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学習理論備忘録(13) トラウマは診察室で蘇るんじゃない、現場で蘇るんだ

さまざまな表情を描いたポスターを壁に貼り、娘に感情について学んでもらっている。だが、ポスターの顔とそこに書かれた感情の言葉の組み合わせは、ちょっと微妙なものがある。娘がまだ充分に文字が読めないのはちょうど良かった。表情から自分で感情を類推して遊んでもらおう。


さて、私のスマホには娘だけでなく、少しは妻の映った写真も入っている。娘同様、私も日々妻の表情を学ぶのを怠るわけにはいかない。ただ、学習しようなどと思わなくとも、その表情如何で自動的に震えや緊張が走る。It's automatic である。
おかげで妻が怒り出す前に恐怖を覚え、力が入り、心臓が高鳴ることにより、体が逃走に備えるようになる。夫検定2級レベルである(ちなみに1級は、玄関に入った瞬間に天ぷら油の音で妻の機嫌が判る)。


さて前回は、「文脈もまた条件刺激になる」という話をした。他人の顔色や、部屋の雰囲気、実験動物ならば実験装置などといったものが、よだれを出させたり、恐怖を呼び起こしたりする刺激になっている、というものだ


だが文脈というのはもう少し複雑な働きをする。


これを確かめる実験を動物でする場合、動物の ” 恐怖 ” をどう把握するのか、ということに触れておこう。動物は「怖かった」とは喋ってくれない。

そこで利用するのは、「抑制」という現象である。例えば私は目の前に妻の不機嫌な顔があると、今このように原稿を打っている速度が自ずと遅くなってしまうだろう。これは恐怖のなせるわざである。私は「妻が怖い」などと口にしなくても、手が勝手に遅くなったり、ひどくなると固まったりするのである。


「抑制」などと専門用語を名づけてはいるが、常識的に理解できる話である。小説などでも「吟遊は恐怖した」などと書くよりは「吟遊は、手が止まった」と書くほうが深みが増す。我々は恐怖の影響をよく知っている。


この「抑制」を利用して、動物の電気ショックの影響を知ることができる。


音が電気ショックとの対呈示によって恐怖の条件づけがされていても、音だけを鳴らし電気ショックを流すのをやめると、音だけで恐怖することはなくなる。これが「消去」である。


ところが、これが再び起きてしまうことがある。

ケージの中で電気ショックを受けていたのだったら、ケージの中で消去する必要があるのだ。想像しやすいように人間の例を挙げるが、ショッキングな内容に恐怖しすぎる人は気をつけたほうがよいかもしれない。とりあえず強盗に入られた例にする。

ある通りで強盗に刃物を向けられた。以来、刃物が怖い、とする。

エクスポージャー法という治療ではこういう場合、積極的に刃物に接触させる。刃物は恐怖そのものではない。強盗に襲われたときに脅威があったものだ。だから安全な環境下で刃物に触れることで「消去」ができる。

ただこれを、診察室でやってしまうと、なんとか刃物を克服するようになったとしても、強盗に襲われた通りで刃物を見たときに、また恐怖に見舞われるのだ。

(これをrenewalと言い、ネット上でも色々訳があるようだが、原井先生によれば”リニューアル”がよいだろうということであった)

これを防ぐには、強盗に襲われた通りで刃物を見つづけるようなことをすればよい。(いちおう動物実験レベルの簡単な設定では、どちらの文脈で「消去手続き」をするのも、同じ程度の難易度で可能であった)


例としてあげたのがそのまま臨床の例になってしまった。PTSDの治療をする際、すっかり治ったと思っても起こる再燃は重要な問題となる。文脈というものも込みで考えていく必要がある、ということがポイントであった。


医療者は治療のために、診察室の外に出よう!というお話である。


Ver 1.0 2020/9/14

Ver 1.1 2020/10/23


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