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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第4章


 4度目の便りは、それから1ヶ月後に届いた。

 
 お姉さん、お元気でお変わりなく過ごされていることをお祈り申し上げます。僕がこの修道院に入ってから、もうすぐ1年が経とうとしています。僕は元気です。少なくとも、表面上は……。
 相変わらず、祈りの日々を続けています。夜11時30分に起き、自分の房で祈りを捧げ、零時15分には礼拝堂に移ってほかの修道士たちと朝課を行います。午前3時になるまで賛課は続き、僕たちは聖母とともに神をたたえるのです。3時15分になると、それぞれの房に戻り、就寝します。そして6時30分には再び起き、身支度を整えて、7時にPrimeという〝お告げの祈り〟を唱えます。そのあとに、霊的読書レクティオ・ディヴィナを行って、8時から始まるミサの準備をするのです。9時にミサが終わると、礼拝堂からまた房に戻り、聖書による霊的読書です。僕は主にこの時間の半分を使ってお姉さんへの手紙を書いています。10時になると、手紙が途中でも切り上げ、三時課の祈り――Terce――を行います。そのあとは12時まで学習と労働です。僕はだいたいこの時間に、ストーヴにくべるまきを割ったり、夏のあいだには房の外側にある小庭に花や野菜を植えて育てたりしていました――種や苗は頼めば助修士が調達してくれるんですよ。ここの助修士は若いのからかなり年を取った人までいますが、皆とても親切です――。12時になると、作業を止め、〝お告げの祈り〟を唱えます。それから、Sextという六時課の祈り。そして昼食です。それから午後2時のNones、九時課の祈りまでは自由時間で、僕はそのあいだにも余裕があればお姉さんへの手紙を読みなおしたり書き足したりしています。九時課の祈りを終えるとまた、労働と学習です。ここでの生活は時間が細かく分割され、そのあいだにやるべきことが定められています。でもそれを苦痛に感じるようでは、修道生活を続けることはできません。当たり前のことですね。そして僕にとっては、この生活自体は、まったく苦痛ではないのです。ここに定められた生活態度は、その昔、1084年(だったと思うのですが)にこの地に修道会を開いた隠修士たちが、下界の俗世間の雑音から遠く離れて、わずらわされることなく神への祈りの生活を送るために取り決めたものなのです。僕はこの戒律かいりつのすべてを厳しいとも思わず、尊んでいます。この暮らしは僕にとって心安らぐ、言ってみればまるで避難所のようなものです。なぜ僕がそう感じるのか――……失礼、いまは行かなければ。つい時間を忘れて書くことに夢中になってしまいましたが、午後4時です。聖母とともに神を讃える祈りを行う時間です。今日は薪が足りていたので薪割りをせず、労働と学習の時間に手紙を書いていたものですから。

 
 ――戻りました。いまは午後5時30分。礼拝堂での晩課――Vespers――を終え、房に戻って軽い夕食をりながら霊的読書を終えたところです。これからは少し時間があります。〝お告げの祈り〟と就寝前の祈りである終課を行うまでの1時間と少しのあいだを使って、僕は大急ぎでこれらのことを書きましょう。まず、そうだな……。お姉さん、何度も言うようですが、お姉さんは僕にとって大切な人です。おそらく、人生でもっとも大切な……。だからこそ、僕は外界との接触のないこの修道院に入ったのであり、ここから祈ることによってお姉さんを守るのが最善の方法だと判断したのです。多分、僕の言っていることはお姉さんにはよくわからないでしょう。とても複雑なことなのです……。これをお姉さんに伝えるべきか、そうでないかについてはとても悩みました。何よりも、僕自身がショックを受けていましたからね。僕が言いたいのは……。手紙で上手く伝えられるかどうか、正直言って自信がありません。でももし直接伝えるとしたら……お姉さんを目の前にしたら、僕はきっと言葉が出てこないでしょう。でも、ずっとあとになって、もしほかの人の口からお姉さんがそれを聞くとしたら、もっと嫌です。だから僕から伝えます。こうするのが一番いいのです。
 ……どこから始めればいいのか……。それにもずいぶん思い悩みました。でも、やはりここから始めましょう。最初から始めないことには、何もかもが片手落ちになってしまうでしょうから。
 僕たちは、小さいころから一緒に育ちましたね。ものごころついたころから、あの桃ケ丘養護施設で。日常生活のすべてが集団行動で、厳しく管理されていたけれど、お姉さんと一緒だったから、僕は少しも辛くなかった。逆にあの環境だったから僕たちはいつも助け合って、くっついていられたと思うくらいです。徳永先生というのを覚えていますか? とても意地悪だった、あの男の先生です。機嫌が悪いと、何もしないのに僕は叩かれていました。僕は常に反抗的でしたからね。――覚えていますか、お姉さんが大人みたいな綺麗な文字とお役所みたいに完璧な文体で書いた匿名の手紙を、園長先生が受け取った日のことを? ――次の日から徳永先生の姿を見ることはなくなりましたね。僕たちは、抱き締め合って喜んだものです。
 思えば――、あのころの僕たちは、二人して一番パワフルだったのかもしれませんね。どこにいても、どんなことがあっても、いつも一緒にいられた――。一緒にいられれば、どんなことも乗り越えていけた。
 屋敷に移ってからは、少しずつ変わっていきましたね。寝室も別々に分けられ――施設では大部屋に布団を敷いて、皆で一緒に寝ていたのに――、食事のときも、大きなテーブルに離れて座らされたりして。裕人兄さんがいるときほど窮屈きゅうくつではなかったけれど……。あの人とは何しろ話もできないんですものね! 共通の話題が全然ないし。
 成長していくにつれ、僕たちは段々と他人行儀になっていったような気がします。屋敷のなかの空気が……、あの屋敷にいる人たちが、自然とそうなるように仕向けていたというような気が、いまではしています。ある時期から、急に学校の勉強や部活が忙しくなりました。それに加えてお姉さんはピアノやバイオリンの教室に通うようになり、夕食の時間には必ずと言っていいほど家にいませんでした。
 いつしか僕は、自分がこの家で厄介者になっているように感じざるを得なくなりました。家にいる人、家に出入りする人々の僕を見る視線が、やけに気になり始めたのです。ある人は僕をよそ者を見るような排他的な目で見ましたし、いかにも不憫ふびんそうにじっと見つめてくる人がいるのは耐えられませんでした。
 僕を一番そんな目で見ていたのは、お義母様だったかもしれません。そう、ある日突然養護施設に現れて、さらうように僕たち二人をあの広い屋敷に連れていったあの人です。あるとき彼女は僕の手を握り、こう言いました。「あなたのお姉さんはね、裕人ひろと兄さんのお嫁さんになる」……あなたからお姉さんを奪ってしまうみたいな形になるかもしれないけど、どうか受け入れてちょうだいね、お姉さんはこの家の奥様になって幸せな生活を送るのだから。彼女はなおも言いました、あなたは弟でしょ、だったらお姉さんの幸せを願ってあげなければ……。
 いま僕は、再びやるせない気持ちが沸き上がってくるのを抑えられないでいます。ここまで書いてきた文章を読み返してみて、僕のいま身を置いている境遇に似つかわしくない不埒ふらちな衝動が起こりそうになるのを、必死で抑えています。いま僕には祈りが必要です。この暗い情念を拭い去るために、神に許しを乞わねばなりません。祈りを捧げて朝を迎え、きちんと落ち着いてから、改めて書こうと思います。
 

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