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映画『影裏』感想 暗喩に満ちた映像美

 今回は、映画『影裏』(えいり)の感想です。

 岩手県盛岡市に転勤となった今野(綾野剛)は、同い年の同僚、日浅(松田龍平)と親しくなる。日浅が転職してからも、酒を酌み交わしたり、渓流釣りに行ったりと、親友として付き合っていた。些細な会話で険悪な空気になり、しばらく疎遠になった後、東日本大震災が発生。今野は、その日以降に日浅が行方不明になっていることを知る。日浅の消息を追い求めるうちに、今野は親友日浅の裏側の側面を知る…という物語。

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 沼田真佑による芥川賞受賞した小説が原作で、もう、うろ覚えですが読んだことはある作品でした。
 監督は『るろうに剣心』『3月のライオン』などで知られる大友啓史。

 まずこの作品のメインとなるのは、綾野剛と松田龍平の演技だと思うんですけど、この二人の俳優の特徴として、どちらもあまり演技らしい演技をしないというか、どの作品でもしゃべり方や空気感を変えずにそのままの人物で演じていると思うんですよ。
 それなのに、それぞれの登場人物を、ちゃんと別な人間性として表現しているという不思議な演技力をどちらも持っていますよね。同じ演じ方なのに、状況が違うだけで別な人間だと、観客に思わせているんですね。舞台演劇とは違う、とても映画的な演技。
 特に松田龍平って、純朴な青年も犯罪者も詐欺師的な役割も、全部同じトーンのしゃべり方で演じ切ってしまうので、力業というか、すげー「雰囲気力」だなといつも感心してしまいます。

 物語のところでいうと、前半は今野と日浅の日々で、中盤から震災で日浅の行方がわからなくなるという流れなんですけど、前半から日浅はかなりミステリアスな人物という演出で描かれているんですね。
 だけど、日浅が本当はどういう人間だったかは、実のところ主題ではないんですよ。いわゆるサスペンス的なタネ明かしのようなことは最後まで無いんです。(小悪党だったのかな、と類推するくらいです。)
 タイトルが示す「影裏」というのは、日浅の台詞で語られるんですけど、それは日浅の人間性だけではなく、他の登場人物や、人間だけでなく物事全般に裏側というか、違う側面があるということなんだと思います。

 原作からの、大前提の設定なのでネタバレしますが、今野は他人から見ると気ままな独身貴族ですが、同性愛者というセクシャリティなんですね。(序盤で綾野剛の、下着姿のセクシーショットがしつこく連発されるので、説明なしでもわかるようになっているんですけど)
 ただ原作と違うのは、今野が日浅に対しても恋愛感情を抱いていて、それをドラマティックに見せる演出があるというところです。これは物語をわかりやすくするためなのかもしれませんけど、ちょっとカミングアウト的になり過ぎている気がしました。原作のサラッとした描写の方が、特別なことではないという表現になっていて上手いと思っていたので、残念でした。
 今野の孤独さは、はっきりと口に出されるわけではないですが、こういう憂いを帯びた空気には綾野剛の演技はぴったりなんですね。

 また、日浅が消息不明になったことを教えてくれる西山さん(筒井真理子)も、日浅に金を貸していたというんですけど、恐らく日浅との関係は男女の匂いを感じさせているんですね、これもはっきりと語られていないんですけど。(この「性的に現役感のある地方の中年女性」が出てくる時、ここ最近は必ず筒井真理子さんが演じているんですよね、去年くらいからかなりの作品で観ています。)
 後半で出会う日浅の父(國村隼)や兄(安田顕)も、日浅に不信感を口にして縁を切っていると言いつつ、必ずあいつは生きていると言い切るところは、実は身内に対する想いを捨てきれずにいるようにも思えます。

 このように、人の見えない部分というのは、必ずしも悪い側面というのではなく、違う角度では別の見え方があるということを表現しているんだと思います。

 それと一番大きいのは人間以外の部分で、「自然」そのものだと思うんですよ。
 前半から、岩手県の自然風景が随所に差し込まれていて、美しい演出で表現されているんですけど、東日本大震災で多くの人の命を奪ったのも、この「自然」による災害なんですね。これこそが、最も大きな「影裏」の部分だったんじゃないかと思うんですよ。

 こういった表現を、全く説明することなく、映像上の暗喩で表現しているんですね。『るろうに剣心』の大友啓史監督がこういう作品を撮れるというのは意外でした。商業映画ばかりのイメージでしたから。
 それと大友良英さんの音楽も素晴らしい劇伴になっていたと思います。

 ただ、日浅の描き方があまりにもきちんとミステリアスだったので、原作を知らない事前情報もない観客には、何も明かされないという物語に肩透かしを感じてしまうのではという気もしました。

 まあ、とにかく松田龍平と綾野剛の色気が全開の作品でした。


蛇足としてラストシーンについてネタバレ

 エピローグで、今野がその後、新しいパートナーを得ている姿が描かれていましたけど、これがいかにもゲイ的な男性で、ちょっと興ざめしました。ゲイのリアリティはこうなのかもしれないですが、何か安っぽいというか。
 ずっと暗喩だらけで表現していたのに、そこだけ直接的な表現に感じられて、いらなかったのではと思ってしまいました。

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