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映画『ミッドナイトスワン』感想 「彼女」たちは何の犠牲になったのか【ネタバレあり】


 今回は、ネタバレ全開で書きますので、ご了承ください。映画『ミッドナイトスワン』感想です。


 新宿のニューハーフショークラブで働くトランスジェンダーの凪沙(草彅剛)。実家にはカミングアウトをしておらず何も知らない母親から、親戚の女の子を一時預かって欲しいと頼まれる。親戚の中学生・一果(服部樹咲)は、母親から虐待を受けて保護されたところだった。凪沙は、養育費が支払われることを条件に、嫌々ながら一果を引き受けることにした。
 凪沙と一果は、心を一切通わせることなく共同生活を始める。一果は、ふと覗いたバレエ教室に魅せられて、違法なバイトをしてバレエを始める。一果のバレエの才能と、内面の孤独を知った凪沙の心に次第に変化が起きていく…という物語。

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 『獣道』やNETFLIXのドラマ『全裸監督』で知られる内田英治監督による作品。各所で絶賛されつつも、わりと賛否両論巻き起こっている内容と聞いて、確かめる意味でも観ておきたい作品でした。

 基本的にはあらすじにある通り、「疑似家族もの」だと思います。ほぼ他人である子どもを引き取ることとなって、共同生活をする内に家族のような絆が生まれていくという。それにLGBTの人物を配置させたというのが特徴ですね。

 LGBTを扱う作品は、今や数多く作られているわけですが、そのほとんどはL(レズビアン)とG(ゲイ)だと思います。今作はそうではなく、T(トランスジェンダー)を扱った意欲作なんですね。
 この場合は、同性同士の恋愛よりも、性自認が違うという問題がメインになると思います。LGを描くと、「性別関係なしに愛は美しい」と描くことが出来るんですけど、トランスジェンダーの場合は性別にこだわるというのが悩みになるんだと思います。

 疑似家族ものは、本当の親と子の関係を築けないからこそ、親子ではなく別の形での家族関係を目指すことで広義の家族となることが多いと思いますが、今作の主人公である凪沙は、女であること、母となることに固執したが故に、後の悲劇を迎えることになっているように思えました。

 この物語は、凪沙と一果の、家族愛としてのラブストーリーなわけですが、この2人のキャラクターが作品としての魅力の全てといっても過言ではないと思います。
 一果を演じる服部樹咲さんは、新人で演技経験はないようですが、しっかりと印象的な眼で、この大役を演じていました。バレエの腕を買われてのキャスティングだと思うので、演技力に器用さはありませんが、それをカバーする演出も秀でていると思います。一果の精神状態が、穏やかなのか、ボロボロの状態になっているのかが、髪の乱れ方や肌荒れの状態ですぐ理解できるようになっているんですね。

 そして主演の草彅剛は、言わずと知れた元SMAPなわけですけど、こちらもさほど器用な演技力を持っているわけではないと思います。だけど、凪沙という人間は草彅くんにしかできないという印象を持ってしまうほど、キャラクターの輪郭がくっきりと演じられているんですね。
 これは演技力どうのよりも、SMAPの草彅くんという国民的キャラクター性による影響が大きいと思います。大してファンじゃない人でも、草彅くんというキャラをよく知っているというのはデカいと思います。木村拓哉の演技が、全部キムタクになってしまうという揶揄はありつつも、それを究めていって独自の演技にしているのと同じように、草彅くんも、その人間性を使った演技になっているように思えました。一果のために仕事をしようと、男の恰好をしていた場面、完全に男の見た目なのに、表情が母親の慈愛になっているんですよね。素晴らしい演技でした。
 この主人公2人のキャラクターの魅力に引き込まれるという点では、絶賛に値する映画作品だと思います。

 ただ、脚本としては、アンバランスな点も多く、物語の美しさを感じることは出来ないところも正直ありました。
 一果が、実の母親である早織(水川あさみ)を求めてしまうのが唐突なように感じられたんですよね、あれだけひどい環境にいたのに。子どもとして実母に頼ってしまうというのもわかるんですけど、じゃあその後、マシな母親になったのかどうかが、今一つ描かれていないように思えました。一応バレエを続けさせてもらったということで、母親として改心したように見えますが、事情はほぼ描かれていないんですね。だから、この凪沙と引き離されるシーンは、凪沙の性転換手術の後押しと、その後の悲劇に繋げるために、不自然に創作された場面に感じられました。

 そして、一果に影響を与える同級生のりん(上野鈴華)の描き方も、あまり感心は出来ませんでした。自死を選んでしまうという展開自体は、不自然ではないと思います。ケガによってバレエの道を閉ざされただけでなく、家庭環境や自身のセクシャリティなど、複合的な思いを感じさせていました。
 ただ、それを屋上でのバレエから飛び降りに繋げるという演出は、いかにも演劇的すぎて、フィクションにしても不謹慎に思えます。自死を描くにしては、キャラクターに対する敬意がないように感じられてしまいました。

 それは、凪沙に起こる悲劇にしてもそうで、性転換手術による死に見えてしまう演出になっているんですよね。もちろん、メンテナンスを怠ったという台詞があるので、手術までで金が底をついたか、一果と離れて自暴自棄になったかという背景は想像できますが、先述したように一果と離れたのも不自然に感じられたので、あまり必然的な悲劇とは思えないんですよね。性転換手術が危険なものという印象になっているのも、余り良くないと思います。
 現代社会において、トランスジェンダーの人物をハッピーエンドとして描くことに違和感があったのかもしれませんが、そのリアリティを描きたいなら、物語演出を優先させるような死の描き方はしない方が良かったように思えます。

 悲劇的な結末というのは決して悪いものではなく、それが必然的な悲劇であれば作品としての美しさになると思うし、現実社会の理不尽さによる悲劇であればそれを変えようとする怒りが力になると思います。
 ただ、今作の悲劇は物語のための演出としての死のように感じられて、そこには納得のいかないやるせなさばかりが残ってしまったと思います。犠牲になる登場人物は、物語のためではなくそのキャラの人生のためであるべきだと個人的には考えます。

 ただ、登場人物とそれを演じる役者たちは本当に魅力的だったと思います。自分も単身者なので、LGBTに限らず凪沙の結末には他人事にはならないものを感じました。色々と書き連ねてしまいましたが、それだけ考えさせられる、深く心に刻まれる映画だと思います。


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