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映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想 終わらせるための物語(ネタバレあり)


 今作をネタバレなしで語るのは難しいので、ネタバレ前提。物凄く不満だらけになっていますが、『エヴァ』という作品自体は僕、とても好きなんですよ。映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想です。

 えーと、普段なら、ここで物語冒頭のあらすじを入れているところですが、『エヴァ』という作品そのものの冒頭を説明するのも今更だし、かと言って3本の映画作品を経た4作目の冒頭、いわば途中の部分を書くのも何だしということで、あらすじは割愛します。

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 1995年から96年にかけて放映されたTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のリメイク版として製作された劇場用アニメ。2007年から1作目の『序』が公開され、『破』『Q』と3作を経た後、2021年についに完結編が公開され、その長い歴史に終止符が打たれることとなりました。

 僕はTV放送当時、中学生。作中のエヴァに乗り込む少年少女と同世代で、しかも主人公の碇シンジ君と同じく、ベクトルが内へ内へと向かう内向型の妄想少年だったわけで、当然、猛烈にドハマりしておりました。
 そしてTV最終回の、心象風景のみの演出にポカンとなり、その後に公開された劇場版の、あまりの説明のなさ、突き放すような結末に、再びポカンとして、いつの間にか大人になっていた人間です。いわば、エヴァ体験者としては大多数の、物凄くストレートな受け取り方をした部類になると思います。

 そんなわけで、自分の中でのエヴァは、カタルシスを得ることができなかった、終わった物語として片付いていたので、リメイク版が始まるとの発表があった時も、今一つノレないままでした。まるで、昔好きだったバンドが再結成して新作を発表するも、あまり興味が持てない感覚のような気持ちでしたね。
 『序』『破』『Q』と全く観ずにいたんですけど、またカタルシスの無い終わらせ方をされるかもという気持ちと、単純に待たされたらヤダなという思いからでした(待たされるという点では予想通りだったわけですが)。
 とはいえ、完結編の公開も決まり、昨年から何度か『序』『破』『Q』のTV放送もあったので、せっかくだから完結編は劇場で観ようと、古い想いを沸かせていきました。

 まず、『序』『破』『Q』をまとめて観た感想としては、新作として十二分に面白いものの、時間的尺の制限が残念なところではありました。
 SF設定の説明の無さはエヴァ作品の根幹であるので構いませんが、それと反比例するように濃密なキャラ描写も根幹の一つだと思うんですよね。旧作と比べると新劇場版は、そのキャラ描写が薄く感じられます。旧作を観ている人間なら、脳内変換が可能なんですけど、新作として観ている新劇場版からの人は、キャラクター理解が追い付かないのではと思いました。

 とはいえ、TVシリーズで盛り上がっていた頃のエヴァのエネルギーは確実にあるし、また別の物語でそれを再現出来ているというのも、流石だと感じましたね。

 自分の中では、

『序』→TV版とほぼ変わらない導入部分の再現
『破』→オリジナル展開でありつつ、往年のバトルアクションとテンションの高さを再現
『Q』→TV版終盤と旧作劇場版の絶望的な鬱展開を、オリジナル展開で再現

 という印象だったので、今回の最終作品では、その先にある完全新作が観られるんじゃないかという期待がありました。
 そして、『シン・エヴァ』を観た結果として、その期待は半分ほど応えてくれていたようにも思えますが、満足までは至らなかったというのが感想です。

 ようやく、ここから本編に言及していきます。まずは序盤の、復興農村のパートですが、この部分がとても良かったんですよね。旧作にも新劇場版にも無かった新しいエヴァ作品の要素だったと思います。『破』で加持さんが見せていた自然に対する想いを受け継いだ形になっているのも必然性がありますね(だからこそ、加持さんの退場は事後報告でなく、きちんと見せるべきだったと思うんですけど)。
 『エヴァ』を「シンジくんの成長物語」というシンプルな捉え方をするなら、作品自体のクライマックスは、ここなんですよね。そのためか、僕はこのパートである程度のカタルシスは得てしまっていました。
 だから、多くのファンが納得した終盤のそれぞれのキャラクターの解放場面は、僕にとってはあまり感動するものにならなかったんですよ。遅れてやって来た感があるというか。

 特にキツかったのは碇ゲンドウの独白部分ですよね。いや、旧作からゲンドウの碇ユイに逢いたいという行動動機というものは変わらないし、ヤバい大人だというのは旧作観ている人も、新劇場版からの人も共通認識ではあると思うんですけど、今回ほどはっきりと台詞として言語化すると、極端に矮小化されてしまったように感じました。
 旧作でのゲンドウは、動機もサラッと描かれるのみだったと記憶しています。旧作劇場版のクライマックスは、色んな要素が絡み合って、誰の思惑でこうなっているのか、最早理解できないところが、取返しのつかない事態のデカさを演出していたように思えます。
 それが、今作ではゲンドウがラスボスの立ち位置で、その事態の責任を一手に背負ってしまったゆえに、目的があまりにも幼稚で陳腐なものに映ってしまいました。それと、思春期のシンジくんの独白シーンは観られるけど、中年男性の内面吐露は単純にキツいです。

