フリーライター絶望論:歴史から紐解く
かつて、フリーライターとは主に雑誌のライターのことだった。媒体も限られ、ライターも少数先鋭に限られていた。
ネットの普及に伴い、ネットメディアやニュースサイトが出てきて、ネットを主戦場とするフリーライターが登場した。
自分もその頃、ライターとして参入し、幸運にも複数のネットメディアで署名記事を書く機会を得た。
その繋がりから紙の書籍も数冊出版することができた。
時代は流れ、10年近く前から企業がオウンドメディアやSEOメディアなどを始め、記事を書くライターの需要が高まった。
その頃に登場したのがクラウドソーシングサービスであり、安価で記事を集める方法として普及した。
クラウドソーシングを主な戦場とするライター、いわゆるWebライターが爆発的に増えた。
フリーライターの歴史的変遷を個人的主観で振り返ると、そんな感じだ。
クラウドソーシングによって名もなきライターが爆発的に増加し、供給過多になった結果、記事の単価は大幅に低下した。
それはクラウドソーシング以外で活動するライターにも波及し、原稿料を押し下げる、あるいは原稿料アップを抑制する影響を与えたと思う。
フリーライターと言っても、小遣い稼ぎのWebライターから一線級のライターまで様々だが、このような背景により、大部分のフリーライターはギリギリ食べていけるか、食べていけないかというような状況だ。
また、フリーライターは将来も暗い。
50代、60代になっても現役で残り続けているライターはごくわずかである。
彼らであっても、体力面の衰えから取材の第一線を退き、テレビ出演や講演会、コンサルなどで安定的な収入を得ている状況だ。
書く仕事はメインではなく、実質的に、もはやライターではない。
フリーライターを何年か続けた後で一般企業に就職するのも難しい。
クラウドソーシングで記事を集められる時代に、わざわざライターを社員として雇う会社などない。
編集者やディレクターなどであれば求人もあるかもしれないが、それも若い時に限られたチャンスである。
続けるも地獄、やめるも地獄というのがフリーライターの実情だ。
文章を書くことは趣味でもできる。
書くことが好きで得意だからといって、本当にフリーライターを目指すべきなのかは大いに疑問だ。
相当な覚悟と自信がない限り、フリーライターの世界に飛び込むべきではないだろう。
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