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映画『由宇子の天秤』感想 「正しさ」を疑う力作


 この作品を観る直前、前の上映回から出てきた女性がボロ泣きしていて、「ああ、覚悟して観なきゃいけない作品なんだな」と思わされました。映画『由宇子の天秤』感想です。

 ドキュメンタリーディレクターの木下由宇子(瀧内公美)は、3年前の女子高生いじめ自殺事件の取材撮影を続けている。由宇子の妥協せずに真実を追究する姿勢は、学校の責任だけでなく、事件当時の報道メディア批判にも繋がると、局側からは煙たがられていた。それでも、由宇子の取材チームの取材によって、真相を明るみにする映像が揃いつつあった。
 由宇子は取材の傍ら、父親の政志(光石研)が1人で経営する学習塾の手伝いも行っている。ある日、その生徒の小畑萌(河合優実)が授業中に倒れてしまい、萌を介抱した由宇子は、萌が妊娠している事実を知ってしまう。萌を妊娠させた相手が、父親の政志であることを告げられた由宇子は激しく葛藤する…という物語。

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 春本雄二郎さんによる監督・脚本の映画作品。都内での上映は1館のみでのスタートながら、多くの絶賛を集めている話題となっている作品です。もともと、海外映画祭での評判も高いそうですが、そういった評判情報が広まりつつあるようで、自分もその評判を頼りに観てまいりました。上映前には、春本監督ご本人が映画館でチラシを配るなどしており、並々ならぬ想いを感じましたね。

 昨今、ネットやSNSで誰でも発信が可能になったと同時に、自身の意見と同じものを集めることで、自分の中の正しさが肥大化していってしまう傾向にあると感じていますが、そのカウンターとして、「正しさを疑う」という作品が増えているように感じていました。
 本作も、「その正しさとは本当に『正しい』ものなのか?」ということを投げかけてくる系統の作品だと思います。ただ、多くの作品では、作中の人物は迷っていても、観ている観客は「正しい/正しくない」というジャッジが比較的容易に判断できるものが多いように思えます。けれども、この作品で描かれる「正しい/正しくない」の判別は、我々観客にとっても難しいもので、観た人の多くが答えを出せないまま、観終えているのではないかと思います。

 萌の妊娠が発覚した際、由宇子は中絶の手筈を整えるわけですけど、これは父親や塾の経営、自分の社会的地位を守る保身という意味ではあるんですけど、それと同時に萌を守る意味も多分に含まれているわけですよね。この時点でドキュメンタリー作家としての正義感を発して、全てを世間の白日の下に曝そうとしていたら、それは誰の救いにもならない行為だと思います。ほとんどの人間が由宇子の行動に賛同すると思うんですよね。
 ただ、状況が変化するにつれて、必ずしもその行動が萌のためにならないものになっていくという、不幸の詰将棋のような展開が非常にスリリングですね。この変化の間で、由宇子が持っている正義の価値観=観客の価値観が、天秤のように大きく揺さぶられる仕掛けとなっています。

 さらに、由宇子が揺さぶられるのは萌の件だけでなく、元からドキュメントとして密着取材をしていた女子高生と教師の自殺事件の方でもあるんですよね。こちらも並行して真相が明るみになっていくにつれて、由宇子たちの取材が根底から覆されていく姿が描かれていきます。
 元々、由宇子はジャーナリストではなくドキュメンタリー作家なので、真実を明かすというよりは、作品として魅せる演出を意識している姿も描かれていて、必ずしも正義感だけの人間ではないんですよね。もちろん、その作品を生み出すことが取材対象の救いになると思って、由宇子は撮影取材を続けてきたんですけど、それが萌の件と同じく根底から覆されるという構造になっています。

 映画的でフィクショナルな仕掛けとして、由宇子が相手を問い詰める時に、スマホで動画撮影のカメラを向けるというのがあります。これは、由宇子がドキュメンタリー撮影をするように、フラットで感情移入せずにジャッジをするための動きということなんだと思います。ここがすごく、この作品を象徴する機能を果たしているんですよね。
 ラストシーンで由宇子が向けるカメラの対象は何か、というところまで繋がっていくんですけど、ドキュメント撮影の動きがフィクションとしての物語を動かす役割を持つというのが、すごく面白く感じました。

 主演の瀧内公美さんは、最近観るドラマや映画によく出演されていて、良い作品によく当たっていますよね。意地悪なOL、身体を売るシングルマザーなどの類型的な役が多く、この主演の由宇子も、類型的な女性ではあるので、イメージに応える演技が上手い役者だと思います。
 そして、何といっても萌役の河合優実さんですよね。『佐々木、イン、マイマン』の苗村さん、『サマーフィルムにのって』のビート板に続いて、またしても傑作に出演しているというのも凄いし、キャラクターもそれぞれで全然違うんですよね。個人的には、ぶっちぎりで2021年の新人賞といったところです。

 この作品に登場する人物は、弱さを抱えていても、さほど悪人というものでもなく、自分の正しさを信じていても、それが誰かの救いにはなり得ないという人ばかりなんですよね。ネットにより情報が氾濫することで複雑化した反動からか、善悪を決めたがる声が大きいですが、元々、この作品の人々のように、複雑に多面体のような事情を抱えているのが人間だと思います。
 そういえば、このテーマの内容で、SNSやネットで広まる描写がないというのも逆に印象的でした。いわゆる「炎上」の描写があると、ネットツールやネットユーザーの問題となってしまうので、人間の根本からの問題としての描写にしたかったのかもしれません。

観た後の余韻は決して心地好いものでは全くない作品ですけど、こういう作品が示す、自分の正しさを疑うという行為は、現代の多くの人がしなければならないことだと思います。


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