 その他のキャラも、モノローグで個々の想いが解放されていく形になるんですけど、ここの言語化も、テキストだらけになるのがどうなのかと感じました。あれほど世界観の説明は放棄しているのに、心情は全部言葉で説明してしまうのかと思ってしまいましたね。
 今の自分の好みが、昔と違って言葉よりも映像表現の比喩に寄っているのもあるからなんですけど、映像のみでの心理表現も『エヴァ』なら出来る作品だと思うんですよね。

 各キャラの関係性も、新劇場版だけで観ると今一つ描かれていないように思えるんですよね。『破』を観た時に、アスカがシンジの事を好きだなんて微塵も感じなかったんですよ。てっきり、今回は綾波レイがヒロイン確定なのかなくらいに思っていました。
 全てが終わった後の、カップリングという組み合わせも納得のいくものではなかったですね(特にカップリングではないという説もありますが)。そもそもこのカップリングを決めるという演出自体、ちょっと古くないですかね? ましてや真希波マリの「胸の大きい、いい女」というフレーズ自体が、批判まではいかなくとも、現代のジェンダー観からするとモヤっとするものだし。

 アクションエンタメの映像表現であれば、やはり一級品だったと思います。今作は特に艦隊戦がメインとなって、庵野監督の特撮愛が爆発していますね。戦艦をミサイルに使う発想は、『シン・ゴジラ』の「無人在来線爆弾」があってのものだし、しっかりと自作品と繋がっているのを感じさせます。

 けど、エヴァのアクションとしては、結構なインフレとなっているようにも思えました。夥しい数の「エヴァもどき」を、シューティングゲームの雑魚キャラのように打ち落としていくのは、爽快感はあるものの、「もどき」とはいえそんなに脆い敵なのかなと感じてしまいました。
 『ガンダム』シリーズのモビルスーツと違って、エヴァは単体での強さが特徴だと思うんですよね。だから、旧劇場版に登場した「量産型エヴァ」って凄くバランスとれた強さと機体数だったなと、今にして思いました。

 結末で世界がどうなったのかというのは、色んな考察見ても千差万別のようで、これといった答えは無さそうですね。好きな解釈があっていいんだろうとは思いますが、僕はあまり好意的な解釈が出来ていない状態です。
 新世界の創造というトンデモ感ある雰囲気が好きではないというのもありますが、平和な世界を再構築するよりは、生きるのに厳しい世界で復興を目指すという形の方が良かったんじゃないかと思うんですよね。
 前半の農村パートでの人々の努力が美しかったのもあるし、あれを守るための最後の戦いだったんじゃないのかと思います。東日本大震災を経た現在では、大災害を無かったことにするフィクションには、あまり現実に活かせるエネルギーやメッセージを受け取れなくなっているんですよね。
 旧劇場版の時点で、平和な世界の再構築という終わらせ方が出来ていたら、物凄く納得が出来たかもと思ってしまいました。結局、たら・ればになってしまうんですけど。

 終わらせることが出来たのは称賛に値するものだし、エンタメとしてはとてつもなく面白かったのは事実なんですけど、どうしてもモヤモヤしてしまうんですよね。
 今作は旧作もひっくるめての完結というのが聞こえは良いんですけど、僕には結局それが旧作を引きずってしまったように思えたんですよね。もっと新しい形のものを期待してしまっていました。

 数多くのエヴァファンの感想を眺めていると、皆が皆、「お疲れ様」「良かった」と労っているんですね。その光景に、TVシリーズ最終回で「おめでとう」と祝福されるシンジくんの姿が重なりますが、それを見て旧劇場版ラストのアスカのように「気持ち悪い」と思ってしまう自分がいるのも事実です。これは僕が大人になってしまったのか、それともまだ大人になり切れていないからなのか、判別がつかない状態です。

 結局『エヴァ』という作品や庵野秀明監督に対する距離感によって作品の評価が変わるものだと思うんですよ。「真希波マリ=安野モヨコ」説と考えると納得とか、「『エヴァ』という作品自体が庵野監督の私小説」とすればOKみたいな考え方も分かるんですよ、人それぞれの考え方で良いですし。
 ただ自分としては、「汎用人型決戦兵器と謎の巨大生命体が戦うロボットアニメ」を、私小説として捉えるのは流石に無理があるんですよね。いや、私小説の定義ガバガバかよと。

 まあ、これにて終了と相成ったわけで、庵野監督には新作を期待したいところですね。公開延期となってはいますが、『シン・ウルトラマン』も楽しみではあります。何よりも宮崎駿監督がインタビューで「庵野が作りたがっている」と言っていた、『風の谷のナウシカ』の漫画版準拠のアニメ化、これに大きく期待をしています。


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