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【短編小説】 あるスペイン人の男 At a Pub in Montreal

 モントリオールに住んでいると、何かの拍子に、まったく面識のない人と同席する機会を得ることがあった。

 その日私が会ったのは、面識がないどころか、顔も名前も知らなければ、そのときどうしてその人がその場にいたのかもわからないほどの、100%の異邦人だった。

 ――そのとき、何という店にいて、ほかに誰と一緒だったのかさえも、私は思い出せない。多分、知っている人と待ち合わせをして、その人が彼を連れてきたか、あるいは私の知人と彼が知り合いで、たまたまその店に居合わせた二人が、やあと言って同席するに至ったのだったか、いまとなっては記憶が非常に曖昧である。
 それは間違いなく15年以内に起きた出来事なのだが、その後色々あって、当時の細かいことを思い出せない……思い出せることと言えば、そのころ深く印象に残ったことか、後悔を生むような嫌な記憶ぐらいだ……いま、私はその記憶をふるい、、、にかけている。

 ――話を元に戻そう。そのとき、私たちはモントリオールのパブ(カフェ?)にいて、私の目の前にはその男性が座っていた。
 その人は、まさに中肉中背といったところの、総白髪の男性だった。あまり若くもなく、かといってそれほど歳を取ってもいなかった。自らスペイン人であると言い、お茶を飲んでいた私たちを後目しりめに、真昼間からよく冷えた白ワインのグラスを注文した。

 目の前に降って湧いたように現れた彼は、気持ちよく喋り続けた。私たちがそれについてどう思うか尋ねることもなく、ただ自分のことだけを途切れることなく長い時間話し続けた。
 多分、日本人とスペイン人とでは、会話のテンポが違うのだろう、もっとずっとあとになって、彼が話の方向性を変え、「ところで君は?」と聞いてくるタイミングが来るのだろう……そう思って私は彼の冗長としか言いようのない与太話(実際、世間話とさえ言えないような類のもので、内容もなければまったくためになる話でもなかった)を努めて笑顔を作りながら延々と聞いていた。

 そのとき、長く待たされていたが、ようやく彼の注文した白ワインのグラスが運ばれてきた。彼は話を止め、嬉しそうにそのグラスを手に取った。
「スペインではね、周りの人は皆ワインの飲み方を知らなかった」
 彼はよく冷えた白ワインの入ったワイングラスの柄の部分を持って言った。
「私は赤ワインを飲むときは、この膨らんだ上の部分も持つ。気にしない。でも、白ワインのときは、必ずここを持つ。皆はわからないけどね……」

 そうしないと、ワインがぬるくなってしまうじゃないか。それじゃあ良くない。白ワインは、冷たくして飲むのがベストなんだからね……。

 私はそのとき、彼のことをちょっと好きになった。

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