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映画『千夜、一夜』感想 ひとりの女性の人生で描く様々な閉塞感

  田中裕子さん、演技の巧さがいよいよ狂気じみてきました。映画『千夜、一夜』感想です。

 北の離島の港町に暮らす若松登美子(田中裕子)は、30年前に失踪した夫の帰りを待つ日々を送っている。登美子に想いを寄せる藤倉春男(ダンカン)から所帯を持とうと頼まれ、周囲から説得されても、頑なに固辞し続けていた。
 ある日、登美子を訪ねて田村奈美(尾野真千子)という女性が訪ねてくる。彼女の夫・田村洋司(安藤政信)も、2年前に失踪したきり行方知れずとなっていた。奈美の夫探しに協力し始めた登美子は、自分が何のために待ち続けているのか、改めて向き合うことになる…という物語。

 ドキュメンタリー作品出身で『家路』などの劇映画でも知られている久保田直監督による映画作品。年間8万人に上る「失踪者リスト」に着想を得て制作された物語だそうです。主演の田中裕子さんは、ドラマや映画でも、とにかく存在感ある演技で、個人的には尊敬している女優さんの1人でもあるため、観なければならない作品でした。
 
 彼の国の拉致問題、地方の閉塞感、老老介護など、社会問題が多く描かれてはいますが、物語はあくまで待ち続ける登美子の姿をメインで描くものになっています。登美子が失踪した夫を待ち続けているのは、夫婦愛とすれば美談になるものですが、実際には本人にとっても得体の知れない感情からくるものになっているんですよね。
 
 この登美子という複雑な人間を演じるのには、まさしく田中裕子さん以外はあり得ないというものになっています。諦観の念を演じさせたら、日本トップの役者ではありましたが、本作での演技は狂気の域に達したものになっていますね。登美子は、夫が帰ってくるのを諦められずに待っているのではなく、むしろ待つのを止める事を諦めてしまっているように感じさせられました。
 既に老境の役を演じることも多い田中裕子さんですが、今作の登美子は年老いた母親を世話する年齢であり、ここでのやり取りがちゃんと「娘」の演技になっているんですよね。この辺り、演技のレべルが1つ違う感じが出ています。
 
 登美子と対比する位置となるのが、尾野真千子さん演じる奈美という女性ですが、こちらも十二分にドラマ性ある人生なのですが、登美子が待ち続ける姿を際立たせるための役割となっております。いわば登美子が彼岸に行ってしまっている存在で、奈美は此岸で留まっている存在なんだと思います。
 
 登美子の周囲の人間たちも、決して悪い人ではなく、むしろ登美子のことを気に掛ける善人であるはずなんですけど、それが登美子を孤独へと追いやるのがやるせないドラマになっています。ダンカンさん演じる春男も、独身中年男性のどうしようも無さは身に詰まされるものがありました。
 
 作中で描かれる主題は、登美子の圧倒的な絶対の孤独だと思います。周囲の人間にも、登美子自身にもどうすることも出来ない孤独の中に登美子が30年居続ける姿というものが、この作品で描かれています。奈美の出現も、登美子と同じ境遇の人間と思わせておきながら、実はその孤独を浮き彫りにするものという脚本なんですよね。
 ただ、それが不幸とか悲劇という単純なものとして描くものではないと思います。かと言って、幸福としても描いてはいないので、かなり複雑な感情の物語となっています。
 
 登美子が待つのを止めないのは、待つ事そのものが生き方として定着してしまっているんだと感じました。今更生き方を変えられないという登美子の姿は、出身地域から出る事なく人生を終える地方の人々が持つ閉塞感と重なるし、そこから出ていく人々(=失踪した人々)との対比になっているんですよね。
 クライマックスで、宙に向かい語り続ける登美子の言葉で、父親からの虐待や生まれ育った地域からの圧迫感で苛まれているのが明かされるんですけど、本当に失踪したかったのは登美子だったのかもしれません。

 その後の、「帰って来た人」を迎える場面は、登美子の願いが叶った感動的なシーンであると共に、登美子が彼岸に立っている事の証明でもあるという恐怖を感じさせるものになっています。このシーンは、喜怒哀楽のどの感情にも当てはまらない複雑なものですが、田中裕子さんだから理解して演じ切ることが出来た名場面となっています。数々の社会問題を背景として描いてきた意味が、このラストで集約されているように感じられました。
 
 あくまで社会問題は背景、登美子の人生と感情を描くと見せておきつつ、きちんとその背景を活かす脚本はとてもクールなものですね。エンタメとしてはもちろん地味な作品になっていますが、日本映画らしく感情的にならずに淡々としながら、実はもっと複雑な奥底の感情を描いているという傑作だと思います。


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