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精神科閉鎖病棟に入院した15歳少女のノンフィクション物語2

私は今15歳だ。小学生の頃から一緒に学校生活を送っていた周りのみんなは普通に毎日学校へ通っている中学3年生。つまり受験生だ。
そんな中、私はというと中学2年生14歳の8月24日から学校へ通わなくなった。これまで騙し騙し全てを上手くこなしてきた日常が一気に壊れた。

14歳の私は夏休み開けから1週間ほど経った8月24日に橋から飛び降りようと飛び降り自殺未遂をした。どうやって橋まで行ったのか記憶がなく気がついたら靴を脱いで橋の安全柵を乗り越えて僅かな隙間に素足をのせ立っていた。そこで私の意識は引き戻され目の前の景色に驚いた。つい先程まで学校から帰宅し自宅で家庭学習に取り組んでいたではないか。それなのに何故こんなところに?私の頭の中は混乱していた。だが1分も経たないうちに自分の足元を見て納得した。「あぁそうだ。死にに来たんだ」どうやってここまで来たのかなんてどうでもいい死のう。そう思い目を瞑り1歩踏み出した。
あれ?おかしいと思った時には遅かった。
私の身体は見ず知らずの2人の男性の手によって持ち上げられているではないか。私が上手く状況を把握出来ないでいる間に安全柵の外側から内側へといとも簡単に抱き上げられ引き戻された。それからは淡々とことが進んだ。2人の男性の片方が警察へと連絡し駆け付けた警察管が私をパトカーに乗せ警察署へと連れて行った。婦警さんに色々なこと質問された。私は得意の笑顔を作り、頷くか首を振るかで応答した。婦警さんはなんにも話さない私に困り果て何も質問しなくなった。私の両親が来るまでただ沈黙のまま一緒に待つことになった。両親が到着すると婦警さんは精神科の病院へ今からすぐに受診するよう両親に言った。何を隠そうこの婦警さんにお世話になるのは2回目なのだ。1回目は中学1年の13歳、冬に川に入り入水自殺を図ろうとした時だ。そのこともあり婦警さんは「今回こういうことが2回目なので病院には電話をしたから今からすぐに精神科へ受診してください」と両親に話をしていた。その間も私は笑顔を保ち続けた。
警察署を後にし、母親と私は指定された精神科専門の病院へと向かった。時刻は夜9時をまわっていた。医師の前でも私は笑顔を保ち続け声を発さなかった。母親が時折涙で声を詰まらせながら医師に聞かれた最近の私の様子やどういう幼少期を過していたのかなどの質問に答えているのを何処か他人事のように聞いていた。その日は夜も遅かったため薬の処方だけで家に帰された。次の受診の日に私の自傷行為(所謂リストカット)も切迫しているという医師の判断で14歳にして精神科の保護室へ医療保護入院という形で閉じ込められた。この時の私は15歳の私よりも考えが甘く空っぽだった。すぐに退院してまたいつもの笑顔の仮面をつけ誰にでも優しく賢い周りから望まれる理想の姿をした自分に戻れるんだと思っていた。そう信じて疑わなかった。
薄暗い保護室、ここから出たのは入院してから7日経った頃で児童精神科病棟へ移った。
病室に案内してくれた看護師さんに私が頭を下げると看護師さんは病室を後にしたこの病棟には私以外の患者は1人だけだった。聞こえてくる叫び声、ものすごいガタンガタンという何らかの音。その音の正体を私は病棟の廊下にでて目にした光景で知ることとなった。私より少し年上くらいの1人の少女が太いベルトで両手足、お腹の辺りをベッドに縛り付けられて自由のきかないはずの体を力いっぱいに揺すり叫んでいたのだ。ガタンガタンという音の正体は少女がベッドの上で力いっぱいに体を揺すったことでベッド柵と少女の身体を拘束しているベルトとが引っ張りあって生じた音だとわかった。
私もこの少女のようにされてしまうのだろうか?自我を失ったように1日中泣き叫び暴れるのだろうか?不安と恐怖に押しつぶされそうだった。その夜私は着替えをしまっていたバッグの紐で首を吊ろうと試みた。意識が朦朧としてきた中に男の看護師さんが来て私の首に巻きついたバッグの紐を緩め回収し、無理やり私に睡眠薬を飲ませ眠らさせた。

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