何らかの行動を起こさざるを得ない。選択肢はいくつかある。自分で介護する、施設に入居させる、逃亡する等々。

いずれにしても傍観は許されない。「いずれ何かがこちらにやってくる。その何かが私を動かす」というのはこういうことだ。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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