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映画『熱のあとに』感想 「愛」という得体のしれないけもの

 現実なのにどこか不条理劇のような空気もあり、予想外に難解な作品でした。映画『熱のあとに』感想です。

 愛を貫くために、ホストの隼人(水上恒司)を刺し殺そうとして逮捕された沙苗(橋本愛)。事件から6年後、出所した沙苗は林業に従事する小泉健太(仲野太賀)とお見合い結婚をする。健太は沙苗の過去を知った上で、共に生きることを決めていた。
 平穏な新婚生活を送る沙苗と健太のもとに、足立(木竜麻生)という女性が現れる。気さくに見える足立が秘める正体が明かされる時、沙苗の愛の本質もまた露わになろうとしていた…という物語。

 黒沢清監督などに師事していた山本英監督による初長編映画作品。出演作が少なく、作品を選んでいるイメージがある橋本愛さんが主演ということで、注目して観ることにしました。共演に仲野太賀さんというのも、大きく外れはないと信頼できるキャスティングです。
 
 物語の下敷きになっているのは、2019年に新宿で起きた、ホスト刺殺未遂事件であることは明らかですが、実話を基にしたわけではなく、その事件を発端にした完全なフィクションとなっています。あらすじを一見すると、ホストに人生を狂わされた愚かな女性を描いたように思えますが、そうではなく、主人公の沙苗は一貫して正気のままであるということを描いた作品になっています。
 
 橋本愛さんのルックスが120%活かされる、ミステリアスな雰囲気がある沙苗という主人公は、見た目通り全く捉えどころがなく、内面性が見えにくい女性として描かれています。世間的にはホストに入れあげて刺し殺そうとした女ですが、ここで描かれている沙苗は、むしろ冷静であり、非常に理知的な人間に思えます。ただ、どこか欠落しているように見えて、危険な香りも感じさせる人物なんですね。
 その欠落部分を埋めるような、健太のわかりやすい人間性も、仲野太賀さん十八番の演技という感じですね。この正反対な雰囲気で、噛み合っていないはずの2人が、夫婦になることで社会的に「まとも」になっているというのが、序盤の描写に出ています。
 
 その「まとも」を暴く役割を持つのが、木竜麻生さん演じる足立という女性なんですけど、この木竜麻生さんはあまり認識していなかったんですけど、とても印象的な演技をする役者さんで、正直驚きました。屈託のない明るい女性が、その顔のままで素性を明かすシーンは、ナチュラル過ぎて逆にゾッとさせられるホラー演出になっています。
 足立は、沙苗の中に確固としてある、社会とはかけ離れた規範というものを批判するというポジションにいたはずなんですけど、物語の後半になると、足立の中にもあった「沙苗」的な感情に支配されていく展開になっていて、実は主人公2人以上に、人間性が二転三転していくキャラクターなんですよね。この難しい役を木竜さんが見事に演じています。
 
 沙苗にとっての恋愛感情は、本人にとってはごく普通のものでも、世間が恐れる狂気の部類に属するものであり、そのことがずっと周囲との溝になっているんですね。だけど後半になると、足立を始めとしてその周囲の人々にも沙苗の様な愛情が内面に渦巻いていたという展開になっていきます。このホラー的でもあり、哲学的でもある恋愛憎劇がスリリングで、他に類を見ない物語になっていると思います。
 
 沙苗が隼人というホストのどういう部分に執着していたのか、判然としない印象ですっきりしないものが残りますが、あのキャラクターは、人間よりも愛憎というものの象徴として描かかれていたんじゃないかと思います。足立が執着していたものや、後半で登場する宇佐見美紀(鳴海唯)が執着していたものも、沙苗的な愛情ではありますが、その理由に具体性はなく、「愛」という得体のしれないものとしているように思えます。
 
 ラストは映画的で余韻が残る印象的な名シーンです。ようやく穏やかな愛情に目覚めているようにも思えますが、後続車を無視して「1分間見つめ合う」という儀式を行う2人の愛は、やはり社会性を持たない狂気の類に入っていくものではないかと思わせられます。
 
 哲学的問答は非常に難解で、俗っぽい事件を下敷きにしたとは思えない作品です。山本英監督は初長編にしてその存在を知らしめる意欲作だし、この主演を引き受けた橋本愛さんのセンスはますます先鋭化しているように思えました。


